Ab-02. つき

Ab-02 つき 槻・豆支・槻木

ケヤキ 槻・欅・槁

漢語;光葉欅、

メケヤキ 欅楡キョユ

[万葉集記事]

02-0210長歌

02-0213長歌(百枝槻)

03-0277

07-1276(小槻)

11-2353(斉槻)

11-2656

13-3223長歌

18-3324長歌

20-4202



9

() 02-0210長歌 或本に曰く

打蝉等 念之時尓 取持而 吾二人見之 趍出之 堤尓立有 槻木之 己知碁知乃枝之 春葉之 茂之如久 念有之 妹者謂有 憑有之・・・

うつせみと 思いし時 取り持ちて わが二人見し 走出はしりでの 堤つつみに立てる 槻の木のこちごちの枝に 春の葉の 茂きが如く 思えりし 妹いもにはあれど たのめりし・・・ 

注釈 空蝉=この世の 走出の=走り出るとすぐ見えるという意 こちごちの=あちらこちらの 世の中=人間は死ぬものだとの 02-0210 柿本人麻呂、妻の死りし後泣き哀慟みて作れる歌 うつせみと・・我が見し 走出の堤にたてる 槻の木の・・のフレースと同じである。

() 03-0277 雑歌 高市連黒人の騎旅の歌八首

速来而母 見手益物乎 山背 高槻村 散去奚留鴨

とく来ても 見てましものを 山城の 高の槻群つきむら散りにけるかも

注釈 とく来ても見てまし=速く来て見ればよかった、 高=多賀卿、今の京都府綴喜郡多賀村

() 07-1276 旋頭歌

池辺 小槻下 細竹刈嫌 其谷 公形見尓 監乍将偲

池の辺の小槻をつきが下の 細竹しのな刈りそねそれをだに 君が形見に見つつ偲ばん

注釈 刈りそね=刈らないでください。嫌の字は、名義抄にソネムの調があるので、そのソネを採ったのか。或いはキラウの意味を用いたのか。

() 11-2353 旋頭歌

長谷 弓槻下 吾隠在妻 赤根刺 所光月夜迩 人見点鴨

長谷はつせの 斉槻ゆつきが下に わが隠せる妻 あかねさし 照れる月夜つくよに人見てむかも

注釈 長谷=泊瀬、奈良県磯城郡初瀬町のあたり。 見てむかも=見たことだろう。 あかねさし=照るに懸かる枕詞。 月夜=月の光の歌語。 斉槻=手を触れてはなら無い神聖な槻の樹。斉槻は いつき と同じく、五十月との注釈が着いている。斉の字は、忌み清めるの忌みを持ち、清めるために湯水を掛けたので、湯槻、祝の木で 祝槻 になった。

【概説】

ケヤキは堂々の樹形を保ち、遠くからみても其れと判る。街路樹、神社・仏閣の庭園によく見られる樹種で、昔から風節に耐える道標樹としては関西ではムクが植樹されているが、関東ではケヤキが主流であった。欅は関東平野の風土が会うのか、日本の風景に馴染んでいて、箒状に広がった樹形も見ごたえがある。樹は長寿であり、夏季におけるさわやかな風を送る日陰を作り、それで陰気なところがない。それ故に、古文で“百枝槻モモエツキ”“齋槻ユツキ・イツキ”などと神木として崇められる。

<播磨風土記>

槻折山,猟山以槻弓射猪弓折故名槻折山

<皇極記>

三年正月(偶預中大兄於法興寺槻樹之下打鞠之侶

<神功記>

伐新羅之明年三月、菟区弓に末利椰をたぐえ

<倭名類衆抄 20 >

槻 唐韻云、槻、音規 和名豆木乃木 木名堪弓也

<箋注倭名類衆抄 10 >

下総本槻作槻、伊勢広同、按干禄字云、規上俗下正、五経文字云、規従夫、規訛、故槻亦作槻

<書言字考節 6 生植>

<大和本草 12 雑木>

ツキ 江陰県志曰、槻質堅而勁、多葉、繁陰人家門巷多樹之葉モ木理マケヤキニ似タリ、葉ヲ見テハ分チガタシ、只其ノ木理ヲ見テワカツ、一類別物ナリ、葉ハブナノ木ニモ似タリ、古ハ槻ニテモ弓ヲ作レリ、槻弓ト云、字彙云、槻木名、堪作弓材

<大和本草 12 雑木>

ケヤキ

槻ト一類ナリ,処々ニ多シ、箱ニ作リ、卓ニ作ルコトヲ本草ニ時珍云エリ、良材ナリ、日本ニモ多ク用之。冬ハ葉落ツ。槻葉モ木理モ欅ニ似タリ、葉ヲミテ分カチガタシ、只ソノ木理ヲ見テ分カツ。一類別物ナリ、葉ハブナニモ似タリ、古ハ槻ニテ弓ヲ作レリ槻弓ト云。

<大和本草批正>

槻は詳ならず、今ツキと云うは、ツキケヤキの事なり、欅類なり、欅大木あり、月欅,石欅、大欅などあり、葉形はブナに似たり、又ムクの葉に似て糙渋なし、互生、枝下垂する故欅く理美なり。

<本草図譜>

一種ツキケヤキ豆州方言ナタクマ、葉は欅に似て毛茸あり、秋冬葉の色黄色になりて落葉す。木理細やかにして白く欅より柔らかなり、古弓材に用て造る。この弓をツキ弓といへり。この物の葉干して物をみがくに用いる(椋)ケヤキの葉は用に絶えず。

<集韻>

槻木名可弓、槻一日樊槻(トネリコ)木皮水漬和墨書色不

<本草>

集可解弘景曰欅樹山中処々有レ之皮似ニ檀槐一葉如ニ櫟檞一

ツキの語源について詳しくは不解であるが、a)<大言海>に強木ツヨキの略か<和名栞>と、b)、尊い木即ちユツキから、また神が憑く木、c)アイヌ語でハルニレの事をChikisaniというが是に関係がある<白井光太郎>d)けやきは木目が美しく貴い木=ケヤケキ木とから導く<和句解 松永貞徳>そして、槻なる字に充てがう樹木を現在ケヤキと呼んでいるが、古典ではツキと云ったようで、欅の字は見られない。室町時代中期の饅頭屋本節用集(16c)に初めてケヤキ(ただし,樫を同訓)の名が出ている。

この材は、木目が殊に美しいので、家具類に賞用される。また古は本材で造った弓を高貴な弓とされ、文学では梓弓・檀弓と共に取り上げられ、歌枕に宛てられる。この材を徳川幕府は船舶に多用したとの記録があるし、明治4年に軍艦の甲板材に適するとのことで、私邸にある欅を無断で伐採することを禁じた。そして植林も推奨され、伊豆天城・鹿児島県加持木町・福島県棚倉町に当時の欅の造林が残っている。ところが、昭和35年頃から拡大造林の林業政策に沿って、経済的に有利なスギなど針葉樹の造林が勧められ、ケヤキなど冷たくあしわれて伐採の憂き目をみた。他方、杉林は陰鬱であって、ましてや花粉症の抗原アレルギーを引き起こすので、昭和50年頃から対する森林の見方が変わり、陽性の落葉樹林にすべきとの具申がなされた。ケヤキは成長が早いので、人工林は作りやすいのであるが、子供素人に受けのよいクヌギ・ナラ・カシワなどのドングリのなる樹を植え付けるのが流行し、地味なケヤキは受けがよくない。しかし、森林の永続を考慮するならば、やはり林業は経済性を考えざるをえず、此の意味で、ケヤキがよろしいと思われるのだが? ただし、広葉樹は虫害・病害に対し配慮すべきである。 

<大言海>

落葉喬木の名、ケヤキの類、甚だ相似て葉の刻欠多くして細く木理の縦横にしてケヤキの縦なると異り、古へ弓の材とせり、ツキノキ、ツキゲヤキ、ツク、

<饅頭屋本節用集 草本 >

ケヤキ

<古事記歌謡100 雄略天皇

新嘗屋に生ひ立てる百足る槻が枝は 上つ枝は天を覆えり。

<古名録 紀伊藩 畔田伴在>

欅によって云、其中品なるを半コツといふ、上品なるを本コツと云、本コツは材柔らかなり。

<古今要覧稿 >

按ずるに、槻の名は 日本書紀、延喜式、三代実録、万葉集にも見えて同前の木なり。今是を詳しく知る人なきは名の変れる也。古槻といひしものは則今云ケヤキの総名にして、古は専らツキと言い、後世は専らケヤキといふなるべし。

ツキとの見分け方につき伊勢安斉は云う。夏に至りて大暑の時ケヤキの葉は端表の法へ上りて少し中くぼなり。ツキの葉は大暑にも右の如くならず、葉の表平にて中くぼなることなしと。相模国大山の杣人は皮を去り身木を削りて見ればケヤキは木理竪に通りたるばかりにて、変わりたることなし。ツキは竪に通りたる木理を横にみたる筋あり、故にケヤキより木性ねばくて強きにより、農民鋤鍬の柄にツキをもちう。

<樹木和名考 白井光太郎>

曰、槻の字を用いるは、ツキはケヤキの古名なり。けやきの名は明応五年(1496)の節用集に初めて見ゆ、後世に至り、ケヤキとツキとを区別すれども其の区別詳らかならず。ツキとケヤキは枝葉に区別なくして、材に赤白の差ありと説が専ら流行す。

ケヤキと槻ツキが同じか否か、古今学者の論議の対象にされている。現在の植物学の図書では判然とした区別できる記述は見当たらない。しかし、今でも山林を営む古老はケヤキに二種あり、即ちイシケヤキ(アオケヤキ・イシンド)とザクケヤキ(ツクケヤキ・コツキ)に分けられると、また材木商は後者は赤味があるに反し、前者は材質白くかつ劣るという。葉の両面に毛の多いものをメケヤキvar.stipulacea Makinoと別にする向きもある。日本の欅を中華国では光葉欅としており、それに近縁のメケヤキZ.schneiderianaを楡欅とし、別にシナケヤキを大果欅Z.serrata ver.tsukiがあるとする、これが書物のみ渡来して槻と欅に別けたのではないだろうか。

国学者林甕臣は“ツキはツヨキより、ケヤキはケヤキキ(優れた木と言う意味)より由来するのであり、両者同じ”と言っている。植物学の大御所牧野博士は“ツキをケヤキの変種であるとし、ツキは樹皮滑らかで皮目か横になり葉面が粗であるに対し、ケヤキは葉面滑らかに樹皮は古木の剥げ目が横にきれぎれに見える”と説いている。中井博士は遠視して、素直に伸びたおがケヤキで、枝が横に振り樹頂が広がり気味のがツキである“と。白井博士は文献紹介を介して”樹木和名考「ツキとケヤキとの区別は大和本草に言える如く、葉をみても分かち難く、伐りて材をみて初めて判ると山民の説なり、然れば邊種に非ずして外界の情況により区別を生ずの如し、また、本草要正にイヌケヤキはアキニレの別名で、日光樵夫加藤吉蔵の説にはハルニレは其の材頗るツキケヤキに似ると。白井按説して、ツキはケヤキの古名にして区別すべきにあらず、別名とすべき如し。津島紀事物産によればツキとイヌツキとあり、本草正偽によれば欅に赤白の二種ありて赤き者をツキケヤキ白き者をシデゲヤキ(イシケヤキ)と言うとあり」。

 万葉植物学者松田修博士はその著でツキハ正しくはツキケヤキというケヤキの一種である、ケヤキとよく似ているがツキケヤキの方は葉の鋸歯深く、葉毛多く、托葉の先が厚くまた木理が細かくて白く柔らかである。しかしこの区別は専門家でないと判らない。と記述している。東京営林局の田中波慈女史は“欅と槻との区別は立ち木では困難で、枝量多きものと幹通直なものとあるが、この理由は立地関係によるのであろう。ケヤキは陽光を好み、その差で伸長率は数倍違い、当然木理も違ったものになる。

凡そ、本邦の古代は樹木を大切にし、老樹であってほど神が宿る樹として神聖視する風潮があったから、寿命の長い欅は神木として保存される例が多いのみならず、闊葉樹の代表として有用な材を得るので、他の樹類もケヤキの名を借用しているものもある、

(本草綱目啓蒙 >

欅一名楡欅1(通雅)俗にも欅の字をもちう。大木なり。春新芽を生ず。桜の葉に似て鋸歯大なり、木は殿柱箱案等に用ふ。良材なり、マゲヤキ、イネゲヤキ、ツキケヤキ、イシケヤキの品もあり。

(重修本草綱目啓蒙 24 喬木>

ケヤキ 一名楡欅 良材なり マケヤキ、ツキケヤキ、イヌケヤキ、イシケヤキの品あり、欅 一名欅柳、また紀柳にも欅楊の名あり、故に集解に二物を混じ注す、宗夾の下地なり、不堪為器というは紀柳にして欅に非ず、紀柳はコブヤナギなり。

(和漢三才図会 83 喬木>

欅 音柜 欅柳 鬼柳 今云介夜木 和名抄訓久奴木者非也

按攀生深山中形状如上説、其大者十五六丈、其材帯紅紫色一、鹿理堅実、而凡堂城之柱惣用之、経歳不蚌、或作椀、漆刷為飲食器最上品、作案几階梯之板皆可也、只不水湿耳、出於四国西海処々、日向為産良、 陶弘景曰、皮似槐而葉如檪樹者即久奴木矣、源順拠此、以欅為久奴木訛也、以有三種、真欅、石欅、槻欅也、其材有小異

<本草一家言 3>

欅 和名計也畿、欅柳和名古不也奈畿、挙二欅柳一、而欠二単字之欅条一、二物混合、其弁不明、故読者不レ知二的称一、予レ松岡玄道 詳読二本条一、集解前後処判然、是レ物単称、欅、則計也幾、称ニ欅柳一則古不也奈幾、因欅与レ柜依ニ音同一古人誤混為、 孟子所謂杞柳、集注云、杞柳枝長皆指ニ古不也奈幾也一物往々易レ感、故予表ニ出之一、

苗字で 槻本 といえば槻本連を構成し、正倉院文書に見えるほどの古い家系である。槻樹は古くから日本にあった証拠に日本書紀・風土記にもその名を見ることが出来る。

<古事記 允恭>

隠国の…思い妻あれば、槻弓の臥やる臥やりも梓弓 起てり起てるも後も取り見る

勇略>

また天皇 長谷の百枝槻の下に座しまして、豊楽したまひし時 伊勢国の三重采女

<日本書紀 24 皇極>

三年正月…中大兄於法興寺槻樹之下打鞠之侶…

25 高徳>

四年六月乙卯、…皇太子一於槻樹之下於召集群臣盟…

26 斉明>

ニ年、…飛鳥岡本宮、於田身嶺冠以周垣復於嶺上両槻辺観、・・・

神功>

新羅之明年菟区弓末利椰

天武上>

飛鳥寺の西の槻の下に連なるに、…

<続日本後記 17 仁明>

承知十四年六月丙申、大風発屋折木、雨亦降、入夜愈猛、甲寅、霜雨止息、先是左相撲司伐葛野郡家槻樹作太鼓、有祟、由是奉幣及鼓於松尾大神以祈謝

<常陸風土記 行方郡>

郡家南門有一槻、其北枝自垂触地、遷聳空中

麻生の里、その里を取り巻いて山があり、椎・栗・苧・槻・椚が生え、

<出雲風土記 意宇郡・島根郡>

およそもろもろの山野にあるところの草木…槻…

【性状】

ケヤキ Zelkowa serrata Makino  ニレ科、ケヤキ属

(Z.acuminata Planch,, Z,Keaki Max.)

(Abelicea serrata Makino., Corchorous hirtus Thunb,)

ツキ、ツキケヤキ、ホンケヤキ、カイケ、ケキ、アヲマキ、チギ、イツキ、コイモク、ヘェイホァナム

欅、欅柳、欅楡,槻,奇木、樛。楠木、樻、

本州・四国・九州・朝鮮・台湾に分布、山野平野に自生するほか、公園樹・街路樹・大庭園に植栽される。普通の高さは2025mであるが、特に高さ50m太さ径5mに達する巨木がある。樹形は箒を逆立てたような喬木。樹皮は灰褐色、老幹は皮が鱗片状に剥げるようになり、点班を残す。小枝は暗褐色で細かく分岐しジグザグに屈曲し、若枝は白色の柔毛がある。葉は互生に着き、薄形、長卵状披針型、先は鋭く尖り、基部は円~心形、縁は鋭い凸頭の鋸歯を作る。長さ412cm2~4cm,光沢はなく平滑、側脈は818双。、若葉のときは鮮緑色、夏時に至り濃緑色に移る。雌雄同株、花は4~5月新葉と共に開き淡黄緑色で小さく、雄花は本年枝の下部に数個集って着き、雌花は本年枝の上部の葉脇に単生する。果実は不整偏球形で堅質、無毛の淡褐色の小乾果で径4mm,背面に角稜あり。秋に成熟すると小枝と共に落ちる。種1l 450gr.32000粒、1g70粒である。材は辺が淡黄褐色、芯が黄褐色~赤褐色、木理が美しく、加工後の狂い少なく、水湿にもある程度は耐えられるので、家屋等の建築、家具、車両、船舶,機械、楽器、彫刻など広い用途がある。

補説

1.満州のものは、自生でなく、戦前に日本から移植されたものである。<松前志>によれば北海道にはケヤキは自生しないということである。函館八幡宮境内にある大欅は、安政三年松川弁之介氏が植えたものとある。

2.東京付近にはケヤキが多く、名古屋辺りに行くとケヤキは減じムクノキが多くなる。日本最大のケヤキは山形県東根市東根小学校にあるもので、幹は空洞になっているが、根元の周24m,高さ28m,樹齢1000年といわれる。

3.樹幹にはコルク層が円形に形成氏、古い樹皮には横シワができる。

4.冬芽は円錐形卵型で、鱗片の縁に毛がある。鱗片葉は芽の内側のものほど2枚の対になる傾向がある。

.若い枝は、葉が早く成長するので、枝がジグザグになり、枝の曲がった凸部に葉がつく

6.葉は左右不対象である。葉脈の側脈は斜上し分岐することなく、葉縁まで達する。  

.雄花の雄蕊の数は35本で不定、雌花には退化した雄蕊が着いている。

8.ニレ科Ulnaceaeは世界に12200種ある。ケヤキ属Zelkovaはアジアの東西に数種あり、外に中国に2種、西アジアに1種、クレタ島に1種あるのみである。

ニレ科

ニレ属 Ulmus

ケヤキ属 Zelkowa

ハリケヤキ属 Hemipteleia

ウラジロエノキ属 Trema

エノキ属 Celtis

ムクノキ属 Aphananthe

ムクノキモドキ属Gironniera

9.この近縁種で別種・変種とされるものもの

メケヤキ 

var.stipulacea Makino

葉の両面に毛雅ある。本州

ツキ

var.Tuki Makino

前掲説明参照

シダレケヤキ

var.pendula Makino

枝が下垂する、埼玉県安行、東京淺川、などにあり。

ナガバケヤキ

var.longifolia Nakai

葉が広披針形。朝鮮

マルバケヤキ

var,Montana Nakai

一名ツキケヤキ 葉の巾広い 朝鮮 

タイワンケヤキ

Zelkowa formosana Hayata

葉は小型厚質、台湾新竹州・台中洲

タロケヤキ 

Z.tarokoensis Hayata

葉は少し小型、果実は1側2裂。台湾

シナケヤキ

Z.sinica Schneid.

欅・椐・欅楡 中国産

コーカサスケヤキ

Z.ulmpoides Sehneid

コーカサスの産

【名前】

ケヤキ=ツキ 欅、槻、槁

[古語] 豆支、槻ツキ、ツク、ツキノキ

[別語] 堅木,槻欅、本欅

[漢語] (誤用)、欅楡

[英語] keak tree 

属名ZelkowaZは、ギリシャ語の地名Zelechova、またコーカサスの地名Selkwaによる。 

【古文】

<古事記歌謡-100 雄略天皇と三重采女の歌>

新嘗屋に老い生ひ立てる 百足る槻枝は 上枝は天を覆へり

<和名抄>

槻 唐韻云槻 和名豆之木 堪

<夫木集 29 11>

関守が 弓にきるてふ 槻の木の つきせぬ恋に われおとろへぬ   


藤原 顕季


君が代は おほはせちの ももえ槻 ももえながらも さかへますかな 

源 俊頼

<新古今和歌集>

けふみれば 弓きる程に なりにけり うへし岡辺の 槻のかた枝

藤原 定家

<字鏡 50 >

槻・豆木

<古今著聞集15 草木>

経信卿 大宰帥に任じて下向の時、八月十五日夜に筑紫国筵田駅に着き給えるに、天はれ月明らかなるに、館の前に大なる槻ありけり、枝葉ひろくさしおほひて、月をへだてければ、人を召し集めて、忽ちもにその木を切らせて、月にむかひて夜もすがら琵琶をかきならし心をすまして、天あけぬねば立たるにけり、かかるすき人も今はなき世なり、

<拾遺愚草 >

けさ見れば 弓きるほどになりにけり 植えし岡辺のつきのかた枝

京極 黄門

<謡曲本 金札>

車を作る椎の木。舟を作る柳楊 木の間になさん槻の木それは秋立つ桐の木、

<俳諧>

轅たてて 塵芥車群槻芽ふく

波耶


ぬばたまの 夜の高槻や 芽ふくなり

遷子

【用途】

木材:上がり框・床の間・式台・茶室などの建築材、箪笥・食台・鏡台などの高級家具、漆塗り食器などの生地、大木はくり貫いて太鼓の胴、餅臼、木槌、

葉;萌えだし頃の葉を搗いて米粉を加え団子にする。

【銘木・古木】

ケヤキは樹性強健、病虫害も案外少ないので、長寿であり、巨木もある。長野県小県郡滋野村熊野神社境内の樹は、周囲15m 55m, 東京都拝島天神社に周囲12m 寿命1200年というのがあるほか、国の天然記念物に指定されたものは23件ある。 

日本各地に欅は多く見られるが、ケヤキの純林はあまりない、クヌギ、エンジュ、アメリカヤナギなどを混ずる。                                           

ケヤキの樹林

広島県深安郡小野村久賀山、


広島県芦品郡藤尾村佐山靭、


広島県神石郡油木町北榧木山

名称

所在地

樹高

根周

幹周

枝張

樹齢

指定

東根のコブケヤキ

山形県北村山郡東根村東根小学校

28m

24m

12.6m

m

1000<

t1510

普門院門前のケヤキ

山形県飽海郡八幡村普門院

34

15.2

9.8

24


S26 6

地蔵堂の神木

山形県鶴岡市遠賀原地蔵堂

25

16,8

8,6

18


S26 6

五十嵐邸のケヤキ

山形県鶴岡市文下八坂神社

29

12

8.7



S26 6

高瀬の大木

福島県会津若松市神指町高瀬

22

12.5

10,4


500

S16 1

原町の六本ツキノキ

群馬県吾妻郡吾妻町原町下町

21.8


10


1000

S8 4

伊勢の森の大ケヤキ

群馬県北群馬郡吾妻郡白郷井村

35

12




S31 5

源義家手植のケヤキ  

東京都練馬区練馬白山神社

19


8


800


御嶽神社の神代ケヤキ

東京都青梅市御嶽神社       

30

8.2

8,5


1000

S3 2

延命寺のコブケヤキ

東京都板橋区志村町延命寺

14

10,3




S 6 2

鵜川神社のケヤキ

新潟県柏崎市新道鵜川神社

18

13

9,7


1000

S5 2

松苧社のケヤキ

新潟県東頸城郡松之山村

30

14




S28 11

白山の根生えケヤキ

石川県石川郡白峰村岩根社


7.8




S18 8

専福寺の大ケヤキ

福井県大野市友兼5-2

8

15.2

6


800

S10 6

三恵の大ケヤキ

山梨県中巨摩郡若草村山宮地

26

17.3

14.4


1000

S 3 11

稲荷神社の大ケヤキ  

山梨県都留市小形山稲荷神社

38.8

13.7




S9 5

上野原町のケヤキ

山梨県北都留郡上野原町上野原小学校

28

10.2

8.6



S19 11

野間の大ケヤキ

大阪府豊能郡東郷村森川原

25


11

38

1000

S23 1

足鹿神社のケヤキ

兵庫県潮来郡潮来村八代

27

17.6




S3 3

舟つなぎの大ケヤキ

鳥取県倉吉市湊町住吉神社

45

10.2

8.8



S9 5

天満宮のケヤキ

熊本県阿蘇郡南小国村竹ノ熊

30

15.5

11.5


1000

S10 6

塩井手の大ケヤキ   

熊本県上益城郡矢部町千滝川岸



9



S12 12

妙見の大ケヤキ    

熊本県上益城郡矢部町瀬貝神社

32

8.3

9.4



S13 5

下野八幡宮のケヤキ

宮崎県西臼杵郡上野村八幡宮

35

20.8

8



S26 6

一里塚

<地方凡例録>

壱里塚始之事

上古は一里之法不定、里より里まで一里と言うと、因りて悉く長短ありし、中華は六丁をもって一里とす。本朝もこれに倣ひ六丁を一里と定めたる由、今も奥州は六丁一里の所多し、中比人皇百七代正親町院之御宇、天正年中、三十六町を以って一里と定めらる。一歩六尺,一段六間、一町六十間、一里六百間、此坪数六六伸びて三十六丁と極まる足る。その頃一里毎に塚を築かしめ、印の木を植えられる時、松杉を可植哉と、時之武将信長公江伺しに松杉は類多ければ余の木を可植と有りしを、役人榎と間違い植由、村々江申し付けしにより、今一里塚の木、都而榎なる由世事談に見ゆれ、国々江築立、榎植えたるは台徳院様(徳川秀忠)御世,慶長十七壬子年、大久保石見守奉行として、従江戸諸国道中一里塚築せらる。下掛江戸町年寄樽屋藤左衛門、奈良屋市右衛門両人江被命、同年二月始之、五月下旬迄に諸国一里塚悉く成就須。仍而塚上に印の木を植えては如何と石見守、伺し処、一段可然との厳命につき何木を可植哉と重而伺しに、よい木を植えよとの命を石見守、榎と間違いて榎を植えたる由或る書にも見え、又有徳院様(徳川吉宗)御代御府内,其外国々諸事御糾明之砌、享保十年乙巳年八月、町奉行中山出雲守,大岡越前守、江町年寄共由著書差出たる内に、一里塚成就之上、拝領物迄有、悉くは江都官論秘鑑に詳なり。