Ab-04. くら(むく)










Ab-04
くら
(むく)

ムク

ムク
(ムクノキ)
ニレノキ科

漢名:
樸・棋・木安・糙葉樹

【万葉集記事】

09-1699

09-1664

ここで出る
椋 は植物の名でなく地名である。

20-4416

この注書の妻
椋 は人名である。

()
09-1699
宇治河作謌二首

巨椋乃
入江人響奈理 射目人乃
伏見何田井尓 雁渡良之

巨椋おほくらの入り江響とよむなり射目人の伏見が田井に雁渡るらし

注釈

巨椋=京都市宇治市から久世郡にわたり、広く湛えていた池であったが、だんだんと狭くなり、宇治市小倉町付近に残っていた沼沢地も干拓された。 

射目人の=伏見にかかる枕詞。 

伏見=京都市伏見区、 田井=田圃のこと。 

響む=鳴り響いているのが聞こえる。

()
09-1664
泊瀬朝倉宮御宇大泊瀬幼武天皇御製調一首

暮去者
小椋山尓 臥龍之 今夜者不鳴 寝良家霜

夕されば小倉の山に臥す鹿は今宵は鳴かず寝ねにけらしも

注釈

小椋山=小倉山=奈良県櫻井市の山のほか、忍坂山・倉橋山・多武峰などの諸説がある。

()
久佐麻久良
多比由苦世奈我 麻流称世婆 伊波奈流和礼波 比毛等加受称牟

右一首、妻椋椅部刀自売

草枕旅行く夫なが丸寝せば家なる吾は紐解かず寝む

右一首は、妻椋椅部刀自売(メクラハシベノトジメ)のなり 

注釈

妻椋椅部=人姓名 伝不詳

【概説】

帽記の集から引用の文記にある 椋
は、人名また知名に使われているもので、クラと訓される。椋という漢字は
[木+京]の音通で、京は都会であり裕福な人々が住み暮らして、蔵(倉が立ち並ぶ。

漢字で椋と書くのは、植物のムクが秋期に甘い実がたわわに実って、小鳥や小動物或いは人間も相伴に預かる豊な樹であることであるによって、椋クラは倉に通ずる事になる。ムクは中華国語で、棶・樸ボク・棋モク・木安アンとも書き、日本古文字で牟久・無久とも見える。

<風土記伊予逸文>では椹ムク・木臣オミと書いている。新撰字鏡もこれに準じて書き方がある。ふつう、椹の読みはサワラである

<説文>


即来也。从
木京声

<義疎>

唐本草注葉似柿両葉相当仔細円如牛李子生青熟黒、其木堅重
煮汁赤色陳蔵器云 即松楊、一名椋子木

<新撰字鏡
>


此尊反、牟久乃木、椹 式稔反、桑実、又平、牟久乃木

<本草和名
13
>

椋子木
仁諝音力将反 一名 棶 材反一出二爾雅 和名牟久乃岐

<倭名類聚抄
20
>

椋 爾雅注曰、椋一名則棶、椋音良、棶音来、和名牟久

<箋注和名類聚抄
10
>

按釈木云
椋即棶、面此所 引 非
郭,蓋旧注也、按説文、椋即来、爾雅从木俗字^字鏡村
椹牟乃木、太平御覧引旧注一云、椋一名即棶、

<倭名類聚抄
17
>

椋子 爾雅注云、椋
音良 一名棶牟来、和名本草舞久

<箋注和名類聚抄
17
>


引釈木 椋即来、郭注、今椋材中
車輌、此所
引郭氏注不載之、蓋釈木旧注也、拙文、椋即木也、此従木作棶、俗字 按本草和名牟久乃岐、源君蓋依之、牟久木実見
古事記手間山段小童採食牟久、見著聞集、按椋子未祥、无久蓋朴樹之類、物理小識糙葉樹当是、木類椋条祥之、椋又見木類

<日本書紀
29
天武>

十年四月庚戌、次田倉人椹(椹云弐規) 並十四人賜姓曰連

<大和本草
12
樹木>

椋子樹
其葉山吹に似たり、葉にイラあり、用いて木竹骨角をみがく、木賊
トクサの如し、実の大きさ楝子より小なり、十月に熟して色黒く味甘し、可食、本丱喬木部有松楊、異名椋木、葉如梨と云、又似柿とも云、皆相似たり。

<和漢三才図会
83
喬木
雑木
>

ムクノキ
松柳 棶 和名無久

按椋樹以
欅而微白色、其材堅重為
搾酒木シメキ及枴杖、其葉似樫葉、而薄円、有鋸歯、枯亦堅、以葉面可、摩琢象牙鹿角及木器於木賊トクサ一、其子黒色面円、如竜眼肉
皮者

小児喜食
之、本草謂似以柿葉者非也、相伝曰、源空上人人生日、幡降下於此樹、因名誕生木、彼宋派之輩費重其年珠

語源

(a)神樹
柳田国雄}樹実の意味でホコと同意か。

(b)日本語原学
林甕臣民
}ミクロ(実黒)の義<言元梯>

c)<名語記
>マロカルの転

(d)<和語私臆抄>ムク宣木 

本多先生はムクドリがこの実を好んで食うことからムクと名付けられたと述べている。ところが或る鳥類の博士は、ムクドリの名はムクの実を食う故にその名がついたと、理屈は面白いものである

ムクの木は割合長寿であって、樹齢数百年~千年の老木が残っているし、各地の神社に神木となって崇められ、宮中にも植えられているとのことである。戦前は田舎の各地(関西に多い)に目立つ雑木であったが、大気汚染に弱く道路脇の銘木は戦後に枯死している。この実は秋10月頃黒く熟し、甘くて子供達の間食にもなっていたが、この頃にムクドリの大群が之を食いに押し寄せて糞公害を引き起こす。

<本朝俗諺誌>

土佐[伊予の界山上に笹山権現の社あり、此の神は大難を遁れしめんの誓願也深く信ずれば大賊の難なしむかし土佐の国の山下正木村と云所の土民蕨岡助之丞と云もの年久しき家にて豊穣の百姓也、先祖助の丞夢中に熊野権現影向ましまし此山に跡を垂れ給ひて火難盗難の災いを除しめんとの霊夢をかふむり夢さめて見ればうしろの椋の木に光明赫変たり、則これを神木とあかめ社を造立し笹山権現と称す。

<採薬使記>

作州久米郡稲岡村と云ふ所に誕生木とて大木の椋の樹あり、是所源空上人誕生の地なり、彼宗徒念珠に作る、木甚だ堅く佳なり、

<豊後伝説>

大分県戸次町 修業中のに山伏がここに来たり、星を祈り落としたまではよかったが、天上に返す呪文を忘れ、星をそのまま地中に埋めておいた所、やがて根着いて、椋ノ木になった。この木の一枝を採り
挿して置くと根着くのであるが、呪文を間違うと逆ムクとなる。

この樹の幹は材として狂いやすく、薪にしても燃えにくく役に立たずと書いた本もあるが、反対に堅くて強いと書いた本まり、事実、建築材・器具材に結構使われている。ただ雨天では腐り易い欠点はある。この葉の表面に細かい堅い毛が生えていて、乾燥葉は紙ヤスリのように、板面や彫刻、漆器、象牙などを磨くのに使われる。

【植物】

ムクノキ(ムク)phnanthe
aspera
(Thunb.)
Planch.
 ニレ科 ムクノキ属

本州(関東以西)・四国・九州・沖縄・台湾・中華国に分布。やや湿潤の谷間を好み、しばしば人家の近くの道端に植栽されている。樹は幼時日影で育つが、大きくなると陽日を好む。幹はやや直立する落葉喬木で、樹皮は暗灰色で縦走する溝状の起伏がある。若い芽には粗い毛が生え、葉は互生に着く。葉は長さ610cm36cmの楕円形で、先は細く伸び、縁は鋸歯、葉脈712対で、厚さは薄く、色は汚緑色。葉の両面を撫でるとザラツキを感ずる。花は若葉と共に5月始、雄花は新枝の下方の付根付近に群がって、雌花は上方の葉脇に1個ずつ着く。何れも0.30.6の大きさで小さく、色は淡緑色で目立たない。雄花の花被は45裂し、雄蕊も同数である。雌花は花被は無く子房は無柄で花柱は直立し先が2裂する。果実は径78mmの球形で黒色に熟す。

補説:

.
葉は互生に着くが、枝の元の方は葉間が短く対生に近くなる。葉脈は左右対称でない、葉の毛は珪酸を含むもので、乾くと堅くなり、サンドペーパーのようになる。ムクに葉が細長いものと、卵型の2種あると書いた古典がある。

2.幹から伸びる根は縦に立った板状に、所謂板状根を形成する。

3.果実は始め緑色であるが、熟する課程で紅~紫~黒に変化する。完熟すると甘くて美味。戦前は餓鬼等が採って食したものである。

{近縁}

ベトナム産

Aphananthe
lissophylla
Gageno.

フィリッピン産

A.
negrosensis

Elmu.

オーストラリア産

A.philipinesis
Planchon

周辺

葉の側脈は多数平行し、基部のものは短く目立たない。果実は乾果。落葉また常緑高木

ニレ属

葉は3~7脈あり、基部のものも目立つ。果梗は短く果実に翼がある。冬芽は平また三角。

ケヤキ属

果実は痩果様で短柄がある。冬芽は短円錐形で普通1個の副芽をつける、

ウラジロエノキ属

花は常に集散花序。葉は細鋸歯。高木また低木。小枝には毛が密生する。

エノキ属

花は単性。雄花は脇生、雄花は集散花序、葉の側脈は周辺で内側に曲がる。両面ともあまりザラつかない。若枝の髄は白く竹節状の区画あり
子葉は巾広く先は切れ込みあり。

ムクノキ属

葉の側脈は鋸歯に終わる。両面ともにザラつく樹皮は灰白色で平滑で縦に長く剥げる。若枝の髄は白色で丸い。子葉は巾狭く披針形である。

【古典】

<古事記
36>

定其妻
牟久木実与赤土、授其夫、 

<   
大黒主
>

故咋破其木実、含赤土唾出者、其大神以為咋破呉公唾出

<栄花物語
15>

板枕を見ればムクの葉などして、四五拾人、手づとに並び居て磨きのこく

<平家物語
1>

殿上闇討事、はりまよねは、トクサか椋の葉か、人のきらふ
みがくとぞ

<右京太夫集
15c前)

兼光の中納言の、しさじなりし此
むくを六っつみておこせたるに

<国大暦
>

文和二年(1353)九月二十四日、為烏帽者(雖壮年人、椋実さはし、或尋常物通用之

<貞丈雑記(1784)>

むくのみ色は黒くして小むらさきばみたるがごとくなりべき欺くのみ此の色、

<廃園(1909)三木露風>

椋の花、幽かにゆれて
暗緑の中にほの透さ 冷ややかに光はうごき

<十巻和名抄
10>


爾雅注云椋
(音良)一名即棟(音来
牟久)

<時珍曰>

無患子樹、甚広大、枝葉みな椿の如し。特にその葉は対生す。五六月白花を開き、実を結ぶ大きさ弾丸の如し、状銀杏および苦棟子の如し。生は青く、熟すれば黄、老るときは文皺あり。黄ばむときは油揚げ形の如し、実中、一の核堅く黒き正円、珠の如し。

<大和本草批正>

椋子樹はチシャノキなり、柿に似て鋸歯あり、夏月小花咲く、枝を分ち補をなす、山椒ほどの実を結ぶ。ムクノキは物理小識の糙葉樹なり、ケヤキに似て尖る、雌木に実有、葉を用いて木竹角を磨く。

<大和本草記聞>

ムクノキに雌雄あり、オムクは葉長く、粗鋸歯あり、山吹の如き形にして黒味あり、両面共にザラツキあり、大木に至る、此葉を取て竹骨の細工に用ゆ、木賊より細にしてつよし、此れを漢名糙葉樹と云、一名、可条、メムクは葉巾広く、面斗にざらつきあり、みがきものに用ひられず。此には秋に実あり、大さ南天の如し、熟して黒色、小児取りて食ふ。なかの種四角なり、至って堅し、漢名樸樹也。

<採薬使記>

作州久米郡稲岡村と云ふ所に誕生木として大木の椋の樹あり、此所源空上人の誕生の地なり、彼宗徒多く念珠に作る、樹甚だ堅く佳也といふ、

<梅園百花画譜>

エノキ二種有り、一種はムクエノキと云う、軍陣盾の板に用ゐ鉄砲矢等を禦ぐ具とする、榎は馬鞍に作ると云 

<俳諧>

椋の実や
一むら鳥のこぼしゆく 漢水

椋の実に
旅も果て成る一日かな 楸頓

椋鳥のひときわ騒がしむくの実は 源将

甘いと聞き
ちょと齧ってムクの種 水木真貫

【名前・喩言】

漢語;樸樹 糙葉樹 松楊 蔓弧 加条樹
椹 棶 穣 枳 彭

むくどり者; 白頭翁
地方から都に上がって来た田舎者を軽蔑して言う。

椋の実は成らばなれ、木はエノキ;
強情で人の意見を聞き入れないこと

【用途】

椋の材は堅いので、酒の絞り木枠に専用。

葉は珪酸細胞を含む絨毛が密生する。紙ヤスリのように、仏像などの彫刻の磨きに、

実は甘いので、子供達の間食にした。黒いのはポリフエノール系の色素を大量に含むためで、これは人肌の紫外線防止の役があると。

【日本の巨木・老木】

樹齢

樹高

幹周

蓮華院の大ムク

埼玉県北葛飾郡庄和町大衾53

400

27

6.0m

蓮華院寺境内

島村家のムク

埼玉県南埼玉郡宮代町中
268

200300

20

4.1

門前に2本ある

二見の大ムク

奈良県五条市二見4-6-39

1000

15

8.5

足立家の前
国天

椋本の大ムク

三重県安芸郡芸能町椋本692

1500

18

9.5

野添大膳が草庵を結んだ

三日月の大ムク

兵庫県佐田郡三日月町下本郷
1475

800

13.6

9.9

湯浅集落の久森家の裏手

国司のムク

岡山県苫田郡鏡野町高山585-1

800

9.5

8.8

大国主命の森

横川のムク

岡山県英田郡栄田町滝宮字北川1527

1000

30

8.1

荒神様が祭司

木曾原のムク

鳥取県邑智郡本町川本2285-1

300

30

8.3

天満宮の祠が安置

浅井のムク

鳥取県西伯郡会見町浅井463

?

25

7,5

エノキと誤認

命主社のムク

簸川郡大社町杵築東字森

1000

17

5.8

出雲神社一命主社の神木

木井馬場のムク

福岡県京都郡斉川町大井馬場345

300

25.7

7.4

大井馬場集落

将軍木

熊本県菊池市高野瀬
菊池神社

600

18

8

懐良親王が植えたとの伝

寒水のムク

大分県宇佐郡安心院町寒水

?

15

8.4

1992年台風で主幹が損傷

                                             


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