Ad-13.
おほゐぐさ
於保為具左 『大藺草』
① フトイ
(カヤツリグサ科)
Scipus lacustris L. var. tabernaemontani Trautv.
②イグサ
(イグサ科)
Juncus effuses L. var. decipiens Buchen.
イグサ:
藺草・燈心草
漢語:
莞・雟・燈芯草・蓆
[万葉集記事]
14-3417 |
の一首 |
(一) |
上野国の相聞往来歌 柿木朝臣人麻呂の歌集に出たり。 |
|
加美都気務 |
|
上毛野伊奈良の沼の大藺草 |
注釈:
上毛野=上州(現在の群馬県)の古名
伊奈良の沼=場所不明
倭名抄
莞 漢語抄云、於保井 可ニ以為一レ席者也
[概説]
東歌を集めた万葉集第十四巻の歌集は、実に多くのそして珍しい植物が歌い込まれている。是等植物を歌の趣に合わせて懸詞にして養生するのみならず、歌の裏の意まで加えて美化表現している。30首許りあるこの上野国の歌のセットで、佐野
久路保 伊香保 可保夜
伊奈良などの土地名と、それに植物を織り込んで、何かを訴えている。是等「あずま歌」と呼称される歌は、恐らく「醜の御盾しこのみたて」となって徴用された地方の農民等が、故郷を偲んで詠った歌であるが、大宮人の定例化した歌調とは違った新鮮さを与えてくれる。
註
「柿本人麻呂の歌集」は万葉集編纂の資料となった歌集の一で、長歌・短歌を含め、人麻呂の自作と他人の作品が選ばれている。宮廷関係の作もあるが、民謡性に富むものが多く、テニヲハを省略して自由な表現を求めている。柿本人麻呂<年代不詳)は三十六歌仙の頭に選ばれ、また山柿の門と呼ばれ,本邦古代の歌聖である。人麻呂は繊細な感受性の鋭い人であったと見え、石見の国で自殺したとの説(02-0222)があり、そこの石川(高尾川)の河原で今でも歌人達が集まり、白い石を拾い、遺骨に見立てて追悼の歌会が行なわれている。
さて、本歌では「伊奈良の沼の大藺草」を題に採り、”他所で見ていた物より今の方が優れている”と直訳できるが、藺草を彼女に模した恋歌であるとの解説書もある。
おほゐぐさは今いうフトイであると
<万葉集品物解
鹿持雅澄
按ずるに世にいふフトイは莔クワンなり。和名抄には抄草類に載て筵にするものなり。>の記述あり。莞・大莞・香蒲はオホイであると古文に見える見える。
<倭名称> |
唐韻云 |
<箋注倭名類聚抄10草> |
玉篇云、莞似レ藺而円、可レ為レ席、小雅斯干釈文、莞草叢ニ生水中一茎円、江南以為席、形似二小蒲一、元応音義、莞草外似レ葱、内似レ蒲而円、爾雅、莞苻蘺、小雅斯干正義引二某氏注一云、白蒲一名苻蘺、楚謂二之莞蒲一、芸文類聚引二旧注一云、今水中莞蒲可レ作レ席也、郭璞註、今西方人呼レ蒲為ニ莞蒲一、江東謂ニ之苻蘺一、説文皖苻蘺也、莞艸也、可二以作レ一席 |
<倭訓栞 |
ふとゐ |
<重修本草綱目啓蒙 |
香蒲中略 莞 |
古代の人は、直接土間や板床に座っていたが、次第に莚・蓆・畳など敷物を宛がうようになった。之によって、足腰が痛くなくなり快適に居住することになるのであるが、これは次第に身分を表す道具にもなる。高位の人物は一段と高い敷畳に座し、身分の低いものは土下座させられた。此の敷物は、欧米人は動物の毛皮を、中東のアラビア人は絨毯などの加工した編物を、東洋人は藁稈を自然の形で組編んだものを使用した、これも履物と共に民族性を及ぼすものとして興味がある処である。
語源について、和名抄に”ゐ
はむしろにするものなれば居の義はるべし”と簡明に述べ、また藺の字を中国語の発音でlinであり、これが訛ったものという。その他、漢字で莞・莞莧・罐・茈・葫・萕・蓷・蔐
も使う。
<大言海> |
い藺 ふとい |
<箋註倭名類聚抄> |
唐韵に云う鬲 |
<本草綱目啓蒙> |
藺花=虎髭草こしゅそう |
<本草和名> |
藺、和名為、弁色立成云、鷺尻刺 |
ゐぐさはこれを編んで畳表を作るのであるが、もう一つ重要な用途は燈火用の灯芯であって、藺草の茎の外側の皮を剥ぎ、中心の髄部を燈芯として用いられる。今は仏壇・灯篭茶席などに僅かに残っているに過ぎないけれども、電灯の無かった古の人は本を読むに光源は蝋燭か、この瓦掛カワラカケ灯に頼ったのである。
また、鷺尻刺と珍妙な別名が付けられて、これは尻草から知草へと転訛するのであるが、葦芽も左様に言うことがある。人間がまだ蔓延らない頃、河の下流に出来た三角洲は泥沼であり、茲にはアシ・ガマ・イなど密生するいわゆる葦原であり、そこには小魚や蝦蟹・小貝・昆虫など多く発生し、それを餌にする雁や鶴や鷺の安息所でもあった。首の長い鷺は餌を啄ばむとき、頸をヒョイと伸ばすと尻も動く。その尻に先の尖ったヰグサがチクリと刺す。なんとユーモラスな空想風景ではないか。
<和漢三才図会 |
粽心草 按藺玉篇云、似レ莞而細堅宜レ為レ蓆、今原野叢生似ニ燈芯草一而微扁、流一尺余、中空而二白瓤一、中長者起レ茎生ニ杦葉一如ニ糸芒一、以二指爪一拗レ葉、則音為レ莎鶏声 燈芯草 按燈芯草用ニ小刀一、按レ指以裂レ皮取ニ白穣一、凡剥二六斤一得二白穣半斤一者為レ上、武州之産肥大為ニ最上一、江州之産レ之、凡貯ニ金レ灯心一略熬二熱湯一、晒乾則卿レ久不レ痩、以二毎十一月子日一貯レ之、未レ知ニ其拠一也、備後備中者白穣少堪レ織レ席。 |
<重修本草綱目啓蒙 |
燈芯草 穣の名は 原野下湿地及び池沢の傍に多し、自然生は皆苗短細なり、江州にては冬より夏に至るまで水田に裁ゆ、これを燈芯田といふ、その草長大にして五尺に及ぶ、采て蓆の織るを近江蓆と云、その席豊後に比すれば其粗雑にして下品なり、草長き故に中にて継がず、丹波よりもこの席を織り出す、丹波蓆と云、又此の草中の白穣を出して灯火に供するを燈芯と云、煮ずして芯を出すを生草と云、薬には生草を佳なりとす、今常用の者は皆熟草なり、 |
<重修本草綱目啓蒙 |
石龍芻 水田中に種ゆ、燈芯草の類なり、燈芯草より細くして短し、長さ二尺許、備後福山より蓆に織り出す。備後蓆となづく。其草織細なる故、席至って蜜なり、短き故席中にて続き織る、故に中継ぎとも云、席中の上品なり、近来豊後辺よりも織り出せども草粗にして豊後の産に及ばず。 |
日本の文化は畳に始まるとの言葉があるが、畳表を織る材は大別して二種あり、ひとつは藺草イグサと呼ばれるイグサ科の植物であり、他の一種は大藺オオイと呼ばれているカヤツリグサカの一群であって、この方は雟クワンとも呼ばれるが両方は屡々混同し、しかも地方により各種のものを用いている。カヤツリグサ科でありながら茎の断面は円形であることから、マルスゲと云い、また葱の種かとも見られ、水葱とも書く。
日本伝統でありながら優勝の出来ない柔道なる競技は、かっては畳の上で行なわれた。この畳は柔道畳と言って、目の粗い粗剛な畳表のフトイを原料としている。之に対し普通家庭用の上質畳表はヰグサを原料とし、其の産地の備後や肥後は畳表は継編みを技術とするものである。イグサは、水を薄く張った泥田に8月頃定植され、来年の6~7月に刈り取り、蛇紋岩や凝灰岩の粉末泥に浸してから乾燥する。泥水に浸すことによって、畳の青色が保たれるのだどいう。最近は硫酸銅液に浸して、Cuクロロフィルに化成し安定な緑色とする方法が採られる。
以前は岡山県・熊本県がイグサの栽培県であったが、最近は廃れて、国内需要の65%はヴェトナムから輸入されている。ヴェトナムは国土がアメリカ軍の枯葉剤撒布作戦によって汚染され、そこでの米は残留農薬が未だに濃くて食せない情況となった地域があり、代替栽培物をイグサに求めたのである。
畳はクッションがよく、乾湿を調整するので、世界に誇るべき敷物であに拘わらず、最近の欧米化生活に合はず、日本の若者は、畳に敷布団の寝所はダサイと敬遠の傾向にある。
さて、掲歌のよそに見しよは
今こそ勝れに関して若干の考察を加えるてみることにする。
藺草というとイグサ科 Juncus
のイ Juncus
effuses Beauv.var.decipiens である。ところが其れより勝れているものとすれば、カヤツリグサ科
Cyperaceae のフトイ
Scirpus lacustris
L. tabernaemontani
Trautr.であろうと解読できる。イ(ホソイ)とフトイは名前が対比しており所属科こそ違うが、形態もよく似ており、両者ともに蓆に織る材料である。イには変種の多いことが知られ、また栽培条件で生育の程度に差の起こり得るのであるが、ホソイとフトイを見誤った可能性が十分に考えられるのである。倭名類衆鈔にある『藺者如意』の記述について、辞書を繰ると”如意”とは自分の思いの儘になる事と載っている。しかし如意の本当の主意は仏教語で佛尊の意に従うことである。話は飛ぶが、<源平盛衰記>に義経が奥州に下る段で、関所に見咎められることが書いてある。其関所は{如意渡}で、弁慶の機転で義経一行は対岸の六渡寺に逃れ、その夜は四方に翌日は宮崎に宿泊したと。此の話は歌舞伎舞台に、勧進帳という名の下に取り入れられ十八番に定着しており、その場所は「安宅関」となっている。其の関所の場所は各地で名乗りを上げているが、六渡寺から宮崎にいたる地名が現存することから、著者は越中国今の伏木串岡であろうと確信するに至ったのである。其場所は藺草が繁茂していたため如意渡と名付けられたのであろう。藺はイグサ、意をフトイとすれば藺者如意の意味は簡単に解ける。抹香臭い難しい仏教的の注釈はない筈である。
植物
イグサ科 Juncaceae
には世界に8属約300種があり、内、日本に在種のものは、イグサ属
Jucus とスズメノヤリ属
Luzula の2属である。
イグサ属 |
クサイ亜属 |
ヒメコウガイセキショウ、ドロイ、クサイ |
イグサ亜属 |
ミヤマイ、イグザ、ホソイ、イヌイ、ハマイ |
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セキショウイ亜属 |
セキショウイ |
|
タカネイ亜属 |
タカネイ、エゾイトイ、クロコウガイセキショウ |
|
コウガイゼキデョウ亜属 |
ホソコウガイセキショウ、ホムロイコウガイ、コウガイセキショウ |
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スズメノヤリ属 |
ヌカボウシ亜属 |
ヌカボシソウ、ミヤマヌカボシソウ |
ヤマスズメノヒエ亜属 |
ススメノヤリ、ヤマススメノヒエ、オカススメノヒエ、タカネススメノヒエ |
|
クモマススメノヒエ亜属 |
クモマススメノヒエ、コゴメノヌカボシ |
カヤツリグサ科 Cyperaceae
は全世界に約70属3,700種を擁する比較的大きいグル-プで、この中に敷物に応用されるものがあり、ハリイ・ホタルイなどイの名前が入ったものがある。
スゲ属 |
|
ヒゲハリスゲ属 |
|
シンジュガヤ属 |
|
ヒモトススキ属 |
|
アンペライ属 |
アンペライ |
ミカズキグサ属 |
|
ノグサ属 |
|
ワタスゲ属 |
|
クロタマガヤツリ属 |
|
ヒンジガヤツリ属 |
|
テンツキ属 |
ヤマイ |
ハタガヤ属 |
|
カヤツリグサ属 |
|
ハリイ属 |
クログワイ・ミスミイ・マツバイ・チャボイ・シカクイ・ハリイ・ヒメハリイ・ヌマハリイ |
ホタリイ属 |
ミネハリイ・ビヤッコイ・ヒメホタルイ・ホタルイ・フトイ・カンガレイ・サンカクイ・シズイ |
|
イグサ科 |
イネ科 |
カヤツリグサ科 |
茎形 |
円柱形 中実 |
円柱形 中空 |
三稜形 中実 |
葉 |
2列互生 |
2列互生 |
3列平生 |
葉鞘 |
円筒形、離生OR合着 |
筒状、重覆OR合着 |
筒型 |
葉舌 |
ない |
ある |
ない |
葉耳 |
ある |
前葉はない |
膜質の前葉がある |
花 |
小型、小穂を作らない |
小型、外側に護頴、内側に内頴 |
小穂、外側に鱗苞がある。 |
花被片 |
6、頴状で果時まで残る。 |
2~3個、鱗被に退化する |
剛毛 |
子房 |
3心皮 |
1 |
3~2心皮、1室1胚芽 |
果実 |
朔果・胞背裂開 |
頴果 |
痩果 |
種子 |
3 |
|
|
この対比表はあくまで基本を示すものであって。例えば本項でテーマとするフトイはカヤツリグサであるが、その茎は丸型である。茎が4角のシカクイというものもある。カヤツリグサと云うのは、3角の茎をとり、各辺に沿って裂くと4角の展開となることを蚊帳に見立てたものである。
① イ (イグサ)
Juncus effuses Beauv. var. decipiens Wight
イグサ科 別名 トウシンソウ
日本各地
北海道~琉球・樺太・台湾まで、野山の湿地に生える多年草で、草丈30~60cm,ただし栽培品は120cmに達するものあり。茎は円柱形、下部の径は2~3mm程度、髄は白色乾質で柔らかい。基部は赤褐色で光沢ある鱗片葉あり。花序は多数の花からなり、最下柹は長さ10~20cm,小さい花を6~9月につける。雑種が多い。茣蓙・畳表にする栽培品は「コヒゲ
cv.utilisという品種である。観賞用の虎斑、八伏せ、あり
補説
1.
クキは殆どちかけいであって、地上に花茎(軸)が真っ直ぐに伸びる。畳表にするのは、この花軸である。
2.
葉は鱗状の葉鞘となって、下部の茎につく。炭酸同化作用をするのは、花軸である。
3.
花軸の頂部に花群をつける。花群の上に尾のように伸びるのは、苞である。
② フトイScirpus
tabernaemontani Gmel; S. lacustris L. var.tabernaemontani trautr
カヤツリグサ科ホタルイ属 別名
オオイ・トウイ・マルスゲ
日本各地・樺太・千島・朝鮮にまで分布する。池沼の浅水帯に生える大形の多年草で、根茎は太く、横に這う。茎は粉緑色で円形.葉は退化して褐色の小鞘状になっている。基部は径~15mmになり、高さ1~2mにも達する。花序は茎側に出来て数個の枝の端に1~3個の小穂が付く。苞は1個で茎に続くが花序より短い。小穂は卵型で赤褐色を帯び、長さ5~10mm.果は長さ2mm,倒卵形・レンズ型で、灰黒色、平滑で光沢がある。柱頭は2、刺針は果と凡そ同長で下向きに着く。7~10月に熟す。変化が多く、北方のものは小穂が集まってつき、鱗片は色が濃く班点がある。南方のものは小穂が長く色が薄く班点がない。以前はヨーロッパ産S.lacustris
L.または南方産 S.validus
Vahl と同じとされたり、同属に組み入れられたりした。茎に斑のある生花用のものシマフトイ・ツクモイもある。花軸は敷物に織られる。
Subsp. Creber T.Koyama
古典
<延喜式38掃部> |
諸司年料 |
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<枕草子> |
草はまるこすげ |
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<夫木和歌集> |
河千鳥なくや川邊の大藺草 |
清輔 |
<拾遺集> |
夏草の繁みに生ふるまろ小管まろがまろ寝よ幾夜経るらん |
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<螺鈿> |
さみだれの晴れ間の水のなみなみと |
大田水穂 |
<白夜> |
みづのべの太藺むらだついきほひを哀ともふに秋ふかむめり |
斉藤茂吉 |
<鏡葉> |
来む年に刈らむ細藺の若苗を |
窪田空穂 |
<俳諧> |
花もちて乱れ染たる太藺かな |
七草 |
|
夏草にしては寂びしき太藺かな |
碩希 |
|
舟たのし太藺の花を折りかざし |
風生 |
|
でで虫の上がり橈めし太藺かな |
雨村 |
|
蜻蛉のよき居所なる太藺かな |
紫泉 |
|
藺草刈る泥と汗に陽が光る |
真貫 |
名前
<語源>
藺:和字 <倭訓栞>
むしろにするものなれば居の義なるべし。
<古語>
藺、為伊、莞オホイ、太藺草、於保井、於保為具佐、九十九ツクモ、唐藺、江蒲草ツクモグサ
都久毛、多久万毛タクマモ
オホイ マルスゲ マルガマ ニョイ オヰ フトイ ブッジャウ
トウキ リウセイ サシモグサ リウキウ シチトウ オエ
水葱 翠菅 葱蒲 脘 夫離 如意
<別名>
薦草コモグサ、小髭、鷺の尻草、燈芯草、明藻、牛髭、青藺、丸菅、七島、ゐのみ、ゆぐさ
<漢語>
燈芯草、粽芯草、席草、水葱、葱蒲、翠管、薙、莞、江蒲草、
用途
畳表・花莚・短い屑物は草履・スリッパに、
皮を削いだ茎の髄は灯心、そのときの皮はイガラと言って、粽チマキを結ぶ紐にする
食用、太い根は食用になる。