Ad-01. たけ

Ad-01. たけ 多気・刺竹・僻竹・奈夜竹・竹珠

[大竹]・タケ・モウソウチク・マタケ・ハチク

漢語 竹・君子・吟風・竜孫

【万葉集記載】

多気

05-0824







宇恵太気

14-3474







佐須太気

15-3758







伊佐左群竹

19-4291







刺竹

02-0167

02-0199

06-0955

06-1047

06-1050

11-2773

16-3791

竹玉

03-0379

09-1790

13-3284

13-3286

19-4286



僻竹

07-1412







竹葉

09-1677







竹垣

11-2530







() 05-0824

梅花之歌 32



烏梅乃波奈 知良麻久怨之美 和我曾乃之 多氣乃波也之尓 于具比須奈久母



梅の花 散らまく惜しみ わが園の 竹の林に 鶯鳴くも

小監阿氏奥島

註釈:

散らまく=散らるのク語法

阿氏=阿部氏か 日本の苗字のうち,一字だけとって中国風に見せたもの、

() 19-4286

御苑生能 竹林尓 鶯波 之波奈吉尓之乎 雪波布利都々


御苑生みそのふの 竹の林に鶯は しば鳴きにしを 雪はふりつつ

註釈: 十一日大雪落積尺有、因述拙懐歌三首

() 09-1677

雑歌 大宝元年辛丑十月、太上天皇 大行天皇の紀伊国に幸しし時の歌 13


山跡庭 聞往稼 大我野之 竹葉刈敷 庵為有跡


大和やまとには聞えゆかぬか 大我野おおがのの竹葉たかば刈り敷き 庵いおりせりとは

註釈: 大我野=和歌山県橋本市東家、 もよし二つ割りにした竹のように、 

() 15-3758

中臣朝臣宅守


佐須太気能 大宮人者 伊麻毛可母 比等奈夫理能末 許能美多流良武


さす竹の大宮人はいまもかも 人なぶりのみ 好みたるらむ

註釈: 人なぶり=人をからかい、なぶること。

() 06-0955

大宰小弐石川朝臣足人の歌一首


刺竹之 大宮人乃 家跡佳 佐保能山乎者 思哉毛君


さす竹の 大宮人の家と住む 佐保の山をば 思うやも君

註釈:

さす竹の=大宮人にかかる枕詞。サスは「水枝さす」のにさすと同意で、竹の勢いよく伸びることから朝廷人を寿ぐ意となる。

大宮人=朝廷の建物内に入ることの出来る朝廷の役人。

家とすむ=この家は家の格式・資格などをいう。

() 06-1047

悲二寧楽故郷一作歌一首


八隅知之 吾大王之 高敷為・・・・・・春花乃 遷日易 村鳥乃 且立往者 刺竹之 大宮人能 踏平 之通之道者 馬裳往莫者 荒尓異類香聞


やすみしし わが大君の 高敷かず・・・・春花の うつろひ易かわり 群鳥むらとりの 朝立ちゆけば さす竹の大宮人の 踏み平ならし 通ひし道は 馬も行かず 人も往かねば 荒れにけるかも

註釈:

やすみしし=大君にかかる枕詞、

高敷下図=立派にお治めになる、 

() 07-1412

挽歌


吾背子乎 何処行目跡 辟竹之 背向尓宿之久 今思悔裳


わが背子を何処いずく行かめと さき竹の 背向そがいに寝しく今し悔くやしも

註釈:

さき竹の=二つ割りにした竹のように、

背向かいに=背中の方を向い合わせた、背中あわせ、       

寝しく=寝たこと

() 14-3474

相聞


宇恵太気能 毛登左倍登与美 伊出出伊奈婆 伊豆思牟伎で可伊毛我奈気可牟


植竹蘇うえたけの本さへ響とよみ出でて去なが 何方いづく 向きてか 妹いもが嘆噛む

註釈:

植え竹の本さえ響み=植えてある竹の根元でが鳴り響く如く、旅たちのときのザワメキ                を云う。 

出でて去りなば=出立していったら、

() 19-4291

和我屋度能 伊佐左村竹 布久風能 於等能可蘇気伎 許能由布蔽可母


わが屋戸のいさき群竹むらたけ 吹く風の音の かそけき この夕ゆうべかも

註釈:

いさき=いささかの、

かそけき=光や音が消え去ること

() 13-3286

或本歌曰


玉手次 ・・・倭文幣乎 手取持而 竹珠叨 之自二貫垂 神叨曾吾乞 痛毛須部奈見


珠襷たまたすき・・・倭文幣しつぬさを 手に取り持ちて 竹珠を 繁しじに貫き垂れ 天地の 神をそわが乞ふ 甚いたも為方すべ無み

註釈:

珠襷=懸けるに懸かる枕詞。 

倭文幣=倭文織の布で製した幣。シツは日本古来のあやおり。

竹珠=細い竹を短く切って、珠のようにして、糸に通して首飾or腕飾にする。神事に用いる。

概説

本項は、構造物の補助的の材料に用いられる 竹類 を集めたものである。而して、この竹類は取り扱いが輻輳しているので、本項Ad-01では比較的主幹()の太い竹(大竹)を、次項Ad-02では比較的細い篠竹(小竹)のようなものを取り上げ、笹の類はAd-03に組み分けた。

集で、竹に係る修飾語は格別の意味を持たないで、○○の・・として枕詞にされる場合が多い。古文で汎用的に使われる「たけ」の冠語を下述する。

うえたけ (植竹): 竹酔日・竹迷日 竹を植えるによい日

<晋書> 太宗修 陰暦五月十三日を竹植日とす。竹植えれば必ず活く。

かわたけ (川竹・河竹): この竹を指すのは数種あり、またけ・めたけ

かわたけの: 清涼殿の御溝水のほとりに植えられたので、「流れ」に懸かり、また節より「世」にかかる枕詞。

くれたけ(呉竹): 淡竹はたけいor真竹またけの異名,御溝水の辺を特定する場合もある。

くれたけの: ―の節より、同音の「世・夜・伏し・伏見」にかかる枕詞。

<大言海>

呉の国より移植したものと伝う。(1)淡竹類 丈数尺にすぎず、葉細かくして黄潤なり。多く庭に植えて、又杖とし、格子などに用いる。禁中の仁寿殿の西向の北の間に呉竹台というあり

<日本書紀 雄略 前14>

弘仁四年 此蔵 天下呉竹譬如清

<古今要覧>

呉竹は、古より仁寿殿前の北の方に植えられし竹にて即、淡竹ハチクの一種、最小鳴るものなり、故に今俗にこれを破竹、漢名を甘竹、一名甜という、

<源氏物語>

くれ竹のわざとなく風にこぼれたるにほひといへり

<古今和歌集>

呉竹の世々の古言 なかりせば いかほの沼のいかにして思う心を のばしましあわれ

なよたけの・なゆたけ: 奈用竹・名湯竹 弱竹 萎竹 細くしなやかな竹、若い竹

なゆたけの: よくしなうことから「とをろる」、また竹の節より同意の[夜・世]に懸かる。

なよたけ・なゆたけ(弱竹・萎竹): 細くしならかな竹、若竹。

-の: 弱竹がよく撓むことから「とおよる」、竹の節から「節」、同音から「夜・世々」に係る枕。 

<冠辞考>

たをやかます女の姿をなよよかなる竹に譬えていうなり。なゆ竹は女竹にて、皮竹ともいふ、那湯、名よ、音通へりといひ、詞草小苑にも、なゆは萎る義にてそのしなへをいふなり

<源氏物語 箒木>

強き心を強いてくわえたればなよたの心地して

<古今和歌集 1003>

なよたけの夜長き上に初霜のおきゐて物をおもうころかな

さきたけの (割竹の・萎竹・辟竹の): 割った竹。合わせにくい事から「背向」に係る枕詞。また撓むことから「とを」に係る枕詞。割った竹は不吉なものとして、割竹2本を交差させて、葬式の印とする地方がある。

さすたけの (刺竹の) 穏やかならざる人を指していうか、「君・大宮人・皇子・舎人男」などの枕詞。

<万葉集>

さす竹の葉隠りてあれ吾背子が吾許し来ずば吾恋ひめやかも

<万葉集全集>

刺竹の 冠辞考に、これは君とつずくのが原形で、それは立竹たつたけのくみの転、おそらく刺竹は立つ竹で、竹の繁茂している状態をいうらしく、従ってその盛なる有様によそへて君とかにつずくのであろう。

しの・しのだけ (篠竹): 群生する竹類の総称。やだけ・めだけを指定していう場合あり。篠すず

<和漢三才図会>

篠は小竹、群生して草の如し、俗に笹の字を用いる。凡 篠に数種あり、馬篠・児篠・焼葉篠・五枚篠。是等の筍みな篠なり、また一種長間竹、俗に奈伊竹という長間筍、篠タカムラ意諸州ともあり、味苦み多くして甜み微なり。多く食うに耐えず。しぬの訓の例あり。

<四能>

篠 阿騎あきの大野にはたすすき しののこざさ

<新撰字鏡>

箪 竹也 篠也 志乃又保曾竹 又宇戸

すず・すずたけ (篠竹) 〔寿々竹〕: 細くて丈の低い竹の一種、篠ともいう、

<鳥声集>

とまらむとする 小雀をおどろかし 若き篠竹 しなひ撓みつ

窪田空穂

たかたま (竹玉・竹珠): 細い竹を輪切りにして、磨き上げ、これを紐を以って繋ぎ輪状としたもの、首や腕にかけて、装飾具とする。

むらたけ 〔群竹・叢竹〕: 群生して生えている竹

<万葉集19-4291>

わが屋戸の いささむらたけ吹く風の おとのかそけきこの夕べかも

よりたけ 〔寄竹〕: 浜辺はどに流れ寄った竹

<平家物語3>

浜辺などに流れ寄つて、物具を保存され、

しちく・くろたけ (紫竹): 生えたとき、稈は緑色であるが冬を越すと紫色になる。中国の舜の皇帝が亡くなった時、二人の妃が悲しんで流した涙が伝わって、黒色になったという。

<浄瑠璃/反魂香>

ささらの所も古の紫竹に染むるばかり。

日本で、竹は四季緑を保ち、何時でも手に入りやすい故か、諸悪を清めるものとして祭事に用いられる。例えば、正月の門松に添えられ、七夕に短冊や提灯を吊るして祈願する。民間で、新築の造営時に行なわれる地鎮祭は、敷地の四方に斉竹いみたけを挿し、注連縄しめなわを張って邪気を払う。或る地方の田舎では、人が死ぬと、邪鬼が入らないように家の表に、十字に組んだ割竹を掲げる風習がある。この他、タケササを神の依代よりしろとする行事は各地に残っている。能の世界で、小竹の葉を持って舞台に登場する女は狂女という約束事であり、狂女は神の依代となった者である。<古事記>の有名な天の岩戸の件に「此処に天照大神の岩屋戸を聞きて…天宇受売命、天の香山の天の日蔭を手次に懸けて、天の真析を鬘と為て、天の香山の小竹葉を手草にむすびて」とあり、小竹葉を持って躍っているうちに神懸りの状態になり「胸乳をかき出て裳紐を陰に押し垂れ」たとある。亦、黄泉の国より伊邪那岐命が逃げ帰る時「湯津間櫛を投げ棄てれば笋生りき」とあり、笋は筍のことで黄泉醜女が食ったことが書いてある。そして同じく古事記に相手を呪い殺すために「塩を振りて川石を竹の葉に包み竹籠に入れ、竈の上に置き」と恐ろしい事が書いてある。竹には何か揮発成分があり、それが作用するのであろうか?鮨や粽に笹の葉を添えるのは、彩りのほか、この葉は細菌の防腐作用があるためである。

タケとは「木でもなし草でもなし」と、俗な仕分方で奇妙な存在になっている。此の件は古来雑学界の話題にしばしば取り上げられ、例えば明治の尋常小学校5年の本に「竹ハ木ナリヤ、草ナリヤ」と論ずる処があり、幼稚な問答と言えば其れまでであるが、竹・篠・笹の分類は、竹笹類の植物専門家でないと説明が出来ないほど難しい。

万葉集で竹を直接詠んであるのは、05-0824, 09-1577, 19-1677. 19-4291 の4首のみで、他は韻をもつ枕詞としての使用である。日本最古の古典―古事記にも^多気^の記事があるから、日本の古は山野に竹が繁茂していた事は確かである。そして、タケは得易い材であるから、構造物の建材に多用されていたであろう。しかし、日本の竹はシノダケのように稈の細い竹(小竹)であり、モウソウのような太い稈の竹(大竹)は無かったとするが定説である。(ただし、マチクは日本原産との説もあるが。)

即ち、大竹のマダケは、八世紀のころ中華国から輸入されたらしく、当時律令国家であった倭国では支配者の占有物であって、特定の地区にのみ栽培され門外不出であったらしい。また、モウソクチクは来歴がハッキリしており、正徳年間(1711)に琉球に渡来し、是が元文元年(1736)薩摩に入り、のち日本各地に広まったと記録がある。

<古事記 大国主命 国譲り>

尾翼髗、さわさわに控き依せ騰げて、打竹の(割竹)の、とをとを・・

<古事記 雄略>

是若日下部王令天皇、背日行幸甚恐、故己直参上而奉、是以還上坐宮之時、行立其山之坂上、歌曰、夜麻能賀比爾、多知邪加斯、母登爾波、伊久美陀気淤斐、須恵幣爾波、多斯美陀気淤斐、

<古事記伝 41

伊久美陀気淤斐イクミダケオヒ、伊は伊里の理を省けりなり、久美は師説(加茂馬渕)に久麻加斯の久麻とひとしくして、葉の繁ければ、篭り竹と云を約めて久美陀気と云鳴りとある、中略 又思うに、物の彼と此と一に相交わる意にもあるべし、されば伊久美竹は葉の繁して、彼是茂相入交じ合えるよしなるべし、淤斐オヒは生なり。中略 多斯美陀気淤斐は師説に立繁立生タチシミタチオヒなりとあり、立は生立るさまを云る似て、万葉に、春山跡之美佐備立有ハルヤマトシミサビタチリなどあり、立榮の立も同じ

景行>

倭建命 その后また御子等、その小竹の苅杙に足蹶り破れたりといえど

雄略>

金柑岡 夕日の日かける宮竹の根の寝垂れる宮

<日本書紀 7景行>

四年二月甲子…天皇欲得為妃、幸弟媛聞乗輿車駕籠則隠竹林

21 崇峻>

二年七月、…萬即驚匿篁週聚、以縄竹引動、令他惑己所入、

<出曇風土記 大原郷>

阿用郷、郡家東南一十三里。古老伝云、…、爾時男之父母竹原中隠而居、爾時竹葉動々、故云阿欲     

以後の日本文芸でもよく竹が出題されるが、これが如何なる竹かを名指しされていない故に、周囲の記事をよく推慮してみることが必要である。鎌倉時代の<物語二百番歌合>に呉竹と多く出てくるのは、これはハチク・マタケの類であろう。「今は昔、竹取の翁という者ありけれ」で始まる<竹取物語>で、「かぐや姫は三寸ばかりなる」としているから、姫は呉竹の空間で狭くて相当に窮屈であったろう。因みに竹取物語の原話は唐の小説にあるので、そうすれば中華国にもっと太い竹があるから、話の筋は合ってくる。和歌によく書いてある久礼太計は清涼殿の東庭に植えられていたとあり、マダケであるらしい。篠とは、幹が細く群生する竹の総称であって、特定種をいっているのではないが、一応メダケと考えて可である。”篠突く雨”の喩のように稈は真っ直ぐに竹原一面に生え、苦竹・皮竹・嫋竹などとも呼ばれる。竹玉というのは装飾具というより神事で祭礼に用いる道具であり、竹は呪術性があるとされる。

笹は北方地域に適応し山野に多く見られる、とは反対に竹は逆に南方地域に、特に東南アジアに多種生育する。変った種はバンブーで、これは数十本集って株立するもので日本の竹とはちっと違う。バンブーの筍は、季節に関係なく何時でも発する。なお、南方の地において、河岸近くに生える種類で枝に刺を有するものがあり、是の枝が落ちて繁殖する。これが密生している河原は竹薮で、人間は到底踏み込む事が出来ない位危険である.。  

著者がミヤンマ-を巡訪した際、ビルマの仏教寺院の境内は脱靴しなければならないとの規則があるので裸足で境内を歩いていた時、竹の刺が足裏にささって痛い思いをしたことがある。もっと凄い毒竹というのがあるそうで、この竹の煎汁をコーヒ-に入れて飲ませたインドで実際起きた殺人事件がある。竹にはトリテルペン系のサポニン質を含み、殺菌作用があるので、鮨など生魚食品の雑菌の繁殖を抑える作用は知られているが、南方の竹には毒性の高い溶血性のサポニンを含む種があると思われる。

中華国でも、竹は生活に密接に関わりがあるし、詩歌・絵画の情操の分野にも影響を与えた。七夕の習俗は中華国か発祥と思われるが、竹を使った現在のような飾り付けはなかったようである。集にも七夕を詠った歌が130余もあるが、それは織女(ベガ)と牽牛(アルタイル)のロマンスに関するもので、竹に関するものは一つもない。初めて登場するのは<太平記1巻)であり、江戸時代に盛んとなった。

中華国は漢字の国と言われる如く、植物の部位によって違う名前を付けるのであるが、竹に関しても幹()を稈カン,青皮を筠イン、葉を音*オンor挿、地下茎を鞭*ベン,タケノコを筍ジュンorシュン、タケノコの皮を籜タク、と書く。なお、竹薮を篁コウ・たかむら、篠は箘or箟という字を宛てることもある。

竹の稈は真っ直ぐで中空であるから、軽く且つ撓屈性があり、強靭である。仮設用足場・垣根・天井・簾などの建築資材、弓矢・竹刀などの武具、竹籠・箒・竿・支柱・竹釘・竹串・簀・笊などの日用品、茶筅・扇子・竹筒・柄杓・箒などの日用品、尺八・鼓笛・釣竿などの趣味品に、筍の皮は包装材・草履などに利用面は広い。紙がまだ発明されていない以前は、木や竹を薄く削いだものに文書を記録した木簡・竹簡というものがあった。竹簡は若い竹稈の内部にある薄膜を使用したものだと言う説もある。竹は木に比して虫害が酷い事と、湿潤な場所で腐り易い事で、遺跡を発掘しても遺留品の発掘は期待できないのであるが,古はあらゆる面に使われていたと思われる。なんといっても材料は容易に手に入るし、加工は簡単で、切削したり、或いは熱を加えると柔らかくなる面白いって性質がある。合成樹脂が今程普及していなかった1950年以前の頃は、建築材・家具材・農業資材などあらゆる面に使われていた。使用後は焼却しても公害ガスが発生しないという点で、合成樹脂に勝る。蒸叩法で竹パルプを作り、竹の繊維を漉いて作る製紙技術は東南アジアで採用され、無公害が評価されている。日本でも昭和20年頃に山口県萩市に生産工場があったと聞いているが、竹材のに集荷に問題があり成り立たなくなったそうである。竹繊維からの職布で作った洋服は、いま小生が着用しているが、全く軽いし、夏は非常に涼しく快適である。竹の稈以外の残りの小枝は、かって製塩事業の蒸発柵に、或いは海苔の疎朶に使われる以外に用途がなかったが、これを微砕して発酵し牛の飼料へと応用研究が行なわれており、また竹材を燻焼して活性炭を作る、竹活性炭は椰子殻炭に匹敵するほど効果があるそうである。最近、タケ公害が関西以西方面で問題視されているので、竹材の利用は竹公害の対策に丁度よいのであるが、問題は竹林は規模が小さく伐採集荷に手間がかかることである。次表は竹材の機械的強度(節部を除く)を他の針葉樹・広葉樹の代表例と比較したものであるが、竹材が素晴らしく優れていることが判る。但し,実用にするには、竹の直幹部のみを採り、薄くて短い切片を合材に作りなおす必要があり、経済的に問題がある。


曲げヤング率

縦圧縮強度

縦引張り強度

曲げ強度

セン断強度

モウソウタケ

12.5

75

170

140

16.5

マタケ

15.0

75

245

135

16.5

ヒノキ

9.0

40

120

75

7.5

アカマツ

11.5

40

135

90

9.5

イタヤカエデ

12.0

45

130

95

12.0

アサダ

13.0

50

155

110

14.5

さて、話を中華国の古事に戻す。晋の”王子猷”は竹をこよなく愛し、「何可一日無此君」と詠んだので、”此君”は竹の異名となった。同じく晋の時代に”竹林の七賢人[阮籍・愀康・、向秀・山涛・劉伶・阮咸・王戍]は喧騒な世情を避け、竹林で清談を交わし、別れに人数を数えた時、自分を数え忘れ六人しかいないと騒いだとの逸話の持ち主である。唐代の六渓[李白・孔巣父・韓準・斐政・張叔明・白陶沔]は山東省の狽菜山に集まり、竹林の中で飲酒を楽しんだそうである。舜の二人の后[娥皇・女英]は尭の娘であったが、夫の舜が巡幸中、蒼梧山で死去したとの報を受け、悲しみのあまり湘水に身を投げるのであるが、そのとき流した涙が竹幹に懸かり、班紋が出来、それから此処の竹は班紋があり、”湘竹”と呼ばれるようになったと。

<和漢三才図会 85 荷木 >

節 按竹中隔而不通物曰節、両節間俗云与、竹青皮曰筠、礼紀云、猶ニ竹箭之有筠、筍皮曰択籜

<書言字考節用集 6 生植 >

タケノハ、篺

<漢詩>

漁翁 漁翁夜傍西巌宿 暁汲清湘然楚竹

柳宗元 中唐

<漢詩>

春日田園雑与 舎後荒畦猶緑秀 鄰家鞭筍過艢来

苑成大 南宗

<漢詩>

自画墨竹 鄭老画蘭不画土 有為者必有不為 酔來写竹似芦葉 不作鴎波無節枝

渡辺崋山

<和漢古典植物考 2003 八坂書房>

詠竹四季情 脱択竜孫挺孫均 湛涼翠蓋隔紅塵 紙窓揺影吟良夜 竹葉錐銀亦酔人 

寺山竹渓


名称

漢名

樹丈(m)

稈径(cm)

区別

メモ

モウソウチク孟宗竹

毛竹・江南竹

1020

820

1780年、琉球を経て薩摩藩に到来

マダケ(ニガタケ)真竹

剛竹・斑竹

1020

515

筍はやや苦いが食用となる。

ハチク 淡竹

淡竹

815

310

節から枝が乱出する

ナリヒラタ 業平竹


58

35

稈は濃茶色〜紫色

トウチク 唐竹


510

45

節間が長い

シホウチ 四方竹

方竹

610

[45]

稈が四角

メタケ 雌竹(シノタケ) 

苦竹

25

13

河・海辺に大群落を作る、

ヤダケ 矢竹

兵竹・箭竹

25

0.52  

ササとコタケの中間

スズタゲ 寿々竹


12

0.51

ササ

ササとコタケの中間

ネマガリタケ 千島笹


1.53

0.51.5

ササ

ササ

クマザサ 隈笹


11.5

0.30.8

ササ


ホウライチク 蓬莱竹

鳳凰竹・鳳尾竹

35

23

バンブー

熱帯性のタケ

上表は日本におけるタケ・ササの代表種を摘出して掲げたもので、大竹・小竹・笹とに分けた基準を説明するものである。タケとササの違いにつては、ササの項で説明することにし、本項ではタケを取り上げるのであるが、これまた範囲が広いので、これを大竹・小竹に分けた。大竹の区分は一応{樹丈<5m、稈径<3cmの竹}と置き、マタケ属Phyllostachys・ナリヒラダケ属Semiarundinaria・トウチク属Sinobambusa・シホウチク属Tetragonocalamusの範囲である。古語また俗語の「呉竹・すずたけ・しの・むらたけ」などは上表のどれに適合すべきか、判定は難しいのであるが、その一指針として<古今要覧稿>が参考になろう。禾科での、ススキとオギの対比に見られると同じように、竹類は地下茎で増殖するのであるが、地下茎が伸びずに株立ちするバンブーという南方系の種がある。

竹の類

タケ

大型の竹

マダケ・ナリヒラダケ・シカクダケ・etc.

小型の竹

メダケ・カンチク・ヤダケ・オカメザサ

ササ

クマササ・アズマザサ・チシマザサ・ネザサ・

バンブー

ホウライチク・シチク・マチク

竹・笹類はイネ科Graminaeに分類されて、常緑多年生の植物である。タケササをタケ科に独立する文献もある。

<古今要覧稿 草本>

竹 竹の物のあらはれしは、天照大神乃伊都の竹鞆をとりおはしてと(古事記)見えたるぞ初めなり。・・・名用竹、奈湯竹、細竹、目刺竹、宇恵竹、辟竹、打竹の名は万葉集に出、河竹に川竹、呉竹、斑竹などの称は延喜式にみえたり。その河竹に箸竹の名を沈めしは和名抄に弁色立成を引、呉竹に笄竹の字、または於保多介に淡竹の字を塡めしは同書に楊氏漢語抄を引くるを始とす。…さて西土の書にただ竹と称するもの即小なるものは即大小の通名なるは論なし、我古に竹とのみ称せしは全く大なる物にして、篠と称するもの即小なるものなり。…既に集に刺竹・宇恵竹・辟竹の名ありといえども、その竹は必ず名湯竹・細目竹を指して云へるにあらず、且つ刺竹・宇恵竹は原より一種の竹名にあらざるによれば、旧より別種の竹の大なるもの在りし也、されど今世のごとくに夫の漢名を命じて区別せしものにあらざれば、さればすべてを竹とのみ称し歌によめるなるべし、…ある人の説に皇朝自然生の竹はすべて篠類にして、大竹は皆後世外国より持ち来たれるが繁生せしなりといへり、されば魏志倭人伝に其竹篠幹桃支といへる文によりて然るなるべけれども、それは全く我産物の我国中に大竹あること知らず。…

<古今要覧稿 草本>

竹 すべての竹の旧より歌に読み来りしを大凡に集めて書しるせしは、八雲御抄を始めとす、それより下りては和漢三才図会・大和本草等、各々その種類を載るといへ土も、僅かに十余種なり、いる本草一有の物といえども、また近時海外より渡りこし物もあり、今をもってこれを見ればその種類殆ど百種ひも近かるべし。

<倭訓栞 前編 14 >

たけ 雄竹をカラ竹といふ、常の竹也、雌竹をミカゴといふ、後まで皮付けたり、業平竹は雄竹にて、節は雌竹のごとし、よって名ずく、箱根竹は細長し、品川竹は川竹の如し、薩摩竹は雌竹の品、兼好ケンコウ竹はうるわしく葉も伸びやかなる物也、三股ミツマタ竹は武蔵足立郡芝村にあり、実竹あり、よなしとぞ、又節一つにて段々巻きあげたるあり、美濃高須の南からあひといふ所のの八幡の社内に豊トヨ竹有り、囲四五寸あり、寒竹の大なる如し、八月筍を生ず、当摩のまんだらにつきたる軸、一節一丈余あり、今洛東の禅林寺にあり、こは南広の篔簹竹なるべし、葉竹は淡竹、真竹は苦竹、土曜竹は鳳尾ホウビ凰、鳳凰竹ともいふ、筍を生ずる三伏に有り、南京ナンキン竹は義竹、棕櫚竹は椶ソウ竹、金竹は対青竹、島竹は黄金間碧、玉竹淡竹と呼は秋蘆竹、玳瑇竹,斑竹、箭竹の称は和漢同じ、布袋竹は仏面竹、観音竹和漢同じ、四方竹は方竹也、乳児竹は山白竹、根篠は千里竹、かしろ竹は皮白の義、箽竹也,翁竹あり、葉に縞有り、雪竹の類也、夜叉竹有り、北地に出、一節ごとに四方に枝さし出すあふたまた竹は天親竹也、紫竹を竿などに忌は湘浦の故事によれりと埃嚢抄にみえたり。

<重修本草綱目門啓蒙 26 苞木>

タケ・コヱダグサ・ユウタマグサ・カワタマグサ・チイログサ・カクバシラ、一名処士、瀟酒侯、瀟碧、青玉、蒼雪、蒼琅、青癲子、蒼庭筠、貞柯、碧玉、明玗、管若虚、抱節君、此君、妬母草、化龍枝、君子、戸魯孫、青士、賞静、比封君、寒玉、華草、

<和漢三才図会 85 苞木>

雙岐竹 五雑俎云、武夷城高巌寺後有竹、本出土尺許、分、直上、此亦従来未見之種、五行志云、太平興国寺亦有、按攝洲天王寺有之、淡竹之双岐者所々亦有、

竹葉 淡竹葉、除新久風邪之煩熱、止喘促気之上衡、煎湯洗脱肛不レ一、同根洗婦人子宮下脱

以下は昔の語で称せられた名前により、古文を紹介する。

孟宗竹

<書言字考節用集>

本名莟寒冬生筍、故云爾、蓋孟宗事実出晋書

<古今要覧 草木>

孟宗竹、一名わせたけ、漢名を狸弾竹、一名猫児竹といふ。その高さ二丈余、周囲八九寸にして、毎節間はちくより短い、其節の状上段至って低く下辺はやや低し、これを細査すれども全く下辺のみにて、上辺なきが如し、凡諸竹は半体以下、其の太さ毎節大概同じなれど、孟宗竹は根上第一二節よりして第三四節は少なく細く第五六節は更にやや細し、斯くの如くして梢上に至る故に、下麁にして上細なるは、即此竹の性也、さて孟宗竹は旧より王朝になかりしものにて、正徳の頃西土の種を始めて流球より伝うべしを薩摩に移し植えしが、今は四方にひろましより、国史艸木昆虫攷に見えたり、さればそれより以上は寒竹および鳳凰竹などの冬仝筍を生ずるものを孟宗竹と名付けなり、これ即此の竹の旧より我にあらざる確証なり。

<塵塚談 下>

孟宗文化近頃は江戸に大なる竹藪、諸処に出来たり、明和の比は、皆人珍しく思いし竹にて有しなり、四五年以来、笋も太くして一尺四五寸、ニ尺周りの大なるが夥しく出て、八百屋毎に売事なり、何地より出るや知らず、薩摩国にてこの笋を紙に漉よしなり

淡竹

<和漢三才図会 85 苞木>

淡竹 白竹 其筍籜白味淡甘、其竹赤色白、節間促苦竹、大者四五寸、長二三丈、

<大和本草 9>

 苦竹マタケ、カワタケ 国俗呉竹と云。又真竹と云。筍の味微苦、ハチクに劣れ理、筍生ずることをそし、其の大なるもの周尺余、其籜紫白色斑紋有り、用て笠としはきもの緒とす。其の他用多し。

<東雅 16>

竹 和名抄に、箝竹は漢語抄にいふ呉竹也。クレタケといふと見えしは即今俗にカンチクといふ者、其字をもて呼ぶなり、雪竹を俗に寒竹といふものには異なり。

<和漢三才図会 85 >

箝竹 呉竹 文字集略云、箝竹似菫而節茂葉滋養也、吉田兼好云、呉竹葉細河竹葉細河竹葉闊、按箝実中苦竹也、箝竹者一、今拠倭名抄、則淡竹之類、小細黄闊長不尺、人多植、可以為一レ杖、或為格子佳。

菫竹

<古今要覧 草木>

皮白竹 一名かしろ竹は、漢名を菫竹一名水白竹といふ、これ即ハチクの一種なり、故に其状すべて破竹と一様にして、ただ全身白粉ありて、霜の如を異なりとす。

漢竹

<古今要覧 草木>

漢竹、は和漢通名なり、江村如圭は漢竹伊予に生じ、以て桶に入れるべしと、谷川士清は漢竹桶となすべきもの豊後よりいずる…其の幹極めて長大にして、囲みニ尺余にいたるものにして、別種にはあるべからず、また竹譜詳録に、籠葱竹生羅浮山、因名羅浮竹、竹皆十囲といへるも、大略この類なるべしと思ひしに、籠葱竹は恵陽志に、葉如芭蕉、大長及一丈といひ、番禹志に、籠葱竹葉大如手、径三尺といふ時はこれと別種なり、…

寒竹

<大和本草>

寒竹 冬筍を生ず。孟宗竹とも謂う、色黒く細し

<重修本草綱目啓蒙 26>

竹 紫は紫竹なり、和名カンチク・モウソウチク、人家に植えて真垣とす、子竹なり、高さ五六尺、甚繁茂す。冬月笋を生す。故に孟宗竹と云、寒竹成熟の者は黒色斑を為す。大なるものは傘の柄に用ゆ、今別に紫竹と呼ぶものあり、即苦竹の品類なり、これ漢名紫竹といふ。

胡竹

<倭訓栞 前 9>

こちく、八雲御抄に胡竹也と見え、律書孚図に横笛本出於羲也と見えたり、拾芥抄には呉竹と見えたり、又周礼に弧竹之管、注に竹特生者と見えたれば是にや。

翁竹

<古今要覧 草木>

おきな竹 翁竹一名杢目竹は漢名間道竹といふ、其の幹節並び苦竹に似て、高さ一丈余、囲四五寸に至る、この竹始め独枝にして後に双枝のもの多し、…葉は大抵竹葉に似て、五葉を一堕朶とす、…また三葉のもの、四葉あるものは年を経て二葉或いは一葉のをのれと枯落としにして全形にあらず

布袋竹

<古今要覧 草木>

布袋竹 琉球竹 一名虎攅コサン(暴節竹)は漢名多般竹といふ、此竹根上より二三節以上葉、其節密なること凡五六節或いは八九節、其密のなるは十一二節に至る、其節は斜或正にして毎節擁腫、宛も人面の如く、或鶴膝の如く、或蜟螬の如く、或縮頸の如し、それより以上は節粗にて、節の形状真竹に似て、上高く下低し、凡密節上よい末に至りて其節の下に擁腫なきは此竹の常なれど稀に擁腫有るもあり、葉はハチクに似てやや長大にして繁し、…此の竹高さ八九尺より一丈許に至る、邦人従前此竹を杖とす、その質至て軽して雅種あり、実に扶老の材なり、此の筍状は、これ武田信玄存在の時手ずから杖を土にさし込み置きしが根付いものにて、いまに其竹を節の所より切れば花菱の紋あらわに見ゆるといひ伝ふ。此竹の産する処は甲斐国府中の傍なる信玄居城の跡なるよし、今松平越中守の大塚の下屋敷にその種を移し植えられしを親見するに全く今の布袋竹なり別種にあらず、

布袋竹 此竹、節間円起突出、頗る絵に書ける布袋和尚の絵の如く、またその腹の如くなる

琉球竹 此竹、もと琉球より来る。故に此の名あり。

虎攅竹 按に、三才図会に、虎攅竹は俗称なりといへども、其名義に至りては異筈、本草一家言に古散竹に作り、広大和本草に五三竹に作る、此竹の節、或は三或は五相連れるによりての名なるによし、又古散竹はこれと別物なれば、ただ音通にてその名を仮借せしのみなり、或はコサンは鼓にて閘中の地名なるもしるべからず。

多般竹 此竹、毎節極めて多搬、故になずく。

佛面竹

<古今要覧 草木>

佛面竹 和漢通名にて、一名人面竹、一名鬼面竹、一名仏肚竹、一名仏眼竹、といひ、また俗名を拉母七孤といふ、下野国茅橋の竹林、伊予国吉田領大乗寺境内にありと、其状大小の違いありといへ共、すべて地上一二節或は三四節より左右邪正両節相対して、大亀甲紋の如く中間高く起こりて頗る人面の如くまた仏肚の如し、方干魯が墨譜に毎節二句一聯の七仏偈を钁成せしは即此竹にて西土にも稀なりといへり。

亀文竹

<古今要覧 草木>

亀文竹は人面竹の類にて、世にに稀なるものなり、西土にては崇陽県宝陀岩に生いし一本のよし言い伝ふれども、往時琉球に産せし事ありしも、また珍しく、其竹高一丈余、節間矮促にして、節々亀甲紋をなす、国産いまだ是あるを知らず。

暴節竹

<古今要覧 草木>

高節竹一名筑竹、一名暴節竹は俗名をこぶたけといふ、」近頃舶来なしといへども、六七十年以前には、まれに舶来ありしを、松平播磨守園中に移し植えられしが三四年を経て、二間四方程に繁茂せしよし、今は絶えてなし。

方竹

<古今要覧 草木>

四方竹 四角竹は漢名を方竹一名刺竹といふ、今江戸処々に此有といへど、もとは肥後国の産なりと、または琉球より来れしものなりともいへり、所謂江戸にあるのはその高さ九尺より一丈許に至り、毎節相去る事三四寸にして、いずれの範囲にも、上によりて細趯砂ありて、砂紙を擦るが如し、また地上より一二節には周囲に細小根つらなり生じて、それより以上は毎節すべて細小根となるべきもの、皆突起して頗る黍粟の類を並べたたる如く、粒々まばらに付いて、其の先或いは尖りたるあり、

竹類の繁殖は、地下茎を伸ばし、その先で筍を萌芽する。筍の芽は地下茎の節毎についており、その内環境のよいものが、伸長する、もし、それが折損すると、その基の芽が代わりに伸長する。が著しく季節を外れると伸長しない。筍は極めて伸長が早く、一日に1.2mも伸びた記録がある。筍の伸長には皮に関係があり、皮の付け根に生長ホルモン“オーキシン”を発生するためらしく、光が直射すると抑制される。

植物

モウソウチク Phyllostachys heterocycta Mitf.. var. pubescens Ohwi, P. pubescens Mazel ex Houz. de Leh

コウナンチク・孟宗竹

中華国原産で、日本へは江戸時代の中頃 元文元年1737年に琉球を経て、薩摩藩に伝わったとされる。現在日本で見られるか竹の内で一番大きい種で、稈の直径820cm,高さ1020mになる。節環は1個、稈の下部20節くらい迄は枝だ出ないがそれ以上の高さになって交互に環節のところから枝を2本派出する。葉は枝先に28葉つき、長さ48cmの広針形で、厚さはやや薄く多数の平行葉脈が走る。葉鞘は無毛で肩毛は早く落ちる。葉舌は山形。筍は4月に出て、太く、暗褐色の黒斑のある粗毛のある稈鞘に包まれている。筍は食用になり、美味である。

補説

1. モウソウキクの中華国からの伝来は、第1回目は成功せず、第2回目に根づいた由。

2. この学名はキンメイチクの変種となっているが、主末顛倒である。

3. 節部は稈鞘の付けねと節間生長帯と接近しており、第一環状をtなす。枝は稈に対して水平に伸び、第一第二節には空洞が無く、子枝・孫枝を密に出す。

4. 筍の出るのは、竹類のうちで一番早く、次にハチク、ホテイチク、マダケの順である。

5. 竹が開花する周期について、兎角論ぜられるが、一定の周期でない。また、開花を観測した記録によると、我が国の竹薮では全部開花することはない。開花する年には、その年に伸びる葉が全部伸びてから、枝の先に810の苞がつき、その中に小穂が出来る。1小穂は1〜4単花からなる。

園芸種

キンメイモウチク forma Nabeshimana Muroi 稈面に緑と黄色の縞ができる。

キッコウチク.cv. heterocyctaform Mitf. 稈の下部の節間が交互に膨れて亀甲状になる。仏面竹

マダケ P.Bambuspides Sieb,et Zucc,

真竹、苦竹、 

中華国原産〔日本原産説もある〕、北海道を除く各地で栽培が見られ、稈の直径515cm,高さ1020mの節の環は2個(モウソウとの違い)、節間は2040cmで、枝の出る片側に溝がある。葉はやや厚く、長さ812cmの広針形、葉鞘の先端の肩毛は開出。葉舌は切形。筍は5〜6月に出て、やや苦いが食用になる。稈鞘は略無毛で暗紫褐色の斑紋がある。眉毛は稈と直角にでる。

補説

1. 枝はまばらに付き、枝の第一節間の中頃から空洞になっている。(モウソウ・ハチクとの違い)

2. 繊維束が細かく、節間がやわらかく、基部の繊維は長く、割裂性がよいので、細工物に用いる。ものさし、釣竿に、また根元は尺八に用いる。

3. 筍の皮は長くしなやかであるので、筍草履や包装材に

4. 本種の開花周期は60120年であり、本邦のマダケは19631973年に開花したので、つぎの開花は2025年以降になると予想。この竹は開花して一旦枯死しても、回復する。

園芸種

キンメイチク forma catiloni Muroi 鞘は出始めが黄金色で美しい。

ホテイチク P.aurea Carr.,下部の節が斜めに交差し、間が膨れている。

ハチク P. nigra Muroi form. Henomis

呉竹、唐竹

各地に植栽され、また野生化している。これらは自生であるとの説もある。耐寒性だあり、北海道にも栽培されている。稈の直径310cm,高さ815m、表面粉白色、節の環は2、葉は枝先に3個ずつ着き、長さ510cm810cmの広針形で先は尖り、裏面は帯白色、葉鞘の先にある肩毛は直立する。葉舌は山形で縁に刺がある。筍は45月に出芽し食用になる。皮は淡紫色でまばらに毛があり、肩毛は開出する。

補注

1. 学名で、クロチクの変種のようになっているが、これは逆でハチクの方が母種である。

2. 枝は比較的下方からも出る。マダケに比べて鞘の節は低いが枝の節は高い。また枝の第一・二節間には空洞がない。

3. 稈鞘(筍の皮)には微毛があり、薄紫色で黒斑がない。付属物は長さ17cmで、縁が波打つ。眉毛は発達し、盤状物もまたよく発達する。

4. 柄は稈に対し45度の方向に伸び、細かく分岐しているので、竹箒・竹垣に利用される。稈は肉薄で強く細工し易く、弾力に富んでいるので、茶筅・茶杓などの茶道具、筆軸・箒柄・物干し竿などに利用される。

5. 葉の基部に長くて白い軟毛があるし、肩毛はマダケより短く、葉の全面に短毛がある。

6. 稈に黒斑があるものがゴマタケで、第二起源層に突然変異したものがメグロチクである。また、生理斑という波渦斑ができたものをタンパクチクといい、工芸品に用いる。田舎の藁葺小屋の天井に支えられていた竹稈は煤けて黒光りしており、最近これを貴重視して高価に取引されるそうである。

近縁種

クロチク P. nigro Munro シチク 年数を経ると鞘枝ともに黒紫色になる。       

園芸種

インヨウチク P. Tranquillans Muroi

ヒメハチク P. humills Muroi

 ナリヒラダケ Semiarundinaria fastuosa Makino

業平竹、ダイミョウチク

本州に野生もあるが、格好がよいので、茶庭によく植えられている。稈の直径35cm,高さ58m,節間は少し短い。薄茶色や淡紫色をしており、容姿が美しく在原業平に因んで名付けられた。枝は交互の筋から3本出、2年目に追加して数本になる。葉は枝先に46枚着き、長さ1015cmの広針形で先は尖る。筍は春に出て、皮は成長後もん暫くぶら下がっている。中国・四国地方に多いが、東京でも料亭などにも見られる。

補注 

1. 節から多くの枝を出すササ属の特徴と、稈鞘の皮を落とすタケ属の特徴を併有する。

2. 枝は1年目に1筋から3本を出し、翌年に数本を追加して出る。枝の先はジグザク状に伸長する。

稈の断面は溝の窪みがなく、殆ど円形である。皮は稈の芽の在る部分だけが剥がれない。

3. 花は総状花序を枝から束生する。雄蕊3,春〜秋に開花し、実の稔性は低い。一斉開花の傾向が強。1970年に開花したので、つぎは2030or 2090年と計算できる。開花した株は枯死する様に見えるが、翌翌年頃から回復する。

変種

アオナリヒラ var. viridis Makino 節間が長く、稈は鮮緑色。笛を作る。

ヤシャダケ S.yashadake Makino ナリヒラに比して、節間が長く葉は小さい。夜叉竹

トウチク Sinobambusa tootsik Makino

唐竹、ダイミョウチク

原産地不確なるも、中華国産と日本産との両方の意見がある。生垣など暖地に植樹されている。稈の直径約5cm,高さ510m,節間は長く6080cmになる。枝は3本派出し、枝先に39枚の葉が着き、長さ520cmの広針形で裏側に微毛が密生する。葉鞘の肩は直立する。小穂は長さ820cmで細長い。筍は6月頃、皮は帯紫褐色で縁部には黒褐色の毛が密生する。先端に葉耳ヨウジ、が発達し、其の縁には長い肩毛がある。

補注

1. 本種の特徴は節間が長いことである。稈鞘の離脱に際して中央が離れず巻きついたような形で暫時垂れ下がっている。稈節には黒色の毛が密生する。

2. 筍は初夏に出る。稈鞘は薄く、背面・縁に祖毛があり、付属物は非常に長く盤状物も20x5mmと大きく、その周りに長さ20mmの眉毛を1520本つける。

3. 花序は1015cmの紐状で、分岐は少ない。稀に開花し、10小穂のうち、1粒位結実する。

タケは単子葉植物Monocotyledoneae イネ科Poaceae(Graminaceae)に組み入れられている。イネ科のなかでも、冬でも地上部が枯れない常緑「一般の植物に於いて、草に対比して木に当たる」の植物がタケ・ササである。イネ科は世界に約6009500種、日本に約100500種も包含する大所帯であるので、タケ・ササの類を別科にしたらとの案もある。現在はタケ・ササ合わせてタケ亜科Bambusoidaceを新設することに落ち着いている。イネ科の特徴の一つに植物体の茎に節があることで、タケもこの特性に従う。竹類は元来、東洋を原産地とするものが多く、日本にも原産とするものがある。それで、タケ・ササに関する研究が多くなされ、とくにササ類の新種は日本の植物学者によって発表された。しかし、此の類の特定は外観・生育地などの鑑定は勿論のこと、筍も含めて細かい部位の変化を見定めなければならない。室井綽教授並びに鈴木貞雄教授はこの分類について、タケ類・ササ類・バンブー類としている。

今のところ、日本で最も栽培が普遍しているのはモウソウチクであるが、本種は中華国が原産であり、島津藩が琉球から導入したと伝えられ、短年月のうちに全国に遍布したと文献に書いてある。すなわち島津藩第21代吉貴が流球王に20株所望したとtころ、文元年(1736)に2株送られてきて、それを別邸(現在の磯公園)に植えた。安永八年(1779)薩摩藩から江戸大崎袖が崎にあった島津下屋敷に分植し、島津家から江戸吹上庭園へ献上したとある。更に各大名や金満商人に分譲に分譲をされて、例えば京橋の回漕問屋山路治郎兵衛の別宅に移植去れたものが、三代目三郎兵衛のころに八町八反の大竹林になったと書いてある。そこから嘉永七年’(1854)に目黒の農家に株分けされたものが、明治時代になり目黒名物の筍となるのである。一方京都の嵐山から嵯峨野あたりにかけての孟宗竹林も有名で、京料理の筍を供している。ここの源の株は現在宇治市にある黄檗山万福寺の像が唐から持ち帰ったとも、また乙訓郡海印寺村寂照院の開祖道雄和尚が持ち込んだとも伝えらる。道雄禅師が遷帰したのは仁寿元年(851)であるから,島津家の話より950年も前のことである。なぜ京都の孟宗竹が蔓植ならなかったかと云うと、竹の移植は造園上の取り決めがあり門外不出と成っていた由、しかし千年近くも流出しなかったとは疑問が無いではない。

磯公園にある孟宗竹は昭和44(1965)に開花が認められた。種から育てられた例は日本で2例あり、横浜市緑区にある前田政次郎氏が大正元年(1912)播種した孟宗竹は、67年目の昭和54(1979)開花した。もう一例は千葉県天津小港町の東京大学演習林で、昭和5年(1930)に開花結実した種子を栃木・茨城・埼玉・千葉の各県に分配して播種育成したもの何れも平成9年(1997)に開花した。これは偶然かも知れないが67年目である。仮に周期が67年であるとせば、磯公園の孟宗は植樹してから233年目に開花をみたのであるから、日本に輸入されたのは34歳の苗木であり、其の後2回の開花があったことになる。

「孟宗」とは、中国の24孝人の逸話より、即、呉の江夏に住む孟宗の母は筍を好み、冬の寒い季節なのに筍を食いたいと言い出した。孟宗は竹林に入り、神に祈ったところ筍がニョキリと生えてきたと伝話になっている。それでモウソウと云うのであるが、この話は実は、筍は冬に入る前に地下茎に準備されているので、1月頃掘っても小さいが筍を見つけることができるということである。

モウソウチクの筍は美味であり、中国では毛竹といい、江南・江蘇・江西・安微の広い地域で栽培されている。日本では目黒の筍が有名であるが、一方京都の嵯峨野あたりには広い竹林があり、京料理の筍材を提供している。ここで筍名人がいて、冬二月に竹林に入り筍のある場所を探し当てるそうである。冬季に筍を生ずる竹種は他にもあり、例えば寒竹があり、これも孟宗と呼んでいる。本邦の<西遊記 前編2>に薩隅の唐孟宗の筍は美味であり、京都の筍と食べ比べしてみたい旨書いてあるし、本邦には小竹のみで大竹はなかったとする論は当時の学者の知らなかったことで、実は大竹はあったのだと<古今要覧>に指摘している。

註〕今日、吾人がカンチクと称しているのはChimonobambusa marmorea Makino 、であり、稈の直径は23cmであるから、大竹に当たらないし、筍は秋生であることも上述と違うものである。

定期的に出芽する芽を筍‣笋と称して食用にする。人間のみならず、野生の鹿や猪も好み、牙や角で掘って食べる。筍の出芽する時期は竹の種によって違う。筍は、生長が驚異的に早く、京都で上田博士の、マダケで一日に121cm, モウソウチクで119cmの成長記録がある。外国人はこれを信ぜず、実物をみて初めて納得したそうである。食用にするには地表から頭が出た1日程度が勝負で、これは柔らかくて独特の食感と落ち着いた甘味がたまらなく美味しい。甘み成分は、セルロースになる前の含水化合物であるチロシンであり、水溶性であるが酸化すると白色の粘凋物になる。筍を茹でた時、白い粕のようなものが出るが、それである。冬2月頃、孟宗竹の早採り筍が市場にお見えになることがあるけれども、これは値が高いだけで、本当は4月初〜中旬のものが美味しい。それも掘ってから時間が経つと刻々と味が落ちる、少なくとも1両日中に料理すべきだ。それを過ぎるとエグミが出てくる。5月に入るとマダケの筍が、これは幾らか苦いけれども、其の味がいわゆる大人の味で美味しい。6月から東北・北海道でネマガリタケの筍が採れる季節となる。岩手県に葛根田と云う所があるが、そこに高温の温泉が自噴しておるので、付近の山でゴッソリと採ったネマガリを束に縛り、湯につける。自分は一風呂浴びて汗を流したころが茹で上がりで、束を引き上げすぐ近くの雪解け水で冷ます。是を持ち帰り塩漬けにして保存食にしているが、この取立ては絶品の味である。カンチクという種類の筍は晩秋から冬にかけて、市場に出て来る。

最近タケ公害と呼ばれる、勿体無い話だが、とくに関西から中国にかけて、竹の子を採らずに放置したために、根が蔓延り過ぎて隣接した他の畑や森林を侵蝕しているのである。竹の根は頑強であって、その撃退・駆除は容易なことでない。元来、竹林は適宜に筍や成竹を取り除かねばならないのだが、農業従事者が不足しているため、人が踏み込めない位に荒れ放題になり、藪蚊がワンサと発生してマラリアなどの防疫上も問題になってくる。

タケ・ササ科植物の属と種  

1. マタケ属 Phyllostachy

モウソウチク P. pubscens Sieb et Zucc

ホテイチク P. aurea Carr. ex C.Riv,

マタケ P. bambusoides Sieb. et Zucc.

クロチク P. nigra Munro

ハチク P. var, henonis Stapf,ex Rendle

2. インヨウチク属 Hibanobambusa

インヨウチク H. tranquillans Maruyama

3. ナリヒラダケ属 Semiarundinaria

ナリヒラタケ S. fastuosa Makino

アオナリヒラ var, virigis Makino

リクチュウダケ S,kagamiana Makino

ヤシャダケ S. Yashadake Makino

ビゼンナリヒラ S. okudoi Makino

クマナリヒラ S, fortis Koidz,

4. トウチク属 Sinohambusa

トウチク S. tootsik Makino

5. シホウチク属 Tetragonocalamus

シホウチク T. angulatus Nakai

6. オカメザサ属 Shibataea

オカメザサ S. Kumazasa Makino

7. ホウライチク属 Hambusa

ホウライチク B.multiplex Raeusch.

ホウオウチク var, gracillima Susuki

ダイフクチク B. ventricosa McCluer

リョウチク B. dolichoclada Hayata

チョウシチク B, dolichoclada Hayata

ダイサンチク B,vulgaris Schrad Wendl.

シチク B, stenostachya Hackel

8. マチク属 Dendrocalamus

マチク D. latiflorus Munro

9. ササ属 Sasa

(1) チシマザサ節 Sect. Macrochlamys

チシマザサ S. kurilensis Makino

オクヤマザサ S. cernura Makino

エゾミヤマザサ S. tatewakiana Makino

カワウチザサ S. suzukii Nakai

アキウネマガリ S. akiuensis Suzuki

アサカネマガリ S. sudvillosa Suzuki

(2) イブキザサ節 Sect. Monilicladae

イブキザサ S, tsuboiana Makino

ミヤマクマザサ S. hayatae Makino

トクガワザサ S, tokugawana Makino

イヌトクガワザサ S. scytophylla Koidz.

マキヤマザサ S. maculate Nakai

サイゴクザサ S. occidentalis Suzuki

ミネザサ S. minensis Suzuki

ミアケザサ S. Miakeana Makino

(3) チマキザサ節 Sect. Sasa

チマキザサ S.palmata Nakai

シナノザサ S,senanensis Rehder

ケザサ S.pubens Nakai

フゲシザサ S. fugeshiensis Koidz,

ヤヒコザサ S. yahikoensis Makino

シコタンザサ var,depauperata Suzuki

クマザサ S.veitchii Rehder

チュウゴクザサ var.tysgokensis Makino

オオザサ var. grandifolia Suzukiq

オオバザサ S.magalophlla Makino

クテガワザサ S.heterotricha Koidz.

ミヤマザサ S. septentrionalis Makino

(4) ミヤコザサ節 Sect.Crassinodi

ミヤコザサ S. nipponica Makino

ウンゼンザサ S. gracillima Nakai

センダイザサ S. chartacea Makino

ニッコウザサ var, nana Suzuki

コガシザサ S. kogasensis Nakai

タンガザサ S.elegantissima koidz.

ウツクシザサ S. pulcherrima Koidz/

アポイザサ S. samaniana Nakai

ビッチュウミヤコザサ var. yoshinoi Suzuki

オヌカザサ S.nibaconuca Koidz.

10. スズザサ属 Neosasamorpha

サイヨウザサ N.stenophylla Suzuki

ヒメカミザサ subsp. Tobagenzoana Suzuki

ツクバナナンブスズ N.tsukubansis Suzuki

イナコスズ subsp.pubifolia Suzuki

イッショウチザサ N.magnifica Suzuki

セトウチコスズ subsp. Fujitae S,suzuki

オモエザサ N,pubiculmis Suzuki

オオシダザサ N, oshidensis Tatewaki

ハコネナンブスズ N.shimidzuana Koidz

カガミナンブスズ N.kakamiana Koidz. 

タキザワザサ N,takizawana Tatewaki

11. スズタケ属 Sasamorpha

スズタケ S. borealis Nakai

ケスズタケ S.mollis Nakai

12. アズマザサ属

クリオザサ S. masamuneana Hatusima

サドザサ S. sadoensis Suzuki

アズマザサ S.ramosa Makino

スエコザサ var.suwekoana Suzuki

シオバラザサS, shiobarensisi Nakai&Koidz

ショウボウザサ S.bitchuensis Maki &Koidz

ヒシュウザサ S. hidaensis Makino

ヤマキタダケ S. hisauchii Makino

タンゴシノ S, leucorhoda Koidz,&Nakai

ケスエコザサ var. kanayamensis Suzuki

オニグジョウシノ S. caudiceps Koidz.

コガシアズマザサ S.kogasensis Nakai &Koidz

ヒメシノ var.gracillima Suzuki

13. ヤダケ属 Pleioblastus

ヤタケ P. japonica Makino

ラッキョウヤダケ var. tsutsumiana Yanagita.

ヤクシマダケ P. owatarii Makino

14. オオバヤダケ属 Indocalamus

オオバヤダケ I. tessellates Kengf

15. メタケ属  Pleiblastus

[1] リュウキュウチク亜属 Subgen. Pleibiastus

ゴザダケザサ P. gozadakensis Nakai

カンザンチク P. hinearis Nakai

リュウキュウチク P.gramineus Nakai

タイミチクンチク P. .gramineus Nakai

[2] メダケ亜属 Subgen. Nipponocalamus

(1) メダケ節  Sect. Nipponocalamus

ヒゴメダケ P. higoensis

メダケ P. simonii Nakai

キボウシノ P.kodzumae

ヨコハマダケ P. matsunoi Nakai

シラシメダケ P. nabeshimanus Koidz

エチゴメダケ P. pseudosasaoides

(2) ネザサ節

アズマネザサ P. chino Makino.

ネザサ var. viridis Suzuki.

オロシマチク P. pygmaeus Nakai

オキナダケ P. argentrostriatus Nakai

アケボノササ P. akebono Nakai

シブヤザサ P. shibuyanus Makino

チゴザサ P. fortunei

トヨオカザサ P. humilis

ヒロウザサ P. nagashima Nakai

エチゼンネザサ var. koidzumi Suzuki

コンゴウダケP. kongosanensis Makino

ケネザサ var. basihirsutus Suzuki

カムロザサ P.viridistriatus Makino

アラゲメザサ P. hattorianus Koidz

16. カンチク属 Chimonobambusa

カンチク C. mamorea Makino

食用にする竹は、種類により苦いものがあるが、日本の竹は原則として全部食べられる。(外国には毒な種もある).苦いものやエグイものは、石灰を入れて茹でることで、樽漬けにするか、細く切って乾燥して保存する。バンブーの一種のマチクDendrocalamus latiflous Munro noの筍は、発酵させてから乾かし、ラーメンの具=メンマである。栄養分はあまりないが、繊維の食感を味とする。採りたて筍には、タンパク質・脂肪ががあり、ビタミンB12,K、ミネラルが豊富である。若い人が食すると顔面に吹き出物が出ることが偶々あるが、これは含有トリテルペノイドのホモゲチジン酸(性ホルモンの構造に似たところがある)が、酸化途中で可溶性サポニンに変化する工程で作用するらしく、エグイ筍は裂けたほうがよろしい。

タケノコを食する文化は東洋独特のもので、欧州には良質の竹がないからか食べる習慣がない。

曾って、ペリー提督率いるアメリカ艦隊がきたとき、竹の根の輪切りを食事に出したそうである。相伴の日本側は筍の煮たものをガリガリと食って見せ、日本人はよほど歯が強いと吃驚するだろうとの笑い話のような画策をしたと。

種類

出筍期

利用している地域

生育

皮色

その他

モウソウチク

3月〜5月

本州・四国・九州

栽培

黒斑

いくらかエグ味あり

ハチク

4月〜5月

本州・四国・九州

栽培

淡紅

苦味少なし

マダケ

5月〜6月

本州(北部)

栽培or逸脱

薄黒斑

苦味あり、

カンザンチク

4月〜8月

九州

栽培

大型

アクなく美味

トウチク

9月〜10

四国・九州・沖縄

栽培

紫斑多毛

美 味

カンタケ(ササ)

9月〜10

四国・九州

栽培

黒 虎斑


ネマガリタケ

5月〜 6月

北海道・東北

野生

帯紅白色

山菜(スズコ)

笹の葉を、鮨の板葉にするのは、此の中に殺菌成分が含まれているためで、昔からの知恵であった。竹の葉にも同様成分トリテルペン類が含まれて,またこの葉にはビタミンC,K,Bが大量にふくまれており、茶代わりに飲む地方があると,冷茶は夏バテによいと聞く。シシマザサの珪酸質のまだ沈着しない若葉を引き抜いて、基部の白いところに味噌をつけて、或いはテンプラにして賞味する。少し生長して硬くなると、ガラス質の毛刺が出来て手を切ったりするが、それでも牛や馬はとくにパンダは好んで食する。

筍は繊維質が多く、ダイエットに効果がある。ところが、竹が有毒であると書いた記事があり、それは竹に寄生する茸の一種らしい。

<和漢三才図会 85

苞木 竹実 籲 俗云自然穀ジネコ

本綱,今竹間見花、小白如棗花、亦結実如小麦、子無気味、而檣可飯食、謂之米、以為荒年之兆其竹即死、必非鸞鳳所レ食者、一種有苦竹枝上大如鶏子、竹葉層層包之、賞味甘勝蜜有大毒、須下以灰汁、煮二度、練吃乃茹食上練不熟則戟人喉出血手爪尽抜也、是此一物恐与竹米実同、古今医統云、竹多年則生米而死初見一根生米、則載去載去上梢一去上梢、近地三尺通去節,濯犬糞則余竹不米也

インド・ベトナムでは筍の食用を禁止しているところがあり、それは、熱帯地方に毒筍があるためである。ギガントコロアイ属の筍の皮には粗毛があり、この毛に毒素があることが解っており、実際に此の刺毛を粉末にしてコーヒーに入れた殺人事件があったそうである。更に注意すべき別件、戦時中1943年、東北地方でササが実ったのでこれを団子にして食ったところ妊婦の流産が続出した由、此の原因は麦角菌によるものと判明した。麦角菌Claviceps purpurreaはイネ科の子実に寄生し麦角Ergotをつくる子嚢菌で、欧州で農夫が偶々犯される手足の壊疽の原因となっている。この毒素はergotoxineと呼ばれるアルカロイドで子宮収縮作用があり、出産のとき使われる。別の野草の麦角から、erginelyserg-saure amidが得られており、これら化合物は幻覚作用を齎す、この時の半合成化合物が^Sandoz 社のLSD麻薬である。

筍の料理法は、筍羹・汁物・辛子和・香の物・刺身・蒸し焼筍・筍飯など色々と、日本の最初の料理書<料理物語(寛永201643) >に書いてある。また筍は保存し易い食品であり、<料理珍味集(宝暦131763)にも書いてある。

<倭名類聚抄 20 竹具>

笋 爾雅注曰、筍、竹初出也、本草云、竹筍味甘平無毒、焼而服長間笋 兼名苑注云、長間笋笋青最晩生味大苦也

<本朝食鑑 3 柔滑>

笋 訓太加牟奈、今訓竹乃子

集解、今本邦所食之筍者、苦竹淡竹長間竹篠竹之筍也、苦竹者俗称真竹、或称唐竹、古称加波多計、淡竹者俗称波竹、古称於保多計、長間竹者俗称奈伊竹也、淡竹筍者籜有紫黄黒班而美、筍肉亦甘脆碧色、有香大美、江東小京師多而最肥美、従古以醍醐蒸筍珍,然不采レ生煮食、而鞍馬嵯峨東北山中之産為第一、和河紀摂江丹諸州多出而太美、海西諸州亦淡竹筍多、苦竹筍少謂保有亦不之、江東惟苦筍最多、其味甜苦相交、其中以甜多苦少、為佳、淡筍稀有、当世販菜者二三月未筍時、深掘竹根小筒、以其早為珍貧価、其味不好矣、長間筍者諸州倶有、味尚苦多甜微、不多食也、今洛及畿内醇蔵詞而貢献之者悉是、淡竹筍江東惟下以苦筍而醇蔵之、或不久或易腐、亦不佳、故収造者小矣,凡籜皮紫黒斑者、菜収晒乾以為器用、白者又用、多采之貨干四方、淡筍籜者厚而難敗、苦筍皮薄弱易損爾

苦筍、気味、苦甘寒無毒、主治、化痰除熱、下気利水解酒毒

淡筍、気味、甘寒無毒、主治、消痰除熱、婦人驚愕、少児驚癇倶治

長間筍、気味、苦寒無毒、主治、下気利隔爽胃、然多食動虫積人上気嘔吐

発明、諸筍倶雖寒冷無毒、性硬難消去後福利無於脾胃、惟其淡甘可愛、最不人之理、然則豈可多食哉。

タケノコの皮を剥ぎ取ると生長が止まる。片側だけ剥ぐと弓状に曲がった竹ができる。だが、皮の接着部を残して上の方をハサミで切り取ってみると、完全ではないが生長は続く。これは皮の接点部分にオーキシンなる植物生長ホルモンが分泌するためらしい。タケノコを縦に切ってみると、節が出来るところに予め段々に仕切りが入っているのが見える。生長する時この節の部分は生長が少なく、稈筒となる部分が縦方向にのみ生長するので中空筒となる。横方向への生長はないから、竹の稈の太さは筍の太さそのものである。上田弘一郎博士はこれを女性の子宮に譬えて、カグヤ姫が3ケ月で成人になったのも、筍が親竹なる期間に相当し得ると面白い話を提供しておられる。筍が生長する初期段階で外力を加えると、変形した竹ができる。例えば、四角の鉄製の箍タガをしっかりと嵌めておくと、四角の竹が出来、これは茶室の床柱などに用いられる。そこで、内側から圧力を架けたならばどうなるであろうか、恐らくビール樽のような膨れた竹になるに違いない。ところが今の所、内側から力をかける方法が考えられないので実権確認はしていないが、カグヤ姫にお願いすれば可能かも知れない。

<竹取物語>

いまは昔、竹取の翁といふものありけり、野山にまじりて竹をとりつつ、よろずの事に使いけり、名をばさかきの造となむ云ける。その竹の中にもと光る竹なむ一筋ありける。竹取の翁竹を取るに、此の子を見つけて後に竹をとるに、筋を隔ててよごとに金ある竹をみつくる事かさなりぬ。

マダケの実測値で、1本の竹の地下茎に4〜14の若芽を萌芽し、生長するのはその内の1or2本である。出芽以前の芽を取り去ると次ぎの芽が大きくなる。親竹は4〜5年までが子供を萌芽する年齢であって、それ以上になると極端に萌芽率は劣えるから、造林を試みるならば5年を過ぎた竹は切り捨てた方がよい。

1本の竹の寿命は最大20年くらいで地下茎と共に枯れて次代の若竹が引き継ぐ。このように竹林では毎年新陳交代があるのであるが、ある時に至り、新旧に拘わらず、地下茎で結ばれている全群が一斉に枯死することがある。その周期は60年とも120年ともいわれ、その末年に竹の花が咲き不吉な前兆であると占っている。60年周期説は東洋思想からきたもので、迷信と判っていても不気味である。開花と同年にその一帯の株は衰え、翌年から僅かに残った若竹は増殖をはじめ、約10年で元の竹林程度に戻るそうである。それとは別に、竹の秋と呼ばれている季節があって、毎年4・5月の短い時期に竹の枝に着いた葉は黄色に紅葉して、新葉と入れ替わる。イネ科の植物に起こる現象である。

竹・笹の類は花が咲いて結実し、一生が終わるとの古の伝えがあるが、これを実測したのが、千葉県清澄山にある東大演習林である。近野英吉博士は昭和5年(1930)に、300年研究計画をたて、横浜市緑区宮田町で開花結実したモウソウチクの実生苗を移植し、石碑を建て後世に研究を継続するよう委ねた。その後67年目にあたる平成9年(1997)に開花を見、結実に至ったことを井出雄二。鈴木誠両氏によって報告された。それによると、1994年には新筍が全くなかったところ、19954本の新竹が発生したが、2本は短い竹であった。同年季節が過ぎてから矮生の竹19本も密生した。1996年に竹枝の節間が異常に詰まっているのが観察された。1997年7月から8月にかけて同演習林94平方米にある78本のすべての竹に着花が認められた。即ち、モウソウ竹は63年目に異常が認められ、67年目に開花が起きた。その5年後の平成14(2002)8月下旬にその近くにある大多喜町県民の森の竹薮で約20本の孟宗竹が淡紅色の花をつけ結実した旨報じている。この竹は昨年出芽した新しい竹である。その両者に如何なる関連があったのか不解明の点が残っている。

会津磐梯山は笹に小金が成りイ下がるとは、笹が花が咲いて実が稔ることらしいが、必ずしも喜んでばかりおれない。竹が開花するとは枯死に繋がり、飢饉など不吉なことを予想する。笹竹の実は雀/鼠などの小動物の食料となるから、これらは害獣として急速に増えるわけである。嘉永三年(1850)の大不作のときも竹が開花し、これを食料にしたとの記録がある。ところが<延喜式>竹の花は瑞祥とし、平安時代には竹の紋と鳳凰が流行したとある。近年の例をみると、各地のマタケが開花した1967年は稲作は大豊作であった。これらを考慮するに竹の花と吉凶は関係ない様に思われる。稲や麦の多くのイネ科植物は一年周期で結実するので切実に感じないが、トマト・ナス・イチゴ・ダイコン・キャベツ・スイカ・エンドウなど殆どの園芸植物は嫌地現象がみられる。と同じように長年月同地で生育する竹にあっても嫌地現象がおきるのではなかろうか。開花する遠因は、土地の微量成分が涸欠するため、面積当りの出立数が多くなり日当たりがわるくなる、根の伸長範囲が限られておりその限度に達した、また根が過密になり根つまりを起こした、天候が不順となり特に旱魃年にくる、細胞の分裂にはある回数での限度がありその限度がきた、などの諸説があるなかで、1961年に室井綽博士はC/N比が増大すると開花にいたることを測定結果に基き発表している。

筆者は竹の実の団子を試食したことがあったが、エグ味があって、決してうまいものでない。しかし野鼠はこれを喜ぶようで、ネズミは食料が増えるから急速に増殖し、鼠はより美味な農作物を襲うことになり、その結果農民が困ることになる。鼠害については、享和三年に富士山の麓でノネズミが大発生し、農民は神社を作り、退散を祈願したという。このような鼠害は山裾の広大な亜高山で発生するようで、1957年岐阜県高山市で、1966年兵庫県氷山で記録されている。

竹類は、小竹・笹は種子が飛んで増殖する場合もあるが、概ね地下茎を伸ばしてそこから、芽を出して繁殖する。因みにマダケの実測例で、一本の竹から40150mの地下茎が出ていた。これからみて、竹林の地下には縦横無尽に地下茎が走っていることになり、計算すると100平方米当りマダケで2501130m,ネザサで47205790mの根が存在することになる。故に古人は堤防や崖地に竹を植えて地震や水難を予防する知恵を持っていた。

日本で竹の利用は古く相当以前からあったが、芸術性に富む器材は特に茶道が始まってからである。侘びの精神を重んずる茶道において茶筅、茶杓、湯杓など竹製であり、僅か10gに満たない茶筅でも安土桃山時代の曰付きのになると数千万円もするそうである。その他日常用品にあっても、簾・椅子・扇子・笊・籠・花生筒・箒や叩き之柄・物干し竿は竹で作られた。スポーツ用具でも竹の弾力性を応用し、剣道の竹刀、日本弓道の弓、釣りの竿など、一時は棒高跳びにも採用された。竹とんぼ・竹馬など子供の遊び用具・玩具に懐かしい思い出が残る。細く削ってヒゴとし張りぼての骨に、模型飛行機を作ったものである。馬鹿げた工作物は戦争末期の竹槍で、これで藁人形をついたが、結構鋭い突きを入れることができる。

竹材の優れたところは、伸縮の少ないことで、昔はこれに目盛りを打って物差しにし、計算尺は竹材で作られていた。竹の形状の特徴である「管」を利用し、″笛・七力・尺八など民族楽器に、アジア各地で現在も吹かれているし、ガムランの様に共鳴箱に応用される。

正倉院の文書に竹幕紙というものがある。中国でも白関紙とか表芯紙とかいうものがある。之は、竹稈を叩いて漉いた紙である。竹の繊維は3mmであって、漂白しなくとも淡白な綺麗な良質の紙を作ることが出来る。中華国の西晋(265316)では竹から紙を作っていた事実がある。日本でも1946年山口市に竹製紙会社が設立されたが、原料の収集に難点があり、1956年に閉鎖となった。東南アジア諸国ではいまでもパルプが作られており、インドでは年間40万トンモ生産されているとの事、最近竹の繊維から作った洋服が出回っているが、軽くて型くずれせず,着易いものである。

古代は書き物を作るには, ヒノキなどの木材を薄く削った所謂木簡が使われていた。その代わりの竹の場合(竹簡)は作り易い利点があり、昭和47年に中華国湖南省で2600年前の文字を書いた竹簡が発見された。竹材は腐り易いので、日本での発掘例は少なく、遺跡などから出土した竹製品は次のようなものがある。

縄文末期

青森県

八戸市是川市遺跡から

藍胎漆器の竹駕籠

弥生時代

静岡県

登呂遺跡から

竹製の笊

平安遷都前の長岡京遺跡(784794)

排水設備にマダケを使用

正倉院の宝物(750年)

笙・尺八・笛のハチクの楽器と筆軸

古典

<古事記 上 神代>

草結天香山之小竹葉而、

天照大神>

五百人の靭ユキを付け,又稜威の竹鞆タカトモを取佩ばして

下 雄略 >

本にはいくみ竹生ひ 末方にはたしみ竹

いくみ竹=こんもり茂った竹

足しみ竹=茂った竹

<日本書紀 神代 上1-5>

伊奘諾尊、また湯津爪櫛を投げ玉不。此即ち筍に化成る。醜女、以抜き食む、

<日本書紀 神代 上2-9>

時に竹刀を以て、其の子の臍を裁る。その棄てし竹刀、終に竹林となる

継体 17>

隠国の 泊瀬の河ゆ流れ来る 竹のい組 竹組節竹 本辺をば 琴に作り 末辺をば笛に作り 吹き鳴らす。 

<出雲風土記 大原郡>

阿用之郷 古老曰く、目一つ鬼がいて、百姓男を食った、男の父母はその時竹薮の中に籠もり居り、時に微かに動いた。

<播磨風土記 揖保郡>

佐々村,品太天皇巡航之時、猿齧竹葉而遇之、故曰佐々村

<風土記 薩摩逸文>

皇祖忍尊が土地人竹家守の娘をめして二人の男子を設け給うとき、臍の緒を切った竹の羽は今も現存すると云う、

<枕草子 83

いみじうすすけたる狩袴の、竹の筒とかやうに細き短き、帯より下五寸ばかりなる。

132>

竹の名とも知らぬものを

137>

有度浜歌いて、竹の籬のもとに歩みでて あはれなるもの川竹の風にふかれたる夕暮れ、暁に目さまして聞くたる、又夜など

<源氏物語 横笛>

御歯のおひいづるに、食いあてむとて筍たかうなをつと握り持ちて、雫もよよと食いぬらしたまえば いとねじけたる色このみかな」とて、うきふしも 忘れずながら くれ竹の

<詞花和歌集 9-329>

世の中に ふるかひもなき 筍は わがつむとしを 奉るなり

<赤染衛門集>

おやのため むかしの人は ぬきけるを 竹のこによりみるめもめずらし

雪ヲ分けて抜くこそ親のためなら芽子は盛り鳴るためとこそきけ

<更科日記>

竹の葉のそよぐ夜毎に寝覚めしてなにともなきに物ぞ悲しき

<古今和歌集 序>

暁の鴫の羽がきを数えあるは、呉竹のうき節を人に言い

雑下993

世にふれば弓の葉しげき呉竹の うきふし毎に鶯のなく

10-952>

今更に なに生ひいづらん竹の子の うき節しげきやとはしらずや

さよふけて なかばたけゆく久方の つきふきかえせ秋の夜の山嵐

なよたけの夜長き上に初霜のおきゐて物を思ふころかな

<新古今和歌集 6-576>

時雨降る 音はすれども 呉竹の などよと共に色もかはらぬ

藤原兼輔

6-667>

あけやらぬ 寝覚めの床に きこゆるなり まがきの竹の 雪の下をれ

藤原範兼

7-715>

年ごとに 生ひそふ竹の よよを経て かはらぬ色を誰とかは見む

紀 貫之

17-1671>

いかにせむ 賤が園生の奥の竹かきこもるとも世の中ぞかし

皇太后太夫俊成

18-1805>

竹の葉に風ふきよせる 夕暮れの 物のあはれは 秋としもなし


<夫木和歌集28-10>

雨おもきまがきの竹の 折れ返り 下ればのぼる 霧の白玉

藤原為家


時わかぬ をのが枯葉はつもれども 色もかわらめ庭の呉竹

藤原定家


此君と たのめてうへし から人の 千世のちぎりや 今の代の竹

小侍従


いかばかり 雪の下なる 竹の子の おや思ふ人の こころ知りけん

葉室光俊

<金槐和歌集 664>

竹の葉に ふりおほふ 雪のうれを重み 下にも千世の色は隠れず


397>

一夜とは いつか契りし河竹の流れてこそ 思ひそめしか


<後選和歌集 20 >

女友達の常にいひかわしけるを、久しくおとずれざりければ、十月ばかりに、あだ人のおもふといひし言のはといふ、降ることをいひ遺かはしたければ、竹のは書きてつかわしける

うつろはぬに流れたる河竹のいづれの世にか秋をしるべき

よみひとしらず


きみがため うつしてうるる くれ竹に千代もこもれる心地こそすれ


<梁塵秘本 185>

迦葉尊者のふる道に竹の林ぞ生いにける。

209>

衣はかけてき竹の葉に

212>

水竹花樹は悉く

347>

紫檀赤木は寄らずして、胡竹の竹のみ吹かれきて

381>

唐なる唐の竹

435>

直なるものはただ、連柵からさおや箆竹のだけ仮名のし文字、今年生たる梅楚ムメズバエ、幡鉾刺鳥竹ハタホコサイトリダケとかや。

<方丈記>

柴折りくぶるよすがとす。南、竹の簀子を敷き、その西に閼伽棚あかたなを作り、・・西南には竹の吊棚

<山家集>

玉みがく 露ぞ枕にふりかかる夢おどろかず 竹のあらしに

<平家物語 1-5>

たそがれ時も過ぎれば、竹の網戸を閉じ塞ぎ、

潅頂>

竹の御竿に、麻の御衣、紙の衾なんどかけられたり。

<徒然草>

御門の御位はいともかしこし。竹の園生の、末葉まで人間の種ならぬぞ

<謡曲本 養老>

もたいの竹葉は陰や緑を重ねらん

猩猩>

万代までの竹の葉は

自然居士>

ささらの竹葉は陰や緑を重ねらん

老松>

南に寂寂たる瓊門けいもんあり、斜日竹竿のもとに透けり

敦盛>

好ける心に寄竹の

班女>

憂鬱繁き河竹の

<和歌>

波たてて竹むらを吹く春の風 光かがやく竹の葉竹の幹

土屋文明(自流泉)<謡曲


寝静まる里の灯火 皆消えて天の川白し竹薮の上に

正岡子規


よりあひて真すぐに立てる青竹のやぶのふかみに鶯のなく

若山牧水


信濃にて食ぶるに細き筍をめずらしがりき 今は土地のもの

岡 麓


わが背戸に立ち繁む竹の梢冷ゆる天の霜夜と目を瞑り居り

釈 迢空

<俳諧>

ほととぎす 大竹藪を もる月夜

芭蕉


降らずとも 竹植える日は 蓑と傘

芭蕉


筍や 稚き時の 絵のすさび

芭蕉


脱ぎ捨て ひとふしみせよ 竹の皮

蕪村


若竹や 暁の雨 よひの雨

蕪村


竹の子の 藪の案内 おとしざし

蕪村


愚に耐えよ窓を暗くす雪の竹

蕪村


若竹や 夕日の嵯峨と成りにけり

蕪村


堀り食らふ 我がたかうなの細き哉

蕪村


竹垣の 大夕立や 白湯の味

一茶


竹切れで 手習をするまま子哉

一茶


天晴の 大若竹ぞ 見ぬうちに

一茶


竹植ゑて 元政坊を 思ふかな

晩台


昼鐘や 若竹そよぐ 山つたい

内藤 丈草


笋の 露あかつきの 山さむし

各務支考


竹植えや 盆にのせたる 茶椀酒

志太 野抜


筍の 親竹遠く はえにけり

鬼城


竹の子や 児の歯茎の 美しき

服部 蘭雪


竹落葉 ひらりと蝌蚪の 水の上

山田 智子


竹を切る 節りんりんと遠き雲

山口草堂


月かけて 竹植ゑし日の端居かな

太祇


空ふかく 蝕ハム日かな 竹の秋

飯田蛇笏


戸袋に あたる西口や 竹植うる

飯田蛇笏


薄日竹に差す 柔らかなり 緑

水木真貫

用語

[語原] 

タケとは、長ける・猛タケシ・高タカシ

<倭語小解> 長く生きている、

<大言海> 高生タカハエの意。

<倭調栞> 丈タケ高いの義

[古語] 

多気、多毛、多計,篠、篠葉草、小竹、斯奴、之努シベ

[別名]

竹草、竹樹、角柱、手草、我友、小枝草、千尋草、川珠草、石母草、夕珠草、

{漢語}

竹・笵/君子、此君、湘君、比対君、抱節君、高節、勁真、令風、風質、吟風 寒

玉、痩玉、龍孫、龍子、龍根、龍種、化龍、七賢、天箒、掃雲、不秋草、卓立卿、貞幹    

臣、夏清候、円痛居士、凌雲処子、銀縁太夫、青玉、碧玉、

<筍> 筍子、玉板児、竹鼠、仏影蔬、箘毛頭,竜孫,犢角馬蹄、芭竹

〔英語〕

bamboo

{独語}

Bambus

(M) バンブーはマレ-語bambuから。竹類を燃したとき発する音を捩って。

{別語}

三友=画題で松・竹・梅を言う。

四君子=蘭・菊・梅・。

五友=詩歌で蘭・菊・蓮・梅‣竹 

用途

〔植樹〕

殆どの竹が観葉植物として植えられる。庭園用、茶庭、神社仏閣園、和料亭。河川の護岸用。

{用材}

枝葉=竹箒、仕手垣、粗朶木、壁材、ヤナ囲い、農作物の吊り物の支柱、     

稈茎=建造物の補助的材料、例えば数奇屋風の床柱・天井組板に、竿は物干し竿・釣竿・杖・足場組み立て・水道管・雨樋・花入れ・桶樽の箍タガ・壁ノ下地、

竹稈は中空であるため軽く、長い繊維が伸びているので強く、理想的な撓み強度を持つ。中華国では5階程度までの建物建築の際の足場は竹を組んで作る。また筏を組み航海をする。簡便な材料であるが、恒久的ではない、というには虫が好んで食い荒らすからである。但し五箇山の合掌造りには藁葺き屋根に用いている。印度・東南アジアではこの繊維をパルプとして利用している。

割稈は編んで、敷物・籠・簾・拓に、細く裂いた材をヒゴと呼び、提灯や凧の骨組みにする。

短い串は焼き鳥・田楽etc.東洋適食物、 竹刀、弓矢、すのこ、箸、筆の軸、扇子・団扇の骨、尺八・笛・などの管楽器、茶道具・花入れなどの美術工芸品、蒸焼きにした炭は良質の活性炭、

筍の皮= 包装用 以前は、味噌・飴・食肉など、水分を含む食料などを包んだ、この習慣は今でも,羊羹の包装紙は竹皮の印刷がなされている。粽チマキ

細く割いて、編み草履を作った。

(食料)= 筍、実(救荒用)

(薬用)= 竹瀝チクレキ (青竹を火に炙る時、出てくる樹液)・喘息や心臓病に、

竹姑チクジョ (稈の内側の白いとこ分を薄く削ったもの) 煎汁は疲労回復に。

青竹 煎汁を、解熱剤、口空炎、利尿,

中国に「淡竹葉」という市販漢方薬があるが、これはタケでなく別のイネ科植物らしい。

雑事

タケは草か木か?

<古今和歌集 雑下959> に、木にあらず草にもあらぬ 竹の節の端に わが身はなりぬべらなり と古くからの疑問であったらしいが、(木に竹を接ぐ)という諺の通り、木と竹は似て似ていない相手であると言っている。(竹木)(竹林)という言葉があるように、竹を木と見る表現もあるように、植物学的に見ても、組織細胞が木化していること、冬芽の位置が地上部に近いこと、地上部は冬季も枯れないで何年もいきていること、真っすぐな硬い幹をもっていること、など木の方に軍配が上がりそうである。反対に地下茎で増殖を主にすること、1回の開花で植物体は枯死すること、幹が中空で節があること、などは草の特徴である。結局はタケは竹であり、草でも木でもない、と曖昧なものであった。ところが、問題は戦後1946年に米国の勧告のもとに実施された農地改革に際して起きた。即ち、小作人は竹林を筍を作るために毎年肥料やって管理しているから畑であり開放すべきと主張した。これに対し、地主側は竹は多年生であって、古来から樹木の扱いであるから、山林となさるべきで地主のものであるが、もし畑地との判定であれば、土地は小作人へ無償で譲渡が強制されるのであるから、大問題であり、両方の主張は裁判沙汰にまでなった。

南方でのバンブー

熱帯の竹類の特徴は、地下茎がないか或いは非常に短いもので、スズキの様に株立ちするものである。ササに相当するのは、稈は肉厚で倒伏した枝が長く交錯し、枝に刺が生えている。葉脈の格子目がなく平行脈だけである。ほかに色んな種があり、地下茎と稈が1本に繋がっている連軸性(日本ノホウライチクもこの系)。稈は肉厚で一本の枝に長大な葉を6枚以上ついているもの、非常に背が高かく30mもあり、園林にはいるのが怖く感ずるのもあるし、一番困るのはトゲのあるBambusa属はスパインーバンブーと呼ばれ、バンブージャングルを作る。河岸に広がり、トゲが節毎に一杯生えている。台湾のシチクにも刺があるがそんなものでない。巨大なタケDendrocalamus属ジャイアント・バンブーは桿の直径30cm,高さ30mにもなる。葉も3045cmとヤシ見まごうほどである。実をつける竹Melocanna属テライ・バンブー花はあまりみかけないが、種子は枝の別のところにつき、地面に落ちたとき芽が出る。横に這うタケSchiostachyus属、Dinochloa属、はクライミング・バンブーは地下茎が連軸性で、地面を這ったり木に攀じ登ったりして広がる。稈の節間が長く1mに達するものもある、真っ直ぐに立つことが出来ずに腰が曲がっている。大抵のタケの稈は中空で機械強度が有利になるのであるが、南米のCheskera属の竹は中実であり、インドのDendrocurams stlictusも同様である。これらのいろいろの竹を南方の人達はうまく使いわけている。

竹の虎斑

竹は少し以前まで、我々の生活に密着していた。箒・杖・筆・扇子・煙草のキセル・孫の手など至る箇所に使われていた。そして、日本人は日常品にまで芸術性を求める性格であったから、是等竹材にも彫刻や彩色など普通の工芸は行なわれるのであるが、別に竹材に特有の、自然に出来る雲状また輪状の班紋ができる虎斑というものがある。是は、おもにヤシャダケであるが竹自身の病理現象によるものと、稈面に虎斑竹菌が繁殖した場合のものがある。後者は表面の菌簇を除き、すこし加熱して油抜きしながら柔らかい布で磨くと暗紫色の美しい班紋が現われる。<延喜式>に遠江国産の斑竹のことがかいてあり、<倭名類衆抄>には“班竹―涙竹、舜が亡くなったとき湘夫人が竹林で泣いたため竹がそまったという伝説が江戸時代の松岡恕庵の著書{竹品(1717)}にも書いてある。。<拾八史略>の五帝伝では尭帝の娘[娥惶英]が舜に嫁義殺されたとき流した涙が固まったと。 <大和本草><本草綱目啓蒙>ではこの斑を”まだらけ“と呼んでいる。日本では岡山県久世町の竹林が1923年に天然記念物に指定されたが、ほとんど絶滅状態であり、同県久米町の虎斑竹林は町で保護されており1976年に天然記念物に指定された。

竹類には特殊の菌類が増殖する。「竹墨」は枯れた竹稈につく黴の一種で微細な黒色の粉体である。粘着性が強く化粧料の黛墨に用いられた。

梅雨時に竹林にオニフスベという白色のお化けのようなキノコが生える。径30cmにもなる巨大松露のようで若いとき、食用にして可なり。

名称

産地

基の竹

付着菌

久米虎斑

岡山県久米町

ヤシャダケ

Chaetosphaerria fusispora Hiro タマカビ目

福岡斑竹

福岡県

ヤシャタケ・マタケ

祖母班竹

大分宮崎県堺

スズタケ

C. yoshiehidakai Hino

日向班竹

宮崎県高原町

マダケ

Asterinella hugensis Hino.

涙班竹

宮崎県砂土原町

ヤシャダケ

Phragmotllihyrium semiaraund Hiro&Hidaka

圏紋竹

東北北陸中国

チシマザサ

P. banbusicoia Hino

瓔珞紋竹

九州山地

ハチク

Lembosid tikusiensis Hidaka

雲紋竹

滋賀県京都府


竹の病理的原因

丹波班竹

兵庫県


土佐虎斑竹

高知県


竹類の植物園

宮崎県日南市)

国天然記念物

金明孟宗竹

富士竹類植物園



京都市竹林公園



新潟県鳥屋野町

国天


大船フラワーセンター



神奈川県林試



神奈川県江ノ島植物園



東京都皇居一の丸



竹に含まれるトリテルペン類                               

メダケ

arundoin(1), millacinn(2), friedelin(3), germanicol(4), glutinone(5), lupeol(6)

シホウチク

arundoin(1), friedelin(3), cylindrin(7)

マダケ

friedelin(3), lupenone(8), tetaxerol(9)

ホテイチク

friedelin(3), lupenone(8), tetaxerol(9)

ハチク

epi-friedelinol(10), friedelin(3), glutinone(5)

ヤダケ

friedelin(3), glutinol(12), glutinone(13)

アズマザサ

arundoin(1), fernenol, fernenone ,friedelin(3)

クマザサ

βamyrin(14), friedelin(3), glutinol(12), glutinone(5), tetaxerol(9)

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タケ類から検出されたトリテルペン類は、βアミリン型・ベツリン型に分類されるものである。此の同類サポニンは多数の植物に含有されおり、薬学的にはサポニン系生薬と称せられる。その薬理作用は当然あると考えられ、当然個個において異なるのであるが、ジギタリス葉のジギトキシキンのような強烈なものも含まれる。

この項の参考文献

鈴木 貞雄

日本タケ科植物図鑑

聚海書店

1973年 発行

高岡 新治

竹を語る

世界文化社

1991

内村 悦三

タケササ図鑑

創村社

2005