Ac-04
やまつづら・夜麻都豆良・
山葡萄・山葛・ヤマブドウ、(やまかずら=ヒカゲノカズラ)
エビカズラ・葡萄葛・衣比加豆良・紫葛・蒲陶
漢語:
紫葛・木錦・珠顆・策桃・小区荊埔・大荊・龍須
【万葉集記載】
14-3434
以上
1首
一) |
(譬喩謌 上野国歌 可美都家野 上毛野かみつけの |
註釈;
山つづら=長く絶えない事の意味を
Ac03
でハマツヅラに対し、山に生えるつづら
何か絶えせむ=どうして中絶すようなことがあろうか、
概説
集
第14巻には地方の各国の歌が載せられている。これらは東歌・相聞歌・譬喩歌・雑歌として分類されるものであり、懼らくは徴収された防人達が謡ったと思われるのであるが、作者は名を出す程の者で無いと言いながら、味ある名歌が多い。この歌は上野国の歌で、安蘇山から山脈が延び続く山国の様子を巧みに表現している。ここで「安蘇山葛」は安蘇山と山葛とを続けたものと解釈でき、万葉仮名で山つづらと詠む。
さて、一般に蔓性の植物を××ツヅラと呼んでいるが、そもそも長い紐状のものがツル=ツラであり、それが髪に関したものをカツラ、包縛に関したものをツヅラとなったとされる。 {ツヅラ:葛、 ツル;蔓・蘞、 カヅラ;葛・藤・蘽・櫐・纍・鬘・簂、カツラ;髷・錫・縵・蘰}
類似した詞に、山蔓・山蔓やまかずら(やまかずらかげ)がある。これは、古い歌枕で、明け方に山の端に懸かる雲を詠むもので、植物では、明らかに隠花植物の日陰蔓ヒカゲノカズラのことであるから、ヤマツヅラもヒカゲノカズラと解して可である。日陰蔓については、別項に取り上げてある。
16-3789
あしひきの
山かずらの児
今日ゆくと吾に告げせば
還りきましを
ところで、現在の植物名でやまつづらを正名とする植物はは無い。しかしこの植物は歌の趣意からして、間違いなく、山野で蔓の長く延びるものであり、斯のような植物は多数あろうが、安蘇山に合うものとして、ヤマブドウを取り上げた。勿論、集にいうヤマツヅラが即ちヤマブドウであるとの直接の確証はない。しかし、ヤマブドウは神代の昔から日本にあったと思われ、古事記に伊邪那岐尊が黒きみずらを採って投げれば乃ち蒲子を生したとある。ここでいう蒲子エビノミはエビヅルであろうとされているが、漿果を食用とするブドウ属の植物は下記の数種があって、それらは近似しており、呼び名は交錯している故に、ここで①ヤマブドウと併せて一括することにする。
因みにノブドウAmpelopsis bravipe dunculata
Tr. (紫葛
カネブ)もエビヅルと俗称するが、これは食用にならない。
1. ヤマブドウ ②ブドウ L.
③エビヅル ④アマヅル ⑤サンカクヅル.
えびかずらについて、古事記にある蒲葛は、カズラに関する日本の最古の記録である。本件に関しての該当植物はヤマブドウとするが通説である。ほかにアケビという説もあり、その果の色も紫色である。今より約1000年前に豁然と甲州ブドウが出現し、日本のフルーツの原点となるが、如何様にして現出したのか詳らかでない。おそらく突然変異と思われていたが、DNAの研究で西欧種と同様であったとの報告もあり、嘗っては生食用の代表種であった。食用のブドウ科の野生品は世界に12属約700種ある。
海老を茹でたときの色をエビ色というが、ブドウの酸漿も共通する色である点、エビと云う共通名となったのであろう。マタギなる山岳民族はこの実から酒・酢を作る。欧州においては、葡萄酒は重要な飲物であって、食事時には例外なく水代わりに葡萄酒を飲む。ワインの高級なものは数万円もして、この飲むときの作法がまた煩いほどである。赤ワインのグラスに注いだ色は宝石のようは琥惑的で、ご婦人たちを惑わせる。アントシアニン系の植物色素は抗酸化作用があり肌の老齢化を防止するということでマダム連は格好つけて試飲するが、この赤色は欧州の上流社会での毒殺事件を彷彿させる血の色でもある。日本ではワインはあまり発達しなかったし、毒殺文化も流行しなかった。
ブドウは元来西アジアの原産であるらしく、ここから中華国への伝達は漢の武帝の頃
張騫 が西域からもってきたといわれ、我が国へはそれより遅く奈良時代に渡来したと伝えられる。然し、我が国の古史に
蒲子エビカツラ があり、これが衣比加都エビカツラから、紫葛、海老蔓、カネブと名前を変えて登場している。
<大言海> |
蒲葛 |
<古事記 |
於レ是伊邪那岐命見畏而、逃還之時、其妹伊邪那美命言、令レ身レ辱レ吾、即遺ニ令レ追、爾後伊邪那岐命取御鬘一投棄、乃生ニ蒲子一 |
<日本書紀(1-神代上)> |
因りて黒き御鬘を投げたまふ。此れ即ち蒲陶エビと化成る。醜女、見て採り食む。元結さらに、たまねはせ、さね葛にて結ひ下げ。 |
<出雲風土記(1-神代上)> |
琴引山この山の峰に岩屋あり。塩味葛エビカズラがある |
<本草和名(ca918> |
紫葛 |
<重訂本草綱目啓蒙15夏草> |
紫葛 深山幽谷に生ず、苗場蛇葡萄ノブドウに似たり、或は三尖或は五尖皆鋸歯あり、葉ごとに髭あり物に纏ふ、葉紫色を帯び光あり、紋脈紫色、背も亦紫色、花実は蛇葡萄に似たり、実熟して紫色嫩葉と秋葉と紅色にして美はし、秋後葉落ち、蔓枯れず、根紫色にして粉あり味渋し、 |
<重訂本草啓蒙(1847) |
嬰奥 |
<十巻本和名抄 |
紫葡 |
<伊呂波字類抄> |
葡萄 |
<書言字考節用集 |
葡萄ブドウ |
<紀伊続風土記 |
葡萄 |
<甲斐国志 |
葡萄 |
<倭名類聚抄 |
紫葛 |
<箋注倭名類聚抄 |
按証類本草…紫葛葡萄非二一物一、故本草和名云、紫葛和名衣比加豆良、蒲萄和名於保比加都良、与下漢語抄以二蒲萄一訓中衣比加豆良之実上、其説不レ同也、源君以ニ本草和名紫葛、漢語抄葡萄、其名同一、為ニ一條一誤、按蒲萄本西域所レ産、漢ニ其字一、故仮ニ借蒲萄字一、見ニ漢書西域伝一、後人従レ艸作レ菊、与下訓ニ艸也一之菊上混、蘇注二紫葛一云、苗似ニ葡萄一根紫色、大者径二三寸、苗長丈許、蜀本図径曰、蔓生、葉似ニ姜薁一根皮肉倶紫色、図経曰、春生冬枯、郭上林賦注、葡萄似ニ燕薁一可レ作レ酒 |
<大和本草 |
根紫色春生じ冬枯といえり、和名カネブと云、是亦葡萄に似たり。本草に根皮瘍癕腫悪瘡を治す、擣末錯和レ之といえり、是緒押薬なり、和方一切無名腫毒に、カネブの根の末糯米粉と…、又救荒本草蛇葡萄あり、三才図会草本十巻有二蛇葡萄一、是亦紫蔓なるべし、蔓生葉似レ菊而小花、結レ子如二豌豆一といえり、ガネブは根の味渋し、根に粉有り、カラミには粉なし、カラミ葉の深く、カネブは浅し。 |
〔植物〕
ブドウ科 Vitace
蔓茎で多軸Sympodium,主軸の先が変った巻き髭により他物に絡み伸長する。まれに草本・直立木本あり、葉は互生に着き、単葉or複葉、托葉がある。花は蕚・弁・4~5の雄蕊・雌蕊より成る。子房は2心皮からなり、花盤の中に沈座する。果実は漿果、種子は多量の胚乳だある。世界の熱帯、亜熱帯に約11属600種ある。
ブドウ属 |
Vitis |
ノブドウ属 |
Ampelopsis[ca20] |
ツタ属 |
Parthenocissus |
ミツバカズラ属 |
Tetrastigma |
ヤブカラシ属 |
Caratiz(草本)[16] |
ブドウ属 Vitis
落葉まれに常緑蔓状潅木、葉は心円形3~5裂、花は両性or雄性。漿果は可食、種子は洋梨型腹面に2溝有り。北半球の温帯に30~60種あり。
① ヤマブドウ Vitis
coignetiae Pulliat (V. amurensis Rupr, var. coignetiae
Nakai, V. Kaempferi Rhd. )
エビカヅラ、ガネブ、ヤマエビ、オオビドウ、イヌブドウ、エベヅロ、オオエビヅル、クロブドウ、クマブドウ、ブドウ、オオエビ、カマエビ、カラスエビノキ、ゴコ、グラミ、サナヅラ、*ハトニ、*ハトブンガラ
(*アイヌ語)
紫葛・ 酸葡萄藤
英語:
Glory Vine. 独語Japanesche
Grape
樺太・南千島・北海道・本州・四国の山地、ブドウより寒地にも分布す。落葉蔓状潅木、2岐の巻き蔓にて他物に絡みつく。枝は幼時に褐色のクモ糸毛あり。葉は大型8~30cm、長柄、心円状五角形、3浅裂深心脚、中片は三角形、鋭頭、歯牙は低三角形、上面は幼時クモ糸状の毛あり、下面は赤褐色毛が蜜生する。秋は紅葉美なり。花は五六月小花、花冠は頂点で合着し開花途中にて脱落し、雄蕊と雌蕊だけになる。蜜線は花糸の間にある。果実は紫黒色、球形、径8mm,種子は広倒卵形、暗褐色、長5mm.子供と熊はこの実を好んで食う。甘酸味にて美味である。俗民家は是にてブドウ液(酒)を作る。昔時箱の木の皮を剥ぎ、蓑・草鞋を作った。葉は茶の代用、飯の包装用に用う。
補説
1.
2.
3.
4.
5. |
|
変種
タケシマヤマブドウ
f.glabrescens
Hara
クマガワブドウ
Vitis
kiusiana Momiyama
<白井博士書述> |
ヤマブダウの名、物品識名拾遺に始めて出づ。ヤマブドウ蘡薁の一種深山に出して蔓長大なりと)大和本草には記せず、本草啓蒙にはエビヅルと混説して相分たず山民此の種の実を以って酒を醸すものなりあり、又外皮を剥ぎ灰汁を以って之を煮、細かく裂きて蓑、背当て、脚絆、たわしなどを作るの料とし、其蔓を以て治水の蛇籠、ハネツルベノ釣瓶竿の代用とする。熊好んでこの実を食う |
<和漢三才図絵> |
本稿紫葛は山中の中に生ず、春生じ冬枯れる。苗は葡萄に似て長さ丈許、根皮の肉伴に紫色、其根大なるはニ三寸、但し二種ありて此れは是藤生のものなり、按ずるに紫葛の葉は葡萄に似て子を結ばず。又一種野葡萄というものあり。 |
② ブドウ Vitis vinifera
L.
オオエビカヅラ、オオエビ、エビ、エビカヅラ、ブンドウ、ブッコ、ブドヅル、*ハツ
漢語:
蒲桃、葡萄
英語:
Vine, Grape nine, European grape,
独語:
Rebe, Echte Weinrebe
西域地方の原産であるが、現在世界で栽培されている葡萄酒用・生食用・乾果用のブドウで、西欧からペルシャに入った頃、Budawという文字があるので、葡萄とは漢語ではない。昔から栽培の記録あり、エジプトでは5000年以前の植栽の壁画がある。
<樹木和名考> |
葡萄は栽培植物にして野生なし。古昔エビカヅラと呼びしもものは蘡薁即今日のエビヅルにして栽培の葡萄はオオエビカヅラと呼びしなり。この両名は」本草和名に出づ。蘭山先生はエビヲ以って葡萄の和名宇とするは却て理由泣きを見る。葡萄は支那に於ても漢の張騫、西域に使して其種を得還り中国始めたて有りと史記に出づ。 |
<大和本草> |
葡萄、和名エビと云、其実は佳果なり、能く収めレば春に至り腐敗又酒にかもす。エビ染めと云う色は紫黒也ブドウのうみたる色なり、(大和本草批正はこの和名エビのことを指し玉エビを今エビヅルと称するは非なりと) |
<本草啓蒙> |
葡萄えび・エビカヅラ・オオエビ・エビと云は葡萄の古訓にして狩衣等を紫黒色に染むをエビと云。即葡萄実の熟したる色に象るなり。今は蘡薁をエビヅルと云うはイヌエビというべきを誤まり刈るなり。葡萄は棚に作る栽湯、年久しくものは実を結ぶ、其穂長く下垂巣。京師に産するもの実熟して淡緑色にして透明なり是緑葡萄なり、西陣に栽ゆるを良とす大宮葡萄と呼ぶ、一種熟して白色なるをソロブドウと云う、釈名注の水晶葡萄なり、また熟して紫色なるをクロブドウと云東国に多し、此れ紫葡萄なり、紫葡萄の長きものを長葡萄又江戸葡萄という、馬乳葡萄なり。 |
③ エビヅル Vitis
Thunbergii S.et.Z (V. ficifolia Bunge var. Thunbergii Lavall.,
.var.lobata Nakai var. pentaloba Nakai )
イヌエビ、ガラミ、ノブドウ、ガブヅル、ガビカズラ、スブタ、シビ、クロブドウ、ゴヨミズリ、ゴヨギ、エビカズラ、エベヅラ、コブドウ、メクラブドウ、ブドウ、ガネブ、トクノミ、ブドバ、コマブドウ、サナヅラ、ナベトリカズラ、ゴイビ、ゴエビ、ノラブドウ、ヤマエビ、ナツガンドウガラメ、イボドオシ、グンダ、エビゾロ、エブコカズラ、ウマノブス、クサブドウ、
漢語:
蘡薁、櫻薁、
古事記に、[伊邪那岐命が黒きみずらをとって投げれば乃ち蒲子を生ず]とあるのはエビヅルであろうと白井博士は述べている。本州・四国・九州・琉球・台湾にまで分布。葉は五角芯円形の内径が4〜5cmで浅裂。花は円錐花序に巻きツルが付属する。漿果は黒色、種子は2〜3個、長さ3.5mm。
<大和本草> |
蘡薁(イヌエビ)京にてイヌエビと云。此草蔓も葉もよく葡萄に似たる故、イヌエビという。野葡萄なり。其の実大豆の大きさの如く熱すれば色黒氏、小児食う、酒に作る、性よし、本草に見え足り、其葉を蔭干しもみてモグサとし、疣蘇痣ホクロに灸ず。よくをつる。 |
<大和本草批正> |
蘡薁京にてイヌエビ今京にてエビツルと云。一名野葡萄又山葡萄、味酸、三四十粒集る。葉背褐色の毛あり、或いは白毛あり、モグサをガラミモグサと云。痣はホクロなり、アザは黶なり。 |
変種
キクハエビヅル
var.
sinuate Rehd.
ウスゲエビズル
var.
glabrata Nakai
④ アマズル Vitis
saccararifera Makino (V. flexuosa Thunb. var japonica Makino)
アマズラ、オトコブドウ、アマカズラ、 アマチャ
漢語:
甘葛
東海道以西の本州・四国・九州に産す。枝は細く線条有り、節は時に肥厚。葉は心円状、三角卵状、長さ4〜12cm,果実は小球形、黒色。枝の頂部を切り、出る汁を煮詰めると甘味料をえる。
<古今著聞集> |
九条の前大臣家に壬生の二位まゐりて和歌のさた有けるに二月のことなりけるに雪にアマズラをかけて二品にすすめられけり、くひはてて此雪猶候はば給いて二条中納言定高のもとへつかはし候はむ。彼卿は雪くいて候なり、と申ければ硯の蓋にもりて出されけるをつかはしければ卿のかへしに「心さみしかみおすしともをぼしけりかしらの雪か」いまのこお雪」とよまれけりとぞ |
<樹木和名考> |
砂糖はシナにて唐の太宗の時外国よい初めて之を貢し甘蔗汁より取る物なること知りしという、本邦古代唐を交通せしより砂糖を知りしは支那と同時代なりしならんも之を輸入し食用に供する事。久しく行なわれざりしなり、足利義満の時代までは砂糖の代用物として甘葛煎を用う。 |
変種
ヨコグラブドウ var,
yokogurana Ohwi
⑤ サンカクズル Vitis
flexuosa Thunb.
ギョウジャノミズ、サナジラ、サナズラ、ブンド、ミヤマブドウ、モル、サンホト
漢語:
含水藤、水毛花
本州・四国・九州・朝鮮・中華国に産す。山中で行者渇するとき、蔓を切り水出るを呑む、味渋甘と。枝上方の葉は長三角形、鋭頭、下方の葉は扁三角形、長4〜10cm,巾4〜8cm,
漿果は青黒色径7〜10mm
<樹木和名考> |
現在の植物名彙以来ギョウジャノミズ一名サンカクズルと称呼すれども以前の学者は二名各別者を挿すが如、何となれば本草図譜にもサンカクズルとギョウジャノミズを別条として記し物品識名にも之を別状とし、サンカクソウにはスクテ(濃州)ショウエビ(木曾)の別名を付記芹、以下略 |
変種
ケサンカクズル
var.rufo-tomentosa
Makino
ウスケサンカクズル
var.tsukubana
Makino
キレバギョウジャノミズ var.
sinuatifolia Nakai
名前
学名:
Vitaceus;ギリシャ語のvieo(結ぶ)。Coignetiac;人名より、thunbergii;人名より、植物学者
エビ;この木が蔓を出したところをエビにみたてて蘡薁エビツル・蒲陶ブドウ・になったと。
古名:蒲陶・夷茨・犬葡萄・疣落・車鞅藤・櫻薁・葡萄葛・木錦・珠顥・草龍・蔓胡桃・竜須
別名;;葡萄・嬰奥・烟黒・車鞅藤・櫻奥・葡萄葛・蔓胡桃・竜須
英語;
grave
独語;Traube
仏語;raisin
西語;uva
伊語;uva
露語виноград
<大言海> |
日本語のブドウは梵語Mrdvika |
古典
<盛唐 |
葡萄美酒夜光 |
王翰 |
|
<元 |
葡萄親醸酒 |
耶律楚材 |
|
<明 |
遥看漢水鴨頭緑 |
李白 |
|
<史記> |
天宛国伝 |
||
<新札往来(1367)> |
雪窓柴蘭 |
||
<好色二代男貞亨西鶴> |
葉隠れに物の美はべき葡萄ひと傍見しを |
||
<吉原雑和 |
神田も辻与兵衛という者、月見に葡萄酒を飾るにて葡萄を五車程引いて来たり |
||
<出雲風土記 |
琴引山この山の峰に岩屋がある。塩味加蔓がある。 |
||
<大和本草> |
年紫色春生じ冬枯れるといへり、和名ガネブと云う、是亦葡萄に似たり。本草に根皮癱腫悪創を治す、擣末醋和風レ之といえり。是押薬なり、和方一切無名腫毒に、カネブの根の末米粉と、 |
||
<源氏物語> |
御ぐしなどもいたくさかり過ぎにけり。優しき方にあらねどエビかずらしてぞつくろい給い 宿木の巻 高坏ともにふづく(粉熟)まゐらせ玉へり、とありて細註にふづぐは真心なり、粉塾は五穀を五色にかたとりて粉餅になしてゆで甘葛をかけてこねあはせて… |
||
<枕草子> |
あでなるものの条に“けずりひ削氷にあまずら甘葛煎いれて”かねの抔にもりたる… |
||
<空穂物語> |
蔵開の巻…又春宮にさふらひ給ふ中納言のいもうとの許より一斗ばかりのカネカメ金瓶二つに一つにミチ蜜一つにアマズラ甘葛煎入れてきはみたる色紙でおほひて… |
||
<紀州物産考> |
古昔よりアマチャと訓ず蜂蜜砂糖の類未だ本邦ふ渡らざる以前は甘葛煎を用い諸国より貢すること延喜式にみえたり |
||
<暁紅> |
山葡萄の黒く泌みとほる実を |
斉藤茂吉 |
<俳諧> |
寺の月 |
其角 |
枯れなんと |
蕪村 |
|
黒葡萄 |
一茶 |
黒きまで |
子規 |
||
葡萄麗し |
虚子 |
葡萄食不 |
中村草田男 |
||
雫かと鳥もあやぶむ |
千代女 |
山葡萄 |
水木真貫 |
<新約聖書> |
是その果に由て知るべし誰か荊刺よりの葡萄をとり、疾藜よりの無花果を採ることをせん。 |
用途
薬用:
ぶどう酒-喉渇に、着付けに、
食用:
生食、また干し葡萄、搾り汁、発酵酒
染料:
黒熟した果皮を利用する、
ぶどう
ギリシヤ神話で、酒の神デイオニユソス(ローマ神話ではバツカス)が葡萄の木を植え、その汁を絞ることを伝えたとなっている。旧約聖書では箱舟で大洪水の難を逃れたノアが葡萄畑を作り、そして彼は葡萄酒を飲んで酔っ払ったことになっている。キリストはパンと葡萄酒さえあればと栄養学の常識もないことを言っている。このように、欧州では古くから、葡萄酒は儀式のみならず、日常的にも不可欠なものであった。ところが、現在のアラブ・イラン・イラク辺のイスラム教徒は禁酒主義であるので、葡萄酒は飲まない。しかし戒律の緩く西洋文化の入るモロッコ・エジプトでは葡萄酒をブドウ汁と言い換えて口にしているの目撃している。エジプトの残された壁画には、何千年も前に葡萄が食されていた事実が描かれている。おそらく葡萄はアジア西部辺りが原産地であって、イラン北部で非常に古い時代に栽培されていたものが、ギリシャから西欧へ、他方東へはカラキルキジスタン(古い名前はフェルガーナ)を経て中国に渡ったとみられる。
ブドウという言葉は少し変わっているナと気がつくと思うが、最近までその語原が判らなかった。漢名で蒲陶・蒲桃と書かれブタォと発音する。それが言語比較孚の研究で、少数民族の言葉にブタオは大宛国のブドウbu-dawが酒を意味する言葉であること、イランのbudawaにも関連することが判ってきた。この語はギリシャ語のブドウの房を指すbotrusの起原である。これからブドウ属の学名はVitis,ラテン語のブドウ酒Vinumとなり、イタリー語のUva(果実)Vite(木)、フランス語のVibneから英語Wine、ドイツ語Wein.、ロシア語Vinogradに化けた。別説のブドウが蔓を出して絡むことから、ギリシャ語のvieo(結ぶ)が語原というのは古くなった。
Tournefortの分類によれば、栽培ブドウは凡そ32種あるとしたが、染色体の研究から生産に実際に寄与しているのは8種とし、真性ブドウ区Euvites
2n=28、擬ブドウ区 2n=40
[栽培種に2n=76のものも見つかっている]。ブドウの発生は後期氷河期にあるとされ、基本野生種Subsp.silvestris
typical Negr,と、一方異形野生種Subsp.s.aberrans
Negr.がそれぞれの生態条件下で栽培に移され、特殊な品質群を形成下。現在の栽培ブドウは旧大陸種V,viniferaと北アメリカ種V.labrusの二系統あるとされる。
現在のヨーロッパ食文化でブドウ酒は欠かせないものとなり、ブドウは紀元30世紀も昔から栽培されていた。それより、伝統を煩く守って栽培されており、漸く最近になって日本式の棚栽培もトライされている。
中国への伝播は案外遅く、張袁がBC128年頃に直接導入したと伝えられ、角地で栽培は為されたのであるが、どうしてか廃れてしまい、欧州のようにブドウ酒の発展はなかった。
日本のブドウは古昔は山野自生のヤマブドウを利用下野であろうが、養老2年(718)に僧行基が中国より持ってきた種子を携えて山梨県勝沼あたりに蒔種育成したのが、甲州葡萄の原点と伝えている。行基(668~749)は諸国を巡錫して庶民から行基菩薩とまであがめられた法相宗の大僧であったが、このちに大善寺を建立し、そこに右手にブドウを持っている薬師如来(国宝)を彫り納佛した。ブドウは諸病防除の願薬なりとの覚禅抄があり、この寺は聖武天皇の勅願所となっている。文治2年(1186),この地の郷士雨宮勘解由が偶然新種の実種を発見し、これが甲州ブドウの原点となったのであるが、明治時代にいたり、染色体の研究により驚くべきことに欧州ブドウと近似種なことが判った。其の後外国から幾度もブドウ酒用ブドウが導入されたが、日本の気候に合わず廃れてしまった。一方、生食用は日本の特異な改良技術が実り、世界に誇るべき大型実・無核実が続出している。