Ab-06
やなぎ(しだれやなぎ)(あをやぎ)
柳・楊
ヤナギ・シダレヤナギ
垂柳
四垂柳・枝垂柳; 青柳 阿遠也疑波; 梅柳;挿楊
漢語
柳・楊
【万葉集記事】
ヤナギ |
05-0817 |
05-0821 |
05-0825 |
05-0826 |
05-0840 |
05-0853 |
06-0949 |
08-1432 |
08-1433 |
10-1819 |
10-1821 |
10-1846 |
10-1847 |
10-1850 |
10-1851 |
10-1852 |
|
10-1853 |
10-1856 |
10-1896 |
10-1904 |
10-1924 |
10-2453 |
13-3324 |
14-3443 |
|
14-3455 |
14-3491 |
14-3492 |
14-3546 |
15-3603 |
17-3903 |
17-3905 |
17-3967 |
|
17-3972 |
18-4071 |
19-4142 |
19-4192 |
19-4238 |
19-4289 |
20-4386 |
の39ヶ所 |
|
うちアオヤギ |
05-0817 |
05-0821 |
08-1432 |
08-1433 |
10-1851 |
14-3443 |
14-3446 |
|
うちシダレヤナギ |
10-1852 |
10-1896 |
10-1904 |
10-1924 |
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(一) |
挽歌 |
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挂纏毛 |
懸けまくも |
注釈
懸けまくもかしこき=口に出しても云うことも恐れ多いことであるが…
砌=軒の下や階段の石畳のところミ
玉襷=かけてに懸かる枕詞
偲ばしい=賞味なさって
刺楊=枕詞、挿し木の楊、or茂った柳のこと
根張梓=根を張る梓、転じて梓弓
遊ばしし=狩をなさった
(二) |
梅歌の歌 |
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烏梅能波奈 |
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梅の花 |
小弐小野太夫 |
注釈
0817から0853には、梅を詠った短歌であるが、ここに柳と組み合わせた作品が数歌ある。本歌は梅と青柳の組み合わせである。詠み人の小弐小野太夫は人上のこと?人上は和銅10年武蔵守従四位下で没。
(三) |
春の相聞 |
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大夫之 |
大夫マスラオが |
注釈
伏居嘆=伏して(座って)は嘆く、
(四) |
春の雑歌 |
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百礒城 |
ももしきの |
注釈
1846~1853の八首は詠レ柳。ここで、冬柳、春楊、川之副、青柳、柳の糸、柳眉などヤナギに結んだ語が挙げられている、
(五) |
追いて太宰の時の梅花に和ふる新しき歌六首 |
遊内乃 |
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遊ぶ現ウチの楽しき庭に梅柳ウメヤナギ折りかざしてば |
注釈
05-0821
青柳梅との花を折りかざし飲みての後は散りぬともよし
を思って詠んだ歌
現=現在
(六) |
二月十九日左大臣橘の家の宴にして、攀じ折る柳の条を見る歌一首 |
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青柳乃 |
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青柳の |
注釈
この歌は楊の枝が神の拠代となることを示している.
橘=橘諸兄、
攀じ取る=ねじ折って
万葉集では あおやぎ1首、あおやなぎ11首
【概説】]
本項の「青柳or垂柳」は、文学上よく扱われる題である。枝が梢から垂れ下がるのを”しだれ”と云い、別の樹木例えば桜・梅・山吹・桂・雪柳などでも見られるが、普通シダレというとしだれやなぎのことであり、而して春の出だし芽の頃の新緑を特に愛でるので、あおやぎとは、即ち枝垂柳のことである。大旨、柳はシダレヤナギの如く枝の垂れる種を言い、楊は枝の垂れない種、即ちネコヤナギ、カワヤナギ、ポプラ、ポプラなどを指し、合わせて柳楊とする。檉という字をヤナギと訓することもあるが、これはウンリュウヤナギのことである。
語源は、(a)楊の音訓yangからの誘導[与謝野寛]、(b)
ヤナギのひこばえ枝から矢を作ったことから矢の木と呼んだ[新井白石]、(c)この木は川邊に生えるものであり、これを以って魚を取る簗ヤナを作った。[和訓栞]など。
シダレヤナギとは、それがはっきりと植物学名Salix
babylonica
L.になっている種名でもある。柳楊の新緑は確かに美しい。全ての種のヤナギは、芽だしの淡黄緑から深緑へと日一刻と変移するが、文学上アオヤギと言うのはシダレヤナギのことである。それに梅や桃の紅の彩を添えて、更に華やかな修飾となる[柳は緑、花は紅という例語は蘇東坡の詩に出て来る。禅僧の説教の常用語で、森羅万象があるがままの自然の姿にあることを言外にいう、]
枝垂柳シダレヤナギの末枝は細く長く垂れ下がるので、糸柳ともいう。女性の細く弧に引かれた眉を柳眉、風に靡く長い髪を柳髪、しなやかな細い腰付きを柳腰と譬え、女性の嫋さを仮令する。各種の柳は春時、挿木をしておくと、簡単に活着する。このことを刺楊という。雌雄異株で、枝が長く垂れるのは雄株、雌株はその長さにおいて劣っているというが、日本には雌株は殆ど無いらしい。原生地は中国の中南部[江蘇・浙江・湖南・雲南・四川]と思われ、確かに揚子江畔に多く、自生/栽培の区別はつかないが、流域の寺院・宮殿の庭園の風景を象っている。飛鳥の太古、中国からこの枝を遣隋使が持ち帰ったらしいことは、蜀柳という名前が地方に受継がれているように、如く十分考えられるところである。だが、柳は日本書紀などの古典に載っているから、以前からあったとする説と、それは枝垂れであるとの証明できないとの反論と、交錯している。
<大言海> |
青柳 |
<倭訓栞> |
やなぎ |
<日本書紀歌謡83> |
顕宋天皇即位前記 |
<四方硯> |
蜀柳は禁垣の東日華門の前にあり、尋常の柳よりは枝葉細く長し、御溝の流に臨んでことによし、昔遣唐使の採帰りここに植ゆと申し侍るとあり。 |
<重修本草綱目啓蒙> |
楊柳二字共にやなぎと訓ず。柳は枝の下垂するを、楊は下垂せざるを云。白楊、水楊、松楊皆楊の類なり、然れども後世は楊柳を熟して柳のこととし、詩文に用ゆること、隋煬帝より始まること開河きに見えたり。柳の水辺に多く生ずる常のしだれやなぎなり。 |
<羅願爾雅翼> |
云、天の雨降らんとす。檉まずこれを知り、気を起こして以って応ず。又霜雪を負て萎まず、及び水糸の如し、幹弱く、枝これを挿む、生じ易く、赤皮細葉、糸のごとし。 |
青柳 あおやぎ また あおやなぎ
阿乎夜奈義
<梁塵秘抄> |
青柳や |
<全九集(1566頃> |
もし灸瘡の黒ぶたおちば |
(1)芽だしから新緑にかけての青々とした柳
<源氏物語 |
二月の十日許りのあをやぎの、僅かにしたり始めたらむ心地して. |
(2)
襲の色目 表裏ともに濃い青色、両面萌葱ともいう。Or表は濃い青色、裏は紫色
<浄瑠璃・加増蘇我>5 |
水のみどりもあおやぎの、五衣のそば取って、源氏の船を打まねく |
(3) 青い麦をいう女房言葉
(4) 馬鹿貝のむきみ
(5) 催馬楽の曲名
<古今著聞集 |
律、伊勢の海、万歳学、青柳、五常楽、更衣、など |
(6) 北海道函館市の地名、石川啄木が住んでいた
<忘れがたき人々> |
函館の青柳町こそかなしけれ友の恋歌矢車のはな |
「あおやぎの」は 細い眉ね、糸ど、葛城山
にかかる枕詞
<万葉集1851> |
青柳の |
|
<後選和歌集 |
青柳の糸つれもなく |
藤師伊 |
<新古今和歌集> |
白雲の |
藤原雅恒 |
<新古今和歌集> |
君なくて |
源 |
中華国では、柳楊を古来花紅柳緑といって春景の情とし、漢詩によく詠まれている。北部のカワヤナギに対してシダレヤナギは、水分を含む土壌を好むほか生育適応範囲が広く、頑丈で、枝を切除してもすぐ萌芽するし、挿木で活着し繁殖する。それで、柳楊は庶民の墓地に植える習慣がある反面、目出度い記念樹にも採用される。古来、離別に際して、柳枝を折り之を環にしたものを旅たつ人に贈り、無事帰還を祈る習慣がある。
<詩経> |
陳風・東門之楊 |
鄭風・将仲子 |
|
<無名氏 |
古墓犂為田 |
<簡文帝 |
楊柳乱成糸 |
<賀知草 |
不知細葉誰栽出 |
<王維 |
相逢意気為君飲 |
<王維 |
渭城朝雨裛二軽塵一 |
<杜甫 |
顚狂柳絮随風舞 軽薄桃花逐水流 |
<銭起 |
長楽鐘声花外尽 |
<楊巨源 |
水辺楊柳麹塵糸 |
<張喬 |
離別河邊綰柳条 |
<韓翃 |
春城無所不飛花 |
<白居易 |
一春凋悵残三日 |
<李商隠 |
傾国宜通体 |
<王士楨 |
秋来何処最銷魂 |
<呉錫麒 |
落花飛絮満煙波 |
髄の煬帝の古伝;
古来帝王というものは複数の女性を囲い、子造りに専念するのであるが、煬帝も数十人の側女を抱え、女同士の嫉妬の戦いに頭を悩ますのであった。煬帝の取った策は、長安から楊州までの間に40の離宮を造り、夫々に側室を置くことであった。そしてその間に堤を築き柳を植えさせたという。この堤はの離宮通いの道路であったが、黄河の洪水を防ぐに効果があった。
<白天楽> |
髄堤柳之図を憫む |
日本古典文学で登場する柳は、四季にわたり、春の青柳は、松緑・桃花・菜の花・郭公・梅雨の組み合わせから、初夏に到っては燕・蛙、カッパ・幽霊までを伴って、色を添える。あおやぎは、竹久夢二の絵画よろしく、そのなよなよした風情を愛でて、殿方から格別の色気を感ずるのである。しだれやなぎは用途として種々あるが、庭園樹・街路樹には銀座の柳の如く人気がある。”日本では枝垂柳、支那では立柳”というが,そんなことは無い、中国でも六角堂と垂柳は南画の構図である。
<高適 |
柳条弄色不忍見 |
<鄭谷 |
揚子江頭柳柳春 |
<劉禹錫 |
煬帝行宮汴水浜 |
煬帝は隋の2代目の帝で、黄河と准水を繋いで運河を通したり、汴水に堤防を築き柳を植えたりしてこの地域の開発を行なった。而、この沿線各所に離宮を造営し栄華を極めた。煬帝が殺され隋が滅んだ後に、跡に残ったのは汴水と数本の柳のみである
<和漢朗詠集13 |
気霽れて風新柳の髪を梳る、氷消えては浪旧苔の髭を洗う。 |
<和漢朗詠集90 |
青枝縿り出す陶門の柳、白玉装、成せり庾嶺の梅 |
<枕草子> |
三月三日は、うらうらとのどかに照りたる、桃の花の今咲きたる。柳などをかしきこそ、さらなれ、それもまだ眉にこもりたるは、をかし、… |
<躬恒集(924)> |
春雨の降り染め市よりあおやぎの |
<源氏物語 |
絵にかけたる楊貴妃のかたちは、いみじき絵師といへども、筆かぎりありければ、いとににほひ少なし。太液の芙蓉 未央の柳も、げに、かよひたりしかたちを、からめいたるよそひは、うるはしうこそありけめ、 |
<若菜下> |
二月の中の十日ばかりの青柳の、わずかにしだり始めたらむ心地して、鶯の羽風にも乱れぬべく、あえかに見え給う。櫻の細長に、御髪は左右よりこぼれかかりて、柳の糸の様したり。 |
花柳流といえば日本舞踊界の重鎮家元で、現今は舞台の演出にも力を見せている。以前、花柳界というのがあって、そこで遊びを覚えると、花柳病に罹る。当時はよい特効薬が無かったから、利尿薬を飲ませ、黴菌を小便と一緒に駆逐しようとの作戦で、ヤナギの煎薬は代表的な駆梅薬てあった。ヤナギの葉ッパにはサルチル酸系成分を含むから薬理的に消毒作用があり、満更嘘ではないのだろうが、花柳病をヤナギで治すとは洒落にもならない。
絮というのは柳の雄花の雄蕊であって、散花の折乾いた凍土に落ち翻って舞い上がる現象を飛絮という。柳絮が池に落ち水面に浮かぶと、浮草(萍)になると信じられた。他方、花後に結ぶ種子に、白い冠毛が付いていてフワフワと風に吹かれてとんでいく。これを綿絮(柳の綿)といって、両方とも中国の詩歌によく出てくる。秋の沈み行く赤い夕日に柳絮の飛ぶのを透けて観え、ロマンチックな気分に浸るのであるが、これを吸い込むと喘息様咳が止まらなかった満州での思い出も懐かしい。この柳絮は実際に布団の綿として使用されているそうで、種子は吐血・喀血の薬に、また金瘡の止血剤に用いられた。
シダレヤナギは奈良時代に遣唐使が渡唐して持ってきたとの説があるが、柿本人麻呂の歌に謳われているので、其の前の飛鳥時代に既に日本にあったことになる。ただし、ここで檉楊と書かれているのは雲竜柳のこと、または葉の細いヒノキ(天木香むろのき)の一種をそう云うと説明もある。
<時珍 |
小幹弱枝にして、これを挿して生し易し。赤皮細葉糸の如く、婀娜たり愛すべし、一年に三次花をなす。花穂の長さ三四寸、水紅色にして,蓼の花色の如し、南斉の時、益州より蜀楊を献ず、條長く状糸縷の如きもの、即ち此の柳なり。 |
<倭名鈔 |
檉 |
<本草和名> |
本草外薬七十種 出拾遺 赤檉 |
<大和本草> |
柳数品あり、楊柳は通称なり、とりわけてシダリヤナギといふ。凡柳は水湿を好む。他の木と異なり挿して生活し易し。長じやすし。そもそも多く植れば薪乏しからず。斉民要術旧正月二月中 |
<蝦夷草木志料> |
シエス(オシャマンベ) |
<和漢三才図会> |
本項の楊柳は枝硬くして今猶ほ併せ楊柳と称す。この樹縦横倒順に之を挿生も皆生句、春の初め柔夷を生す、即ち黄蕊の花を開き春晩に至って葉成長す。其の葉狭長にて青緑 |
<万物名物考> |
柳楊ともにヤナギと読め、柳は枝の垂れるをいひ、柳は常の |
中華国では、柳の音がリュウであり龍に准ずることから縁起の良い木とされ、進士の登竜門の試験に合格にするように、橋のたもとの柳の一枝を折って与える風習が出来た。また、 柳は魔鬼を避ける呪力ありとして、斉民要術に「正月の朝、楊柳の枝を戸口に挿し置けば百鬼家に入らず」とある。往時、わが国の田舎でも柳に関する迷信があった。苗代の水取入口に柳の枝を挿しておくと、害虫が付かないとか。正月の雑煮・小正月の小豆粥は柳の箸で食べると豊作になるとか。男子出生を期待して、新嫁が来た年の古正月に柳の粥箸で嫁の尻を叩くなど、変ったのもある。「柳の枝を綰ムスぶ」とは、張喬の詩からならったものであるが、長いシダレヤナギの枝を結んだ環にしたものを綰柳カンリュウ(結柳、たがね柳)と云って、京都の料亭などで、客がまた来るようにとの意味で生花に結枝が活けてある。
柳の添え物に言及すると、蛙は小野道風(894~966)の伝話、燕は花札の役など、河童は柳の影に隠れていて、人が通ると、柳の枝を尻の穴に差し込むそうで、困ったのは幽霊で、彼等は足が無いから、柳の枝と共に揺れている。やなぎには魔力が潜んでいて、かの有名なガマの油は三七=二十一日間柳の小枝でトローリトローリと煮詰めて造られる。
<浄瑠璃 三十三間堂棟木由来> 横曽根平太郎なる若男に助けられた柳の精
お柳
は平太郎と夫婦となり、緑丸という子を作る。一方お柳の主の柳の大木は三十三間堂建築の材にするため切り倒され、曳かれて行くが、夫婦・母子の情感断ちがたく、平太郎の家の前で動かなくなってしまった。そこで、三十三間堂の管主が経を唱え、緑丸が綱を引いたところ、動き出して、無事三十三間堂の棟木に収まった。現在の堂の棟木はそのもので、継ぎのない一本ものであると伝えられている。是に似た話が善光寺の棟木にもあり、話は逆で男は眉目秀麗の男子が村一番の美女と結ばれるが、棟木が伐られたとき、若男も切られるというちう悲劇になっている。
西欧にもシダレヤナギは中華国から移植され、Weeping
willow(Babylonia
willow)と呼称されている。Napoleon
Willowというのは、ナポレオンがセントヘレナ島に流されたとき、随伴した司令官ピートソン将軍がイギリスから柳苗を取り寄せて植えた。ナポレオンはこの木を愛育したので、この樹の子孫が欧米各地にナポレオン柳と付名して広がったと。このセントヘレナ島のヤナギはナポレオンの死後嵐によって倒木してしまった。
アメリカのシダレヤナギは、まずイギリスの詩人Alexander
Poupeが、トルコから送られて来た果物の箱に収まっていた小枝を、テムズ河畔の土手にあるトゥイッカナムの別荘に挿して置いたものが原木である。年を経て、その小枝を、植民地アメリカに出征した英国部隊の将校が絹の油布に包んで携行したものを、George
Washingtonに渡した。その息子John
Park Castis
はそれをヴァージニア州のアビンドンの地所に植え、そこで根付いたものが、アメリカのヤナギの原点になっている。
このヤナギの話は有名になり過ぎて、トゥイッ
カナムの地に見学者が押しかけた。ここでポープは質問攻めに合い、この木の写真をとるやら、小枝を切り取るやら、果てはそこで結婚式のミサを上げるものまでが出てきた。上述のセントヘレナ島の1本もここから切り出されたものらしい。ポープはあまりにも騒々しいので、別荘を売り渡し、そして買地人もこのヤナギを切り倒してしまった。
欧米でのヤナギの伝説は多く、ギリシャ神話にまであるから、ヤナギの渡来は古いものであるらしい。或いは神話そのものが相当後世に作り上げた話を含むのかもしれない。
ギリシャ神話:
エリダノス河に焼け落ちたバエトンの姉妹のヘリアデスはバエトンの死を悲しんで、やなぎに姿を変え、長い緑の枝は涙の滝のようであった。それ故に、ヤナギは水分の多い土地を好むのである。この樹に隠れて住む魔女キルケは、自分に求婚してきた男達を次々と獣に変えてこの樹に吊るすのである。それで、その重さに耐えかねて樹の枝は垂れ下がるようになったという話。
ヤナギは西欧では、よく言われていない。それは、ユダが首を吊った木であるからである。枝が独特の静かな揺れを眺めていると、人々は自殺したい気分になるそうである。
ヤナギには魔女が住み、潜んでいる。もし真夜中に柳の木の傍を通る時は気を付けなければいけない。ここの魔女はパプテスマのヨハネの首を所望したヘロディアであり、キリストが十字架を背負い死に赴くとき、これを嘲笑った女であった。このユダヤの伝説はドイツの説話文学になり、ワグナーはこれのインスピレ-ションを得て、楽劇パルジファルを書いたと言われる。
シダレヤナギは活花の材として12月中旬頃から切り枝が出荷され、花屋でロクと呼ばれ、しだれの長い青ダレと、やや太く枝皮の赤い赤ダレに分けている。枝が特に長く伸びて樹形の美しいロッカクヤナギf.rokaku
Kimuraがあって、ここから活花用をロクと綽名されたらしい。
聖徳太子建立の名刹とされている京都の紫雲山頂法寺は、本堂が六角形に作られ、ここに池坊があり、別当小野妹子がこの地に柳を3本植えたのが六角柳であり、この分枝がロッカクヤナギとして各地に拡がったとされる。
シダレヤナギという名の柳楊は文学上の指名は別として、植物学では現に比定されたものがあるが、アオヤギという種の名前はない。こんなことを探索するのは無粋であるが、枝垂柳と青柳とは同じであろう。抑々、柳楊の品種は多種があって、その分類検索が難しく、それは生育する場所によって形態が変応するものがあること、雌雄の樹形が違っているものがあること、たまたま雑種を作り易いこと、などがあげられる。
ヤナギ科 |
ヤナギ属 |
第一類 |
シダレヤナギ |
第二類 |
ネコヤナギ |
||
カワヤナギ゙ |
|||
第三類 |
シロヤナギ |
||
第四類 |
|
||
ハコヤナギ属 |
|
ヤマナラシ |
|
|
ギンドロ |
||
ケショウヤナギ属 |
|
|
|
オオバヤナギ属 |
|
|
|
カミコウチヤナギ属 |
|
|
分類の仕方も数例提案されているが、上原敬二博士(樹木大図説
S36.4.有明書房)の掲示の仕方が簡潔で判り易いので、それに適合してみると、集にいう垂柳・四垂柳・梅柳・青柳は次表第一類に示すシダレヤナギに包含できる。ここで、早春に色を添えるネコヤナギは第二類の数種である。Ab-07に纏めたカワヤナギは第三類喬木性に類し、Ab―08の白楊はポプルス属に組する。
【植物】
1. シダレヤナギ
Salix
Babylonica
L. 別名
イトヤナギ (S.pendula
Moench. S.japonica Bl, Spropendens Seringe
ヤナギ、イトヤナギ、タレヤナギ、スダレヤナギ、オホシダレ、ロクカクドウ
(古語)
ハルススキ、ネズミグサ、カザナグサ、カワゾヒグサ、カワタカクサ、カワゾイヤナギ
(漢語)
垂柳、垂楊,糸柳、水楊、吊柳、清明柳、蜀柳、緑柳、漏春和尚、天棘、梔烟、義孫、独柳
(朝鮮語) スヤンポツル;
(英語) Weeping
Willow、Babylonian
Willow, Napoleon Willow, Fountain Tree,
(独語)Trauerweide,
Traenen Weide, Echte Trauerweide, Saule Pleureur,
(仏語)
Saule de Babylone, Tissi Bhosi
(伊語)
Bisa, Bidai, Bes,
〈西語〉Wala
Majnun Laila
学名 Salix
babylonica L.
サリックスはラテン語のsalir跳ぶの意で、成長が早いことから名付けけられたともいう。属名のバビロニカはバビロン産のという意味であるが、この地方にはシダレヤナギは現存しない。旧約聖書に「我はバビロン河のほとりに座り、シオンを思い出して涙を流しぬ。我はそのあたりのヤナギにわが琴を掛けたり。」とあり、このヤナギは和名でコトカケヤナギと訳されているPopulua
euphratic
の可能性が高く混同したとみられる。なお、キリストが処刑された十字架はアスペン(ヤマナラシの一種)で作られ,神聖な血が流れたときアスペンの木は身震いしたという。それ故ポプラの木を切るときポプラは身震いするので、いまでもフランスの樵人はポプラを切るのを嫌うという。
中華国原産(コーカサス・北イラク)といわれ、日本には隋から搬入されたとされるが、渡来時期は明ならず。現在は日本全土に景観樹として植えられている。ただし、日本には雌木は無いとも言われる。樹高10~25mになる落葉高木で、細い枝がしだれるのが特徴である。樹皮は暗黒色で縦に裂け目がある、若枝は緑褐色ないし淡褐色ないし淡緑色。出芽は4~5月、葉は長さ8~12cmの披針形~線状披針形で、先は細くなって、緑は細鋸歯がある。裏面やや粉白色である。花は葉の出芽と同時またそれより先に、基部に2~3枚の小葉をつけた尾状花序がでる。托葉は斜卵形または不整披針形。雄花は2~4cmで、雌花は1~2cm。雄蕊は2個で葯は黄色、雌花の花柱は極めて短い。この柳で雌株は少なく、シダレの度が小さいのが特徴。四月開花、果は五月成熟、蒴果二裂
補説;
1.
垂れ下がった枝に着いている葉はどれも裏側を茎の方に向けている。この枝先を人為的に上向きにしてみるとどの葉も表側が下向きになるが、やがて葉柄が180度捻れてくる。このとき芽の方向は枝の伸びる方向にむいている。ただし、この実験で葉柄が自転する期間は開葉して2~3日の間だけに限る。
2、
葉脈は裏面において僅かに突出するが、ウンリュウハ両面とも突出している。
2. ウンリュウヤナギ
S. matsudana
Koidz,var,tortuola Vilm 雲龍柳,
シダレヤナギではないが、中華国原産のペキンヤナギの園芸種とみられ、合着力が強く、植栽されている。樹高約10mになる落葉性中木。枝は蛇のように曲がりくねって垂れ下がる奇妙な樹形がある。活花の材料にする、
補注;
1
園芸種として、中華国から雄株だけが輸入されたらしく、雌株は日本にない、雌雄株の違いは著しく、雄株の枝はグニャと屈するに反し、雌過は真っ直ぐに伸びるそうである。
2.雌株の線材は、本種は2個、シダレヤナギは1個である。
【周辺】
ヤナギ類の分類は非常に難しい。それは、雌雄異株で雌雄により形状を異にするものがあるからである。それで、雄株から見た分類と雌株から観た分類があるという奇妙な仕方になっている。ところが未だ雌株が見つかっていない種があったりして、未研究の分野である。
【古典】
<催馬歌 |
律春中用レ之 |
|
<和漢朗詠集 |
氷田地に消えて蘆垂短し 春枝条に入って、柳芽垂れたり。 |
|
90 |
青枝繰り出す陶門の柳 |
|
<古今和歌集(序) |
青柳の糸絶えず、松の葉のちり失せずして、糸は枝垂れ・・・ |
|
27 |
浅緑いとよりかけて |
僧正辺昭 |
56 |
見渡せば |
素性法師 |
<新古今和歌集 |
春雨の降り始めしより |
凡河内窮恒 |
262> |
道の野辺に清水流るる |
西行 |
1448> |
道野辺の |
菅原道真 |
<夫木和歌抄 |
難波江に |
源 |
> |
あさみどり |
藤原定家 |
> |
青柳を |
凡河内窮恒 |
<枕草子(004)> |
三月三日は、うらうらと。桃の花…柳などをかしきこそさらなれ |
|
(220)> |
陪従のしなおくれたる柳に挿頭の山吹わりなく |
|
(301)> |
三月ばかり物忌しにとて、かりそめなるところに、人の家に行きたれば、木どもなどのはあかはかしからぬ中に、柳といひて、例のやうになめかしくもあらず、・・・
さかしらに 三月三日・・・柳などいとをかしきこそ更なれ、それもまた眉にこもりたるをかしけれ なまめかしもの、柳の萌えたるに、青き模様かきつけたる文・・・ |
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<源氏物語 |
はるばると霞わたれる空に、散る桜あれば、今は開けそむるなどと、いろいろ見渡たさるに川添柳の、おきふし靡く水影など、おろかならずをかしき、・・・ |
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若葉下> |
二月の中の十日ばかりの青柳の |
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<徒然草 |
柳原の辺に、強盗法印と号する僧あり、度々強盗二会いたるゆゑにこの名をつける |
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237 |
柳筥に据うる物は、縦様、横様、物によるべきにや |
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<栄花物語8 |
物の数、書きたる文、やないばこに入れて参れり。 |
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<名月記> |
元服「先、冠(置二柳筥蓋一、置二座右一)、次,沺杯(不レ居レ台置 柳筥一、置座右) |
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<公任集> |
昔より、あけの衣は名のみにして柳色なる、年を経るかな。 |
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<山家集 |
なかなかに |
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<堀川狂歌集 |
色青く気力なくして、柳腰、よう振ることを、など好むらん。 |
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<鬼貫独言> |
柳は花よりもなほ風情あり、水に引かれ、風に従いてしかも音無く、夏は笠舞うして休ら人を覆い、秋は一葉の水にうかみて風にあゆみ、冬は時雨におもしろく、雨になかめ深し |
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<仮名草紙> |
ながき物の品々 正木の葛、青つずら、青柳のいと、… |
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<謡曲本 |
仏あれば衆生あり、衆生あれば山姥あり、柳はみどり、花は紅のいろいろ |
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遊行柳> |
老木の柳の髪も乱るる白髪の老人、忽然と現われ出たる烏帽子も |
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蟻通> |
江北の楊陰の、緑もて繋ぐ駒。かくともしらで、 |
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卒塔婆小町> |
楊柳の春の風に靡き行く |
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実盛> |
水の緑も影うつる 柳の糸の枝垂れて 気霽れては風新柳の髪を梳り |
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墨田川> |
なう あの向ひの柳の下に人の多く集りて |
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関寺小町> |
柳は風に欺かれ緑漸く垂れり、青柳の緑絶え詠む言葉はよも尽きじ。 |
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天鼓> |
秋風楽なれや松の声柳葉を払って月も涼しく星も相逢う空なれや |
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船弁慶> |
終りには靡く青柳の枝を連ぬるね御契り |
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芭蕉・山姥・三輪> |
柳は緑、花は紅、 |
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<昆陽漫録> |
御楊 |
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<長唄 岸の柳> |
柳の眉の流し目にそのあさずまをもやひ船 |
<俳句> |
から傘で |
芭蕉 |
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八九間 |
芭蕉 |
小鯛さす |
芭蕉 |
青柳の |
芭蕉 |
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柳散や |
暁台 |
鼠食う |
太紙 |
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青柳や |
蕪村 |
落し水 |
蕪村 |
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横に降る |
蕪村 |
梅散りて |
蕪村 |
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さし柳 |
一茶 |
青柳や |
柳居 |
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柳絮とぶ |
虚子 |
芽柳の |
占魚 |
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さし木ぞと聞くは恐ろしき柳かな |
白笑 |
軒口に |
真伝 |
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光陰をたつると庭の柳かな |
逆甫 |
池水に月影洗うやなぎかな |
昌化 |
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角々に高きやなぎの梢かな |
紹巴 |
青柳の留守は預ける門の鎖 |
成美 |
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青柳や |
千代女 |
垂柳 |
水木真貫 |
【名前】
ヤナギの語源は冒頭に述べたとうり。
Salixというのは、ケルト語で
Sal(近い)
+ lisk(水)
というのと
ラテン語の salire(跳躍) 正長が早いことから
ドイツ語
Weide
フランス語
Saule
、Saulee,
アラビア語
Safsaf
ヘブライ語
Caphcaphar
【用途】
用材
器具・箱などの機材、俎板、製図版、碁盤、下駄、楊枝ヨウジ・マッチの軸、ナメコ・キクラゲの榾木、
小枝は皮を剥いで行李を編む。軽くてクッション性に富む
材は柔らかく建築材に不適であるが、弾力があり衝撃を緩衝することから、火薬を入れる箱、旅行用トランク、防暑用帽子、海難用浮標 に用いられた。ドロノキの木炭は軟質で、黒色火薬の原料にする。
中華国では、柳絮を羊毛に代え、褥を作り、少児を寝かせるによいとされ、葉や皮の煎汁は通風の罨法薬にした。樹皮から1819年サリシンが抽出され、1838年これからサルチル酸が製された。
Salitylic
acid は殺菌力が強く、皮膚病に用いられ、また是よりアスピリン/サロメチ-ルなどの医薬品が合成される。
ヤナギ科Salicaceae |
ヤナギ属salix |
第一類 |
枝垂性樹種 |
シダレヤナギ |
s. babylonica |
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変種 |
コシダレ |
s. |
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コゴメヤナギ |
var. |
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クダリウョウ |
var. |
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var. |
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|
var. |
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var. |
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|
オオシダレ |
s. |
|
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ロッカクオウ |
s. |
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ミチノクシダレ |
s. |
|
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|
コウライシダレ |
s. |
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イヌシダレ |
s. |
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第ニ類 |
準庭樹種 |
カンリュウ |
s. |
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変種 |
ウンリュウヤナギ |
s. |
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スイリュウヤナギ |
s. |
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|
マンジュウヤナギ |
s. |
|
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ネコヤナギ |
s. |
|
|
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|
ネコシダレ |
s. |
|
|
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|
クロヤナギ |
s. |
|
|
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|
チョウセンネコヤナギ |
s. |
|
|
|
|
カワヤナギ |
s. |
|
|
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|
タイリクヤナギ |
s. |
|
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|
キヌヤナギ |
s. |
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|
|
チャボキヌヤナギ |
s. |
|
|
|
|
ホソバキヌヤナギ |
s. |
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|
コリヤナギ |
s, |
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|
|
|
s. |
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|
イヌコリヤナギ |
s. |
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リュゾウジヤナギ |
s.Hayatana |
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フリソデヤナギ |
s. |
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第三類 |
喬木性種 |
バッコヤナギ |
s. |
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|
シロヤナギ |
s. |
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|
コウライヤナギ |
s. |
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|
エゾヤナギ |
s. |
|
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|
コメヤナギ |
s. |
|
|
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|
オノエヤナギ |
s. |
|
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|
シャヤナギ |
s. |
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|
タチヤナギ |
s. |
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アカメヤナギ |
s. |
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|
オオネコヤナギ |
s. |
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ヨシノヤナギ |
s. |
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第四類 |
潅木種 |
ミネヤナギ、ヘビヤナギete.他に顕著なものなし |
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ハコ ヤナギ属Populus |
ドロノキ |
p. |
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ケドロノキ |
p. |
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ヤマナラシ |
p, |
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エゾヤマナラシ |
p. jesoensis |
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|
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チョウセンヤマナラシ |
p.Davidiana |
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アメリカヤマナラシ |
p.nigra |
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変種 |
ポプラ |
p,var.italica |
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ギンドロ |
p. |
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テリハドロノキ |
p,Limonii |
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ヒロハハコヤナギ |
p, |
|
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|
オオバギンドロ |
p, |
|
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|
トウシドロ |
p, |
|
|
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|
オニドロノキ |
p, |
|
|
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|
バルサムヤマナラシ |
p.Takamahoca |
|
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ナガバドロノキ |
p.cathayana |
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ケショウヤナギ属Chosenia |
ケショウヤナギ |
c, |
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オオバヤナギ属 Toisusa |
オオバヤナギ |
t. |
||
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|
トカチヤナギ |
t,var. |
|
カミコウチヤナギ属Toisochenia |
カミコウチヤナギ |
t, |
ヤナギ類の鑑定で、花蕊の数・形が重要であって、シダレヤナギ の雄蕊は2本、タチヤナギは3、カワヤナギは1、アカメヤナギは5.