Ad-05. すすき










Ad-05.
すすき

為酢木・須酒伎・須珠吉;{をばな
乎花・草花}


ススキ・{旗須ヾ木 ハタススキ}・{尾花 ヲバナ}

漢語;芒ボウ

[万葉集記事] 

すすき

03-0307
皮為酢寸

07-1121
細竹

10-2221
為酢寸

10-2277
為酢寸

10-2285
為酢寸

15-3681
須々伎

17-4016
須々吉

はたすすき

01-0045
旗須々木

08-1637
波太須珠寸

10-2089
旗荒

10-2283
皮為酢寸

10-2311
皮為酢寸

14-3506
波太須酒伎

14-3565
波太須々伎

16-3800
者田為酢寸

17-3957
波太須酒吉

はなすすき

08-1602
波奈須為寸 

以上17

をばな

08-1533

08-1538

08-1564

08-1564

08-1572

08-1577

08-1637

09-1757

10-2110

10-2167

10-2172

10-2242

10-2270

10-2277

10-2292

15-3691

16-3819

20-4295

20-4308

以上19

()
03-0307

雑歌
博通法師、紀伊国に往きて、三穂の岩屋をみて作れる歌参首の1

皮為酢寸
久米能若子我 伊座家留 美穂乃岩室者 雖見不飽鴨

はだすすき
久米の若子だ座いさしける 美穂乃岩屋を見れど飽かぬかも

注釈:

博通法師=伝不詳.

美穂=和歌山県日高郡美浜町

はだ薄=久米の枕詞、懸り方不明

()03-0307

秋雑歌
内舎石川朝臣広成いしかわのあそんひろなりの歌
ニ首の一

目頬布 君之家有
波奈須為寸 穂出秋乃 過良久惜母

水めずらしく
君が家なる花すすき 穂に出づる秋の すぐらく惜しも

注釈

石川朝臣広成=天平宝宇2年従五位

花すすき=穂のでたススキ

()10-2089

秋の雑歌
長歌

乾坤之…
艫丹裳 舳丹裳 船装 真梶繁坂 旗荒 本葉裳具世丹
秋風乃 吹来夕丹

天地あめつちの…艫ともにも舳にも
ふねよそひ 真楫まかぢ繁抜き
はたすすき 本葉もとはもよそに 秋風の
吹き来る夕よいに 天の川 白波しのぎ
落ち檄たげつ…

注釈

旗薄=穂が旗にように出揃ったススキ。 

真楫繁貫き=左右そろった櫓を沢山揃えて。 

白波しのぎ=白い波を乗り越えて、 

()15-3681

秦田麻呂肥前国松浦郡狛嶋亭に船吐せし夜、遙かに海の波を望みて、各旅の心を慟みて作れる歌
七首の一

可敞里伎弖
見牟等於毛比之 我夜度能 伎波疑須伎 麻多婆久流思母

帰り来て見むと
思ひしわが宿の 秋薄 薄ちりにけむかも

注釈

松浦郡=佐賀県と長崎県北岸のあたり。

狛島=唐津市の神楽島?

秦田麻呂=伝不詳

()17-4016

高市連黒人の歌一首
右はこの歌を伝え誦めるは、三国真人五百国みくにのまひといわくになり

売比野能
須須吉於之奈倍 布流由伎尓 夜度加流家敷之
加奈之於毛倍遊

婦負の野の
薄押しなべ 降る雪に 宿借る今日し 悲しくおもはゆ

注釈

婦負=富山県呉西に広がる平野。

三国真人五百国=伝不詳

()20-4308

七夕の歌八首のうち

波都乎婆奈
**尓見牟登之 安麻乃可波 幣*奈里 尓家良之年緒奈我久

初尾花ハツヲバナ
花に見むとし 天の河隔ヘナりにけらし
年の緒長く

注釈

初尾花=次の花を導く枕詞

花に見る=花妻としてみる

[概説]

ススキは、日あたりのよい原野に、普通見られるイネ科の植物で、知らない人は居ないに程である。

秋の始めに花穂を出し、之を尾花と称して、十五夜の晩に月見団子と共に飾った。別に、荻オギという植物があり、これは明らかにススキと違うのであるが、同じような花穂を出すのでこれもススキに含めることもある。そして、ススキの葉茎は屋根葺材に用い、その時は萱カヤと言い、これまた古文に多く出てくる。

<古事記
上 大国主命
>

山所の一本須岐項傾し汝が泣かまさく時雨の霧に立たむぞ

<古事記
下 安康天皇
>

そのたてる足は、荻ススキの如く、指挙たる角は枯松の如し、

<日本書記
9神功>

九年三月任申朔、皇后選吉日斎宮、親為神主、…亦間之、徐是神神乎、答曰、幡荻ハタススキ穂出吾也、於尾田吾田節之淡郡居之有也

<日本書記
仁徳
>

宮垣崩るれども造らず、茅茨壊るれども葺かず。

<摂津風土記逸文(雄伴郡)

夢野
須須紀草生大利

花穂を尾花というのは、獣の尾に似ているからで、薄花・芒花・袖波草とも云う。ススキという名の植物はススキ属に包含する数種のものの他に、アブラススキというのもあるし、ヨシの仲間で立派な雄花をつけるものがあり、観賞の対象である。反対に、カリヤスの類の穂は貧弱である。尾花とはススキの花穂であるから、集では”はなすすき”或いは旗に見立てて“はたすすき”と云っている。”しのすすき”とは、なよやかな細い薄の穂を細竹に見立てたのである。風媒花であるから、目立つ花弁はないし香りもなく、華麗さは全く認められないのであるが、これを愛でるのは日本人の独特の感受性であろうか、秋の七草の一である。

尾花色:
靭、おばな栗毛、

おばなの粥:
宮中でススキの花穂を黒焼きにして白粥に混ぜた。八朔の祝に食す、疫病を除く呪い。江戸時代に民間に広がったが、黒ゴマを替わりに使った。

おばな細工:
ススキの枯穂を組んでミミズク、フクロウなど作る。

<松の落葉>

すすきとはあつまり生じ、繁りたる草をいひし事にて、和名抄にも草衆生曰レ薄といヘリ又日本書記神功皇后の巻に幡荻ハタススキ穂出吾也、孝徳天皇の巻に三河大伴直蘆とありて、荻蘆のもじをともにすすきとよめるも、集り生るゆえにこそ、さて乎花はものにより、ことにあつまり生しげれば、中むかしよりは自からにこの草の亦の名の如くなれるなるべし。

<東雅
15
草卉〉

ススキ
和名抄に爾雅には草の聚生を薄と云ふ。万葉集の歌に花薄の字よむでハナススキといふと註にあり、その註せし所の如き、薄の字ススキと読む事然るべしと思へりとも見えねど。また正しくいずれの字を用ゆべしといふ事も見えず、陳臓器李東璧などの本草に拠るに、芒は爾雅に忘に作ると見えしは、茲にシノススキ等云ひし物に類して、その出でぬるをばハナススキといひ,其花をばヲバナといふなり、ススキとはヲギをいふ名に対し云ふなり、スヽとは猶サヽといふが如し、其の細くして細きをいふなり、キは其葉の人を傷ふ事刃の如くなるをいふなり、オバナとは万葉集に麻花としるせり、糸の乱れたるやうになるをいふと旧説には見えたり。

藻塩草にススといひ、ササといふ、其語の転せしにて義は同じ、例えば雀をスズメといひ、鶵鵪をササキといふ、其にこれ其小鳥なるをいふが如し

万葉集抄にミクサとはススキなり、真草の義にてミクサといふべし、此集義読の中、草花とかきてヲバナと読む、是ススキは真の草なるなり、万木千草多かりといへども、神紙を祝ひかざり祭るに、榊をミサカキといひ、ススキをミサカキといふべし、天照大神天岩戸にこもり給ひし時、野槌者採二五百箇所野薦八十五籤一と云。此れによりて信濃諏訪明神もみさやまのかりやに、花ススキを採りてミスサを奉るといふ是也と見えけり、日本紀には野薦の字スゞとよむを、纂疎に薦は小竹之名と註せられたり、万葉集抄の説によればススはススキ也、纂疎の説によればスズといふは猶小竹よむてササといふが如し、いづれか是なる事知らず。

<大和本草
6
民用草>

カヤ・ススキ
時珍曰、芒有、皆叢生、葉皆如茅而大、長四五尺甚快利、傷人如鋒刃、七月抽長茎、開白花穂、如蘆葦花者芒也、五月抽短茎、開花,如芒者石芒也、今按本邦所在、時珍がいへる如く長短二種あり、短者カヤと云、山野に遍く生ず、薪とし、屋を葺く者是也、長い者をススキと云、茎紅なり、秋花有り、植えて藩籬とし、切りて箔スダレとし、壁代とし、箸とし、其茎穂は箒とす、長短並に甚民用に利ある事、五穀麻綿に継蹴り、屋上の萱葺の古きと、萱簾の古きも皆効能あり、ススキにも又類多く、鷹の羽ススキ、葉に白文あり、鷹の羽の文の如し、トキワススキあり、冬に至て葉不レ枯、歌に尾花とよめるは、秋の末ススキの穂の出たる獣の尾に似たるを云。シノススキとはシノの如くなるを云、ハタススキとは旗をあげたるやうに穂の出たる也。ホヤススキとはススキの穂にて作りたるや也、十寸穂マスホのススキとは穂の長くして一尺ばかりなる也。マスウノススキとは真蘇方のススキを略せり、色赤きを云、糸ススキは葉細くして糸の如くなるを云、右いずれも歌に詠ぜり。

<和漢三才図会
92

山草〉


芭茅 杜栄 俗云尾花、云須須木、俗作蒲字

按忘*(俗用薄)其花作穂而翻々似物之尾、故俗呼名尾花、順和名抄引爾雅云、草聚生曰薄、此草似数茎簇生、竟以薄為此草名

鬼忘*オニススキ一名
常盤芒 葉潤於常、夏冬不凋,快利傷人手者也、

糸薓
之木須々木 葉有縦白文、夏冬不凋,快利傷人手者也

鷹羽芒
太加乃波 葉有白彪、如糸薓者也。 

一寸穂芒
末須保 或云未曾保 登蓮法師問ニ名何是也。

<箋註和名抄
10>

薄按古草叢生者、為須須伎,非一草之名

<重修本草綱目啓蒙
8
山草>

ススキ、ミダレグサ、ソデナミクサ、ツユソグサ、ツキナミグサ、ミクサ、テキリガヤ
秋に至て花あり、和歌にオバナとよめり、獣の尾に似たるが故なり、又アコメノハナと云う、シマススキは葉に縦筋あるを云、烏木コクタンの嫩きは竪に白き筋あり、是を間道烏と云、又葉に白き筋ある紫萼を玉簪と云、其例に倣て間道芒と名づくべし。又一種一本ススキは鉄焦ソテツの如く株高く立て、其上に葉を叢生す、漢名未だ詳ならず、トラススキは葉に虎班あるを云、鷹の羽ススキは斜に黄なる班ありて鷹羽紋の如、瓶花に多く用ゆ、歌に十寸穂の芒と云は穂の長くして一尺許あるを云、マスウノススキと云は真蘇芳マスオのススキを略するなり、色赤きを云、以上二名大和本草に見たり、また在原ススキは四季ともに枯れず葉大なり、歌にはトキワススキと云、集解石芒はイトススキ、小ススキなり、五月に花を開く、形状芒に同じくして小なり、掃箒はハハキ、敗芒箔は古きススキの簾、増、一種冬月葉の枯れざる者あり、カンススキと云、これにも竪に白き筋の入れたるあり、シマカンススキと云、又葉辺のみ白きものをカゲカンススキと云、至て細きものをイトカンススキと云う、共に正月に穂を生ず。

ススキに関する古典の解説は非常に多くあり、これによればススキという言葉は本邦で生まれたのであり、古くは萩・葦なども含めての総称であった。新井白石師の解説では少し、シツコクて却って判り難い所もあるが、広く扱っている。

ススキから誘導された名称に、(1)
紋所の形の名 (2)
カナメの色目で、表は蘇芳、裏が青色、
(3) 遊里で芸娼妓の揚がりなど。

ススキを日本漢字で 薄
と書くが、この本来の意味は (叢クサムラ・あれくさ)
であり、中華語では 芒
である。語源は
<大言海>すくすく生い繁るさま、<和名抄<爾雅>草の集り生ずること
と説明している。昔は芒・荻を区別していなかったようで、古事記や日本書紀では荻をススキと訓ませている。秋に出る花穂を尾花といって、和歌・絵画・美術品など日本的な題材に取り入れられている。

<古語大辞典>

イネ科の多年草
②薄の様に群がり集ること ③紋どころ

<大言海>

すすき:ススはすくすくと生ひ立つ意
キは草の体を云う。オギと同趣 ①草の群がりて生ふるもの
②前条の語の一草の名となるもの

ススキは、家屋の屋根葺き、壁の下台、簾スダレや葦簾ヨシズ、など住居に関連する材料に、また炊飯の燃料などに、昔時の生活に密着していた。現代はあまり見られなくなったが、でも海水浴場の氷と書いた暖簾の掘っ立て小屋などにいくらかは懐かしく残っている。十五夜の名月には縁側に、キキョウとススキを活け、それに団子を添えて月見を興じた。また、盆の大文字焼は山の斜面のススキを焼いて今では観光対象となっているが、昔時は京の都ではカヤの需用が多かったので、,野火で焼くと他の雑草は焼け失うが、ススキの地下茎は火に強く残るので、良いカヤを採るために火を付けるのである。ススキは有機物が不足でpH4
以下の酸性痩欠土壌の方が生育に合っている。

ススキには鋭いガラス質の鋸歯が葉縁に付いているので、この葉を裸手で扱くと切れて痛い目に合う。一般にイネ科の植物は土中のSiO2を吸収して、植物体が倒伏しないように強化する作用をしている。土壌の珪酸質が溶けるというと、奇妙に感ずるかもしれないが、毛根から分泌されるクエン酸によって可溶となり、これによって植物は吸収する。然し、構成する珪酸鉱物によって可溶率は大幅に差違がある。蛍光X腺回折によって鉱物が解明されるが、ここでピークの現われない無晶質のガラス質のSiO2が可溶性と言える。

植物

ススキ Miscanthus
sinensis Anderss, Saccharum japonicum Thunb., M. purpurascens
Andrew., M. corresis Hack, M. hidakanus Honnda

南千島~琉球の日本全土・朝鮮・中華国の広範囲に亘り分布。日当たりのよい平地・山地に普通に生える。栄養分の少ない乾燥ぎみの開拓地などに、飛来した種で最初に生えるのが本種であり、初めは弱々しく一本立ちしているが次第に株を造り、集落は全地面を覆うようになる。粗剛な多年草で、草丈12mに達する。葉は線形で裏面が少し白がかって、葉縁はざらつき細かい刺歯があって、触ると痛い。短い茎の両側に対生に10葉前後の組みとなって伸びるが、8月後半頃に中心部からニ三枚の腺形の択葉をつけた茎を伸ばし頂部が割れて、そこから花穂を出す。花序は長さ2030cm,多数の細長い総苞を10本位、一方に傾いた散房花序を作る、小穂は2個づつ付き、両性、長さ58mm披針形で、汚黄色を帯び先が尖る。基毛は長さ8~12mm白色まれに紫色・淡紅色を帯びる。第4穎エイに芒がある。変形種例えば小型のもの、斑入り葉、細い葉などがあり、園芸に栽培される。

補説

1
花穂の各軸の節毎に2個からなる小穂をつける。1個には柄がなく、もう1個には短い柄が着く。小穂に芒がある。
(オギとの違い)

2
メシベは穀褐色、葯は黄色。

3
小穂の基部に1
cm内外の白い毛がある。開花の初めは立っているが、後に広がって相撲取りのサガリのようになる。

4
葉の中脈は盛り上がって、葉の基部は葉鞘になる。

5
地下茎は伸びず、先端が上向きになって芽になる。
(オギとの違い)これを仮軸分枝という。主軸の先端の生長が止まって則枝が出る。地下茎が這い、それから幾つもの芽がでるのを単軸分枝という。

近縁種

シマススキ

var.
gracillimus Nakai

タカノハススキ

forma
zebrium Nakai

イトススキ

forma
gracillimus Ohwi

ムラサキススキ

forma
purpurascens Nakai

エゾススキ

forma
decompositus Nakai

トキワススキ Miscanthus
floridulus Warb
カンススキ、アリハラススキ.

本州では関東以南・沖縄・台湾・太平洋諸島など、暖地の草地を好み、形状はススキに似るが、大型で草丈2mに達する。花穂は7月に出穂し、立派で40cmもあり、花穂中軸が長く小穂は短く密につける。冬季でも緑を保つので常盤薄と、また姿が立派に整っているので業平薄という。

補説

1.
2年がかりで生長する。

2.
昔はこの茎葉でものを縛るに丈夫であったので、田の畦や堤防などに植えてあった。

3.
ススキと同じく、小穂は2個の花からなり、1個は長い柄が、1個には短い柄が着く。

ハチジョウススキ Miscanthus
condensatus Hack.

暖地の海辺に生え、ススキに似てより大型で、葉は23cmと幅広くざらつきは少ない。冬でも緑は残っている。花序の中軸は短いが多数の穂を着ける。日本では太平洋側の暖かい海辺、台湾、中国、太平洋諸島に分布する。

カリヤス Miscanthus
tinctoris Hack .

本州中部の山地の日当たりのよい場所に生育する多年草。ススキよりやや小型で、茎は直立し群生する。葉は薄質。長さ2040cm、巾815mm先端は次第に尖り、下部は鞘となり茎を包む。花は8~9月。花序は直立し、掌状に3~10本の分枝を出す。小穂の葍に芒はなく、基部の毛も薄い。古来黄色染料に応用があり、とくに伊吹山麓のものを良質とした。

名前

薄・芒・須須伎・須須吉・須為寸・須珠寸・須酒伎・為為木

「方言名」

イチモンガヤ・オトコカヤ・オバナ・カヤ・ジュウゴヤグサ・ススツカヤ・テキリグサ・トバシグサ・フキグサ・ミミツンボ・ヤネカヤ・

「語源」

(1)
すくすく生ひ立つ、キは草本の意味
<大言海>

(2)
進む草の意
<言元梯>

(3)
神楽に用いる鳴物用の鈴の木

(4)
ススキのススはササにも通じ、細かい事、キは切先の如く人を傷つけるから
<東雅>

(5)
スは細い意でそれが叢生することから二重とし、キは草をいう
<和名抄>

(6)
煤生の訓
キはキザスの略か
<関秘録>

(7)
スクスククキ直直茎の義
<名語紀・日本語原学>

(8)
葉に赤く血のついたような部分があることから血ツキの意
<滑稽雑談>

(9)
秋のスズシイ時に花穂をつけること
<日本釈名>

(10)
サヤサヤキ清々生の義か
<名言通>

(11)
韓国語SHUSHU,
中国語SHUZ-SHUZ
(
秫々)と擬似するところがある・

(12)
思草(ナンバンキセル)を本種に比定する説

「別名」

尾花、茅カヤ,萱、男榧、屋萱、衵アコメの花、袖振草、乱草、頻波草、袖波草、月波草、露見草、露曾草、荒草、旗薄、花薄、かやんば

「漢語」

芒・地筋・芭芒・芒

「英語」

Pampas
grass

古文

<古今和歌集
242>

今よりは
うゑてだにみじ 花すすき ほに出る 秋はわびしかりけり

平貞文

243>

秋の野の草のたもとか
花すすき 穂にいでて 招く袖と見ゆるらん

在原峯梁

318>

今日よりは
つぎてふらなん わがやどの すすきおしなみふれる白雪

よみ人しらず

653>

花薄ほにいでて恋ひば
名を惜しみ 下結ふ紐のむすばほれつつ

小野春風

853>

君がうゑしひとむらすすき
虫のねしげき野辺しなりけるかな

三春の有輔

<枕草子
67
>

ここに薄を入れぬ、秋の野のおしなべたるをかしさは
すすきこそあれ

<源氏物語
藤裏葉
>

小さき木どもなりしも、いと繁き陰となり、ひとむら薄も、心にまかせて乱れたる

柏木>

心にまかせて繁りあひ、ひともとこそ薄も、たのもしげに広ごりて、虫の音添はん

宿木>

穂に出でぬ物思ふらし
篠薄まねく秋の露しげくして

<土佐日記>

はるののにてぞねをばなく
わかすすきに、できるてきゐつんだるなを

<金槐和歌集
213>

われのみや
わびしとは思ふ 花薄 穂に出る宿の秋の夕ぐれ

<源平盛衰記38>

三年が程書き尽きぬみずくきの数積もれども、ついに返事なく

<梁塵秘抄
373
>

風に靡くもの、松の梢の高き枝、竹の梢とか、海に帆掛けて走る船、空には浮雲、野辺には花薄

<大和物語
>

故式部卿の宮のいではのごに、まヽちヽの小将すみけるを、葉なれて後、女すすきにふみをつけてやりたりけせば、小将、

秋風に靡くをばなは
むかし見し 秋ににてぞ 恋しかりけるいではのごかえし

秋ともしのばざらまし
秋風をなびく 尾花のおどろかさずば

<山家集>

糸すすき
ぬはれて鹿の伏す野辺に ほころびやすき藤袴かな

吉野山
岡にすすき咲く 花は人の 祈るさへ 惜しまれるかな

56>

すすきしげる
秋の野風のいかならん 夜なく蟲の声のさむけき

西行

<袖中抄
19>

すぐろのすすき
顕昭云、すぐろのすすきとは春の焼け野のすすきのすえの黒き也、ゑもじを略してすぐろといへる也

あわず野の
すぐろのすすき つのくめばふゆたちなづむ 駒ぞいはゆる

ほやのすすき
顕昭云、ほやのといふ所信濃国に有り、その所にあるすすき也、或書にはちゐさやかなるすすきなりと書きたれど、されは如何とおぼゆ、 

しなのなるほやのすすきも風ふけばそよそよさこそいはまほしけれ

<新古今和歌集
4-347
>

をぐら山
ふもとの野辺の 花薄仄かに見ゆる 秋の夕ぐれ

女御徴子女王

350
>

野辺ごとに
おとづれわたる 秋風を あだにもなびく 花薄かな

左衛門督通光

462
>

わが宿に
尾花が末に しら露の 置きし日よりぞ 秋風も吹く

大伴家持

6-618
>

霜さゆる
山田のくろのむら 薄刈る 人なしにのこる ころかな

曽根好忠

8-793
>

朽ちもせぬその名ばかりを
とどめ置きて枯野の薄形見にぞ見える

大僧正慈円

13-1215>

結び置きし
袂だに見ぬ 花薄 かるともかれじ 君しとはずは


重之

16-1570>

花薄
秋の末葉になりぬれば ことぞともなく 露ぞこぼるる

後徳大寺左大臣

<夫木和歌抄
112>

咲きそむる
初花すすき 露かけて またいならさぬ よはの下紐

後九条内大臣

すすき
123

うちしめり
薄のうれ葉 おもりつつ 西吹く風に なびく村雨

藤原定家

都より
たづねいくのの 花すすき ほのかに照らす三日月の空

定家

花すすき
まそほんおいとを くりかけて たえず人を招きつる哉


俊頼

穂に出でて招く薄の
明日香風 袖吹き返す 秋の夕暮れ

藤原為家

露結ぶ
あだの大野の 篠薄 なにもねくらん 袖ぬらせとや

藤原俊成

あわつのの
尾花がうれを 風吹かば 寄せて返らぬ浪かとぞ見る

関白家丹後

<徒然草
188
>

この薄をいぶしく思ひけるやうに、一大事の因縁をぞ

238
>

秋の野の
袂か花すすき 穂に出でて 招く袖と見ゆらん

<蜻蛉日記
25>

穂に出で
はまづなびきなむ 花薄こちてふ風の 吹かむまにまに

26>

あらしのみ
吹きめる宿に花薄ほに出たりと かにやなからむ

38>

ほに出でば
道ゆく人も招くべき 宿の薄をほるがわり

296>

花すすき
招きもやまぬ 山里に 心のかぎり ととめつるんな

<斎宮女御集
985年頃>

ほのかにも
風はつげじな はなすすき むすぼほれつつ 露にぬるとは

<渡辺幸庵対話>

上総の内に山の根と云処あり、是諸星庄兵衛といふ人の御代官所也、是に池有り、池の堤より水中へ六尺計ありて、一本薄とて二十七本生ず、小さきは一尺余、大は一尺四寸も可之歟、根本三尺余も蘇鉄ソテツの如く、夫より末に薄一本には恒の薄の如く数百本生ず、穂にでることも野にあると同じ也。往古より人さわる事ならず。

<剪花翁花
4
8
>


芽は春彼岸後より生ず、穂八月上旬に出るなり、穂葉ともに用ふべし、郊野に生ずる、よて育て方いわず。

<浄瑠璃・近江源氏先陣館(1769)>

むむ。なるほど薄の穂にもおじるとや

お染久松(1789)>

前方大阪行きの土産に貰やった薄の簪。

<八雲御抄
3
上草>


後略

<催馬楽>

逢路(篠小須須岐)

<謡曲本
清経
>

垣の薄吹く風の

定家>

心は秋の花すすき

紅葉狩>

やたけ心の梓弓いる野の薄露分けて

<
関待小町>

道を願たの糸はへて織るや錦のはた薄

<虎明本狂言・腥物>

落人はすすきづると申すが…

<類名本赤染衛門集>

撫子の薄になりたるを見て、生ひかわるやなでしこの花すすき招けば人の

<長明四季物語>

放免の下人の袖袂につけたる百姓瓢のすすきに成りたるなれど

<雅俗随筆>

笠亭仙果「今に、尾花を専らすすきと云えど古くは群る草をすべてすすきと称ひ、爾雅釈草に草簇生曰薄と云うの従ひ薄のじをすすきと訓すなり

<神功称制前記>

幡荻ハタススキ,穂出吾也。

<雀の卵>

風に出でてながめながめて
ゐたりけりはろばろしさよ 河原すすきは

北原白秋

<朱葉集>

いと高く
穂上ぐる すすき大ぞらの雲の心を覗けるすすき

与謝野昌子

<無名秘抄
>

雨の降る日、ある人のもとに、おもふちさし集りて、古き事など語り出たるついでに、ますのすすきといふは、如何なる薄ぞ等云ひしろふ程に、ある老人の曰く、わたのべといふ所にこそ、この事知りたる聖一人あると聞き候しかども、いまだ尋ね聞かずといひ出たり、登蓮法師その中にありてこのことをきゝ,詞すくなになりて又問ふこともなく、主にいふ様、みのかさちとかし給へと言ひければ、怪しきと思いながらとり出でたり、物語りどもきゝさして、蓑うちき藁沓さし履て、いそぎ出けるを、人々あやしがりて、そのいわれを問ふ、わたのべといふ所へ罷るなり、年比いぶかしく思ひ給へしことを、しれる人あの人と聞て、いかでか尋ねにまからむといふ、驚きながら、さるにても雨やめて出たまえと諌めけれど、いでやはかなき事をのたまふかな、命は吾も人も雨の晴れなど待つべきものか、何事も今しづかにとばかり言ひすてていにけり、いみじかりけるすき物かな、さてほいの如く此の所へゆき、尋ねあはせて、とひききて、いみじう秘蔵しけり、このこと第三代の弟子に伝へならひ侍ける、此の薄のこと同じさまにてあまた侍也、ますほの薄、まそをの薄、ますうの薄とて三品あり、ますほのすすきというは、穂の長くて一尺許あるを云ふ、かのますかゞみをば、万葉集には十寸鏡と懸けるにて心うべし、まそすすきといふは、真麻の心也、俊頼朝臣よみ侍る、まそをの糸をくりかけて侍るとよ、糸など乱れたる様子なり、ますうのすすきとは、真にすはうといふ心なり、ますなうのすすきといふべきを、詞を略していふなり、色ふかき薄の名なるべし、是故集などにたしかに見えたる詞なれど、和歌の習ひ、かやうの古事を用いるもまた世の常の事也。人あまねくしらず、みだりに是をとくべからず。

<俳諧>

松風の
昼は根にある芒

蓼太

芒散りて
水いろいろと ながれ出ず

暁台

秋風に
露や 落武者薄の穂

毛吹草

物言えば
吹いて行くなり

芒の穂

朝帰
すすきの穂にも おじる也

柳多留

古株の
底やもやもや 薄の芽

子規

何事も
招き果てたる 薄かな

芭蕉

いなづまや
顔のところが 薄の穂

芭蕉

ともかくも
ならでや雪の 枯尾花

芭蕉

暁の
雨やすぐろの 薄はら

蕪村

狐火の
燃えつくばかり 枯れ尾花

蕪村

山は暮れて
野は黄昏の 薄哉

蕪村

追風に
すすき刈り取る 翁かな

蕪村

秋ふたつ
うきをますはの 薄かな

蕪村

枯芒
人に売れし 一つ家

一茶

散る芒
寒くなるのが 日にみゆる

一茶

此上に
貧乏招くな 花芒

一茶

をりとりて
はらりとおもき 薄かな

蛇杓

なにもかも
失せて薄の 中の路

中村草田男

きりぎりす
鳴くは薄の 日よけ哉

水木真貫

おばな

<定家三百首>

秋の野に尾花の波を
さき立てて はしる莬を鷹や逐うらん

<新拾遺
628

まのの浦や入海寒み
冬枯れの尾花の波にこほる月かげ

実朝

<後記17
大同三年
九月
> 

いかに吹く風にあれば
おぼしまの乎波奈の末を吹きむすびたる

<後選集
7
秋下>

誰聞けと
なく雁がねぞ 我宿の 尾花が末を過ぎがにして

<源氏物語
宿木
>

かれがれなる前裁の中におばなのものよりことにて、手でいて招くがおかしく

<浄瑠璃
芦屋道大内鑑
>

風のさそわれゆく道の
梢まばらに浦かれて 唯何となくさびしさに

尾花やすし

<俳諧>

をいをいをいたけた
蕨が尾花する

尾花散りや
髪の毛も吹く 風の筋

暁台

穂に出ぬ間
初穂 袖の尾花かな

頼実

尾花散り跡は袖なし
羽織かな

政孝

[用途]

草全体

まぐさ。

草茎

乾燥したものを、薄茅と称し、編んで日よけ
風除け・屋根葺

根茎

煎汁を風邪、頭痛に民間薬

花穂

観賞


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