
Ad-02. しの・すず・なゆたけ 篠・細竹・小竹・名湯竹
竹 [小竹]・ タケ・スズタケ・ヤタケ・マタケ・メタケ
漢語 細竹・
【万葉集記載】
シノ |
四能 |
01-0045 |
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細竹 |
07-1121 |
07-1276 |
11-2478 |
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子竹 |
07-1349 |
07-1350 |
10-1830 |
11-2754 |
11-2774 |
12-3093 |
ミスズ |
水薦 |
02-0096 |
02-0097 |
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ナユタケ |
(名湯竹・名夜竹) |
02-0217 |
03-0420 |
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(一) 02-0096 |
久米禅師 石川郎女を娉よばふ時の歌 |
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水薦苅 信濃乃真弓 吾引者 宇真人佐備而 不欲常将言可聞 |
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み薦刈る 信濃の真弓 わが引かば 貴人うまびとさびて いなと言はむかも |
註釈:
この歌は0097と並列して上悴し、0097の方は三薦となっている。モコモはスズタケとの説をとったが、薦コモとの説もある。スズは細い竹で接頭美語とし、み薦刈るで信濃に係る枕。
真弓=信濃は弓を多く生産した。
真人=書記のような仕事をする君子。
さびて=そのものらしく振舞う。
いな=否定の辞。
(二) 03-0420 |
石田王が卒りしときに、丹生王が作る歌。 |
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名湯竹乃 十縁皇子 狭円類相 吾大王者 隠久乃…石卜以而 吾屋戸尓 御緒守立而 枕辺尓 斉戸乎居 竹生尓 無間貫垂 木綿手次 可比奈尓懸而 无有 佐久羅野小路之 |
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なゆ竹の とをよる皇子 さ丹つらふ わが大君は こもりくの…石占いしうらもちて 我が宿に みもろを立てて 枕辺に 斉瓮いわいべを据え 竹玉を 間なく貫き垂れ 木綿ゆふたすき かひなに懸けて 天なる ささらの小埜の 七節菅ななふすげ… |
註釈:
なゆ竹=0217なよ竹と同じく枕詞、此処では十縁皇子に懸かる。
とをよる=意味不明、しなやかに撓むという意味か、
さ丹つらふ=頬が赤らみを帯びている、生きていること。
夕占=夕方道行く人の言葉を聞いて吉凶を占う。
石占=石を蹴ったり持ち上げたりして吉凶を占う。
みもろ=みむろ=貴人の庵室。
いはひべ=神に供える酒を入れる壷、底が丸くなっていて地面を掘って置いたらしい=厳瓮。
ささらの小野=天にあるといわれる想像上の野原。
七節菅=霊が籠もっていると謂われる菅。
(三) 07-1121 |
雑歌 草を詠む |
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妹所等 我通路 細竹為酢寸 我道 靡細竹原 |
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妹らが わが通ひ道の 細竹しのすすき 我し道はば なびけ細竹しの原 |
註釈:
しのすすき(はら)=篠竹や薄が生ひ繁った荒地、
(四) 07-1350 |
譬喩 草に寄せる |
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淡海之哉 八幡乃子竹乎 不造矢而 信有得哉 恋敷鬼乎 |
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淡海あふみのや 矢橋やばせの 子竹しのを 矢箸やばかずて 信まことありえめや 恋しきものを |
註釈:
思う女をものにできないことの譬。
淡海の矢橋=琵琶湖にかかっている八つの橋、または草津市矢橋
矢箸数手=恋文を出す時、矢に挟んで従者が持っていった。
(五) 11-2774 |
或る本にいわく |
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神南備能 浅小竹原乃 美妾 思公之 声之知家口 |
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神南備かむなびの 浅子竹原あさしのはらの うるはしみねが 思もふ君が声の著しろけく |
註釈:
神南備=神が鎮座まします場所、多くは山や森に名つけられ、祭紀の対象となった。
うるわしみ=麗し”み”は接頭語
著し=はっきりしている。
(六) 19-4291 |
天平勝宝五年正月二十三日に家持、興によりて作れる歌 |
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和我屋渡能 伊佐左村 布等能 可蘇気伎 許能由布幣可母 |
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わが屋戸やどの いささ群竹むれたけ ふく風の 音のかそけき この夕ゆうべかも |
註釈:
いささ=ほんの少し。また穢れていない笹との解釈もある。
かそけし=幽消し、音・光・色などが消える現象
概説
本著で、和古文のタケ類を取り上げるに当たり、之を大竹・小竹・笹の3項に組み分けて、本項ではその子竹について調述する。
小竹というのは大竹に比べて稈が細い竹類であって、この語は古くからあり、<古事記>に天の石屋戸の場で、…天宇受売命が天の香山の小竹葉を手草に結びつけ…と始見するが、これはササのことであるらしい。下って、…倭建命が能煩野ひ崩りしとき、その后御子が小竹の苅杙(切株)に足足非りやぶれ…、とあるのはシノのことであると思われる。
<古事記 神代> |
手ニ草結天香山之小竹葉一而、(訓ニ小竹一云佐佐) |
<古事記 景行> |
浅小竹原 腰なづむ 空は行かず 足よ行くな |
後世、琉球から孟宗竹が導入されるまで、日本の文芸に呉竹・篠竹・縄竹・雌竹等々、書かれておる物は何れも小竹であり、大竹よりも小竹の方が多見する。而して、昔の人は何物に対しても、雄・雌 と区別する好みがあるので、竹にも細くて搦かなものを女竹と呼び、また戦いの矢は竹の先に鏃を付して作るのでこれに用いる竹をヤタケと称した如くであり、是等の細い竹を総括して篠竹と呼称するのである。従って現今の植物正名でシノタケと付名された竹はない。この件について、「古今要覧稿」に参考となる記述がある。
<古今要覧稿 草木> |
竹 竹の物にあらわれしは、天照大神乃伊部の竹鞆をとりおはしてと古事記に見えたるぞ初なるべし、名用竹、名湯竹、細竹、目刺竹、宇恵竹、辟竹、打竹の名は万葉集に出、河竹に川竹、呉竹、斑竹の称は延喜式にみえたり、その河竹に箸竹の名を陳めしは和名抄に弁色立成を引く、呉竹に笄竹の字または於保多介に淡竹の字を塡めしは同書に楊氏漢語杪を引るを初めとす。また西土の書にただ竹と称するものは即大小の通名なるは論なし、我古に竹とのみ称せしは全く大なるもおにして、篠と称するもの即小なるものなり、…既に集に刺竹・宇恵竹・辟竹の名ありといへども,その竹はかならず名湯竹・細目竹をさしていへるにあらず。且刺竹宇恵竹は基より一種の竹名にあらざるによれば、旧より別種の竹の大なるものありし也。されど今世の如くに夫々の漢名を命じて区別せしものにあらざれば、それをすべて竹のみと称し、歌によめるなるべし、…ある人の説に皇朝自然の竹はすべてた篠類にして、大竹はみな後世外国より持ち来れるが繁生せしなりといへり。みれば魏志倭人伝にその竹篠幹桃支といへる文によりて然るなれべけるけれども、それは全く我産物の我が国中に大竹ある事しらず。 |
本書では、竹の類を竹稈の太さで以って大竹と小竹とに別け、小竹とは、笹を除く、凡そ径一寸(3cm)以下の竹と、区分けする定義を下した。篠竹、名湯竹、細竹、刺竹、などは文学表現として扱われるのであって、これらに該当する現代の植物名は、複数あり明確に指摘することはできない。古文に出てくる竹名で、河竹ならびに呉竹というのは、御所の清冷殿の御溝水のほとりに植えられた竹を指すのであって、大竹のマタケ・小竹のメダケの両方があるらしい。また、コダケより稈の細いのはササであるが、この範疇を仕分けする基準もまた明確なものでない。
しの・しののめ・篠竹 突き出るように直立して群生する細い竹の総称。ヤダケ・メダケ
しののめ 篠の芽、また篠で編んだ簾のこと。同音の繰り返しにより「しのふ」を導く序詞
<万葉集 11-2754> |
朝柏閏八川辺のしののめの 偲ひて寝れば夢に見えけり |
<太平記 3> |
降る雨に篠をつくがごとし。 |
<新古今 恋 2/1111> |
散らすなよ 篠の葉草のかりにても 露かかるべき袖の上かは |
<四能> |
篠 阿騎あきの大野にはたすすき しののこざさ |
<和漢三才図会> |
篠は小竹、群生して草の如し、俗に笹の字を用いる。凡 篠に数種あり、馬篠・児篠・焼葉篠・五枚篠。是等の筍みな篠なり、また一種長間竹、俗に奈伊竹という長間筍、篠タカムラ意諸州ともあり、味苦み多くして甜み微なり。多く食うに耐えず。しぬの訓の例あり |
<和漢三才図会 85 苞木> |
筱竹シノ 長背節間竹ナヨタケ 女子竹ヲナゴタケ 按筱子竹也、篠同、高六七尺 周二寸許、其葉深青色、節不レ隆、其籜白色脆而難レ脱、節間長、其筍味甚苦硬不レ可レ食、其竹節際有ニ白粉一、加湿熱甚浸則愈多変ニ黄色一、人取充ニ天竹黄一可レ弁也、其竹民家用為ニ天井及壁骨菅笠骨一、本草蘇頌曰、肉薄間有レ粉者此竹矣 |
<倭訓栞 前11> |
しの 日本紀に篠また子竹,新撰字鏡に篥を詠めり、しなふの義なるべし、又小蔑の義なり しののめ 万葉集に細竹目と書り、めはむれ反、篠の群竹の義也といへり、 |
<古今要覧 草 木> |
しぬ 一名しの一名ほそたけは漢字を筱といふ、これは延喜式に所謂小川竹のやや小なるものにて、今所在極めて多し、その幹深青色にして高さ七八尺、その枝は五枝三枝なるものありて一様ならず、中略 この筍は四五月の比に生じ青色にして味至って苦し、これは和名抄に所謂長間笋にして、この笋また抽出て忽ちに若竹となる時はその節上節下並び粉白なること小川竹より甚だし、一種伊豆の大島に産するものを俗に大島竹という、今多く此竹をもって庭砌の藩籮とす、其の竹細長にして節間殊に長し、一説にはこの種は有徳廟の御世の事なるよし、矢竹に代用ゆべきと上意ありて、その渓間に植付け給いしが今は多く繁衍せしといへる、また一種箱根竹あり、矢竹よりまた細長にして枝葉さらに落難によりて掃箒となすによろし、其性至って柔軟なるをもって竹籠を作るもの、或いは筆管となし、或いは烟管となす。以下略 |
<古今要覧 草 木> |
たかしの 一名おほしの漢名を箖といふ、則女竹の一種、近時流球より伝え、今薩摩にあり、 |
なゆたけ・弱竹・萎竹・奈用竹・名湯竹 細くてしなやかな竹 メタケ
<冠辞考> |
たをやかます女の姿をなよよかなる竹に譬えていうなり。なゆ竹は女竹にて、皮竹ともいふ、那湯、名よ、音通へりといひ、詞草小苑にも、なゆは萎る義にてそのしなへをいふなり |
<源氏物語 箒木> |
強き心を強いてくわえたればなよたの心地して |
<古今和歌集 1003> |
なよたけの夜長き上に初霜のおきゐて物をおもうころかな |
なよたけの: よく撓うことから「とをよる」、また節ヨと同音の「世・夜」に懸かる枕詞
<万葉集 2-0217> |
秋山のしたえる妹 なよたけとをよる子らは |
<3-0420> |
なゆたけの とをよる皇子さ丹つらふ わごおおきみは |
すず・すずたけ (篠竹) 〔篶竹〕 細くて丈の低い竹の一種、篠ともいう。またその筍、スズタケ
みすずかる: すずは篠竹で、信濃国に多く産することから、しなのに懸かる枕。万葉集の「水薦刈る」を賀茂馬渕が改訓して出来た語
<鳥声集> |
とまらむとする 小雀をおどろかし 若き篠竹 しなひ撓みつ |
窪田空穂 |
<新古今 秋 上 387> |
今宵たれ すず吹く風を見にしめて吉野の嶽の月を見るらむ |
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<著聞集 641> |
かれより すずを多くまうけたるを |
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<冠辞考 9 > |
みすずかる しなぬ 万葉2巻に水薦苅信濃乃真弓云々(今は篶スズを薦コモに誤まりぬ)荷田大人のいへらく水篶ミスズは真スズ也。神代記に、使下山雷者、採ニ五百箇真坂樹八十玉籤一、槌者採ニ五百箇野篶云々これによるにすずてふ子竹シヌをかる野につづけし者也と、こは古意也、…篶はしのめ竹の類にて、いと小さくて色黒き竹なり、それを阿波土佐などの国にては須々といへり、東国の山辺にては笶竹をもしかいふなれど猶別也、後世の歌に 吉野の岳にすず分けてと詠めるもかの野宴篶也。 |
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<古今要覧 草 木> |
すず 一名みすず、一名すずたけ、一名やのたけ、一名やまたけは漢名を箸箭といひ、筍をすずたけのこ漢名を笞一名箭箶といふ、これは雪国の山に生ずる小竹にして信濃に多し、その葉箸に似て幹高く、本根屈曲すといへり、また加賀越前に産するものはその葉箸よりも至って長大にして葉辺変白せず、幹は矢竹に似て、毎節平かにして高さ一丈許、太さ指の如し、また肥前の大村よりいづるものはその節間殊に長し、即一物なり、歌に大和の吉野山城の鞍馬、紀伊の熊野の諸山のもの其名高し、されど太古の時、五百箇野篶といへるは山生のものにあらず、この筍籜青緑にして、そのもの籜枯れるとき色市濾紙、すべて北国地方にて大竹稀なるを以て土民古くろり此筍を採りて雪花菜に塩をまじえて蔵し置きて食用とす。西土にても周礼に笞菹雁醢といひ,爾雅に笞箭朋といへるは、即此竹の筍なれば彼土にても此筍を食用に供せしかば、由て来ること久しきことなり、さて西土にて矢を作れる竹数種あり、特に会稽に産するものその名高く、即今のすずたけにして、山居賦にいわゆる箸箭なれば、和漢三才図会にいわゆる大村の箭竹、葉ニ於馬篠一といへるの暗合のもの也、後略 |
めたけ (女竹・雌竹) 女竹
<大和本草 9 竹> |
淡竹苦竹の内に雌雄あり、其の雌竹にはあらず、国俗に女竹と云て葉も身も変われるあり、大竹とならず、皮をちず、故に皮竹と云う、亦苦竹と云、筍の味苦き故なり、呉竹の漢名苦竹と云うとは別也、吉田兼好が曰、呉竹は葉細く、皮竹は葉広しと云へり、又小なるを篠竹と云、女竹に二種あり、節高と節低となり、筍の味苦くして呉竹を甚をとる。壁の材とし、簀竹に用い、魚笥とするに呉竹に勝る、民用多し、矢箆竹は節低く直し、肉厚く葉大なり、篠竹の類也。 |
むらたけ〔群竹・叢竹〕 群生して生えている竹
<万葉集 19 4291> |
わが屋戸のいささむらたけ吹く風の音のかそけきこの夕べかも |
なりひらたけ (業平竹)
<古今要覧> |
一名和合竹 一名奈世竹 高さ一丈四五尺にして、囲一寸六七分、その根上第一節より毎節左右に凹処および小黄芽あり、その凹処は下節より上節下に至るといえども、常竹よりはその幅狭くして且浅し、この竹今本所中の卿南蔵院境内なる業平天神の社側、および亀戸天神の社前、その他本所所々にあり。 |
湯竹
こまちたけ (小町竹)
<古今要覧> |
漢名を湯竹といひ、琉球名を朝手古竹といふ、今本所外手弁天小路青木曙左衛門庭中にあり、その竹高さ一丈五尺許、径六七分、節隆起して頗る節竹の趣ありといえども、節竹よりは至りて低し、此竹嶺南に生ずるものは、秋根傍大筍を出し、綿々として絶えずといえ共、本邦のものは然らず、この風土に寒暖の異なることあるによりて也。 |
尺八竹
しゃくはちたけ (尺八竹)
<古今要覧> |
漢名を通名、一名和合竹一名無節竹といふ、本邦にては備後国に産するといへり、その他また有こと知らず。 |
疎節竹
ふしまたけ 笛を造る
<古今要覧> |
和漢通名にて、その節間極めて長き竹なれば、笛を作るに至ってよし、その節間三尺許なるは笛二管をとり、四尺許なるは三管を取るべし、今筑後国柳川にありといふ。 |
大名竹
ふえたけ (笛竹)
<倭訓栞> |
笛の竹なり、通雅に 有ニ雅笛一有ニ羌笛一、注雅羌共以ニ美竹一メタケ作、俗呼曰ニ笛竹一と見えたり、 |
たいみょうたけ (臺明竹)
<古今要覧> |
一名大妙竹、一名大名竹、古名を青葉笛竹、一名双葉笛竹、或はその二字を略してただ笛竹ともいひ、漢名は四季竹一名四時竹といふ。この竹古より大隈国膾於郡清水卿臺明寺に産す、 |
<和漢三才図会 85 苞木> |
筱竹シノタケ 大妙竹 状似ニ長節竹ナヨタケ一,而大、周三寸許、葉亦大可レ作笛、 |
観音竹
かんのんだけ
<大和本草 9 > |
鳳尾竹 俗呼ニ観音竹一、泉洲府志出、本邦にもあり、葉ひろく、竹小なり、網目に所謂鳳尾竹、葉細三分、与レ此異 |
<重修本草綱目啓蒙 26 苞木> |
竹 鳳尾竹は花戸に誤て鳳凰竹といふ、一名土用竹、シュンヨウチク、サンシャウダケ、小ギンチク、人家に多く栽ゆ、叢生して幹細く、長さ五七尺、葉広さ二三分、長さ一寸許、排出して榧葉或は番茶葉リュウキュウソテツの如し。冬は葉枯れる、茎枯れず、夏土用中に筍を生ず。故に土用竹と云う。泉洲府志に俗呼ニ観音竹一。 |
南京竹
なんきんたけ
<古今要覧> |
南京竹 慈竹、南京竹は俗称なり、漢名を慈竹、一名義竹、一名孝竹、一名叢竹、と言い、また一名小母竹、一名兄弟竹、一名慈孝竹、一名孝順竹、一名王祥竹、一名釣糸竹、一名雲蓋ともいふ。これ即鳳尾竹の別種なり、故にその枝幹並に鳳尾竹に似て,毎葉鳳尾竹より長し、その高きものは二丈許、低きものは六七尺、叢生数十百竿に至り、根か盤結して多処に引ず、その筍一年に両出し、夏筍は中より発して涼を母竹に譲り、冬筍は外より発して母竹の寒を譲るという、また数種あり、節間相去ること八七寸なるを籠竹といい、一尺許なるを苦竹といふ、以下略 |
寒山竹
ほうきたけ
<古今要覧> |
寒山竹は即篠竹の一種にして、漢名を篲篠一名払雲箒竹といふ、その質女竹に似て節低く、高さ七八尺太さ小指の如し、毎節相去る事六七寸許にして、その枝は五枝、或は十枝九枝なり、その枝は全て女竹よりも殊に長くして、繁し、故に掃箒とするによろし、その葉または女竹よりも細密にして五葉或は四葉を以って一朶とし、遠く之を望めば頗る地膚子草の状の如し、この種今本所押上町の種樹家にあり、その佗多く之有ることしらず。 |
金明竹・銀名竹
きんめいたけ・ぎんめいたけ・
<和漢三才図会 85> |
銀名竹、紗地竹,按俗云銀明竹者、筠色白、惟溝中緑色甚美也、縞則緑変一如二尋常竹一。 |
<古今要覧 草> |
金明竹,一名金竹,一名筋竹,一名縞竹,漢名を黄金間碧玉竹,一名金鑄碧嵌竹,一名黄金間碧,一名斑枝竹,一名対青竹,一名青黄竹,一名越閃竹,一名黄竹,一名間竹、などいう、岡村尚謙曰、本所押上村の人家に一叢林あり、高さ大凡一丈五六尺、囲二三寸、其幹地上より四五節を経て、苦竹と一様ないといえども、枝を生ずる節より以上は凹処を少しく離れて、別に一行の深青細縦道あり、中略 此の筍また苦竹と同じく、五月の頃に生じその籜青黄紅の数縦道あり、其状別糸の如くにして紫班点あること又苦竹の如し、其綺麗最竹幹よりも優れり、味は大抵苦竹筍と相似て食うべし、高麗竹 すじ竹、一名蘇芳竹,一名筋竹は漢名を金糸竹, 一名白糸竹,一名刷糸竹, 一名七弦竹,一名箭竹といふ, その幹節並びに女竹に似て、高さ三五尺、大きさ小指のごとし、毎節相去ること五寸許にて三枝五枝或いは七枚を叢生す、此の竹若き時は通幹艶紅色なること、頗る蘇芳を以て物を染めしが如し、 |
<古今要覧 草> |
黄金竹は漢名を金竹といふ、この種江淅の間に生ずるものは、その状淡竹の如く,琉球薩摩等に産するものは、苦竹に似て小なり、また安房より出るものは高さ二丈許にて、生竹の時はさまでの黄色にあらずといへども、乾かす時は其の色鮮黄色頗る真金の如し、又黄竹一名黄皮竹あり、竹譜詳録に黄竹叢生与ニ慈竹一類といひ、晋安海物志に黄竹節紫色黄しみえたれば金竹と同種にはあらざるなり。 |
黒竹、紫竹
<古今要覧 草> |
くろちく くろ竹は漢名を黒竹、一名烏竹と云、即和漢通名なり、また一名を篶竹或は烏歩竹といふ、此竹小野嵐山(本草綱目啓蒙)は播磨にありといふ、谷川士清(倭訓栞)は薩摩にありといふ、佐藤成裕曰、薩摩の産はその竹雄竹に似て、幹極めて紫黒色なりと、播磨に産するものと同種なるや否やをしらず、今松平越中守大塚の下屋敷にあるものは高さ凡そ七八尺、枝葉並び紫竹に似て、其色紫賭けよりも極めて黒し、この種は即漢種のよし、一種観音竹あり、また黒竹と名付く、その幹細小にして長さニ丈八九尺、また一種烏竹あり、筍を出す時その色黒し、また糸竹一名黒竹あり、ともに和産これ有る事聞かず。 |
<大和本草> |
紫竹 色紫黒、淡濃紫白相雑 |
<撮壌集 中> |
紫竹シチク |
班竹
<大和本草> |
斑竹ハンチク・トラフタケ 州志云節間有ニ斑文一,似ニ湘妃涙痕所レ余者一,今按本邦所々にあり |
<古今要覧 草> |
とらふたけ は、西土にて斑竹また涙竹といひしものなり、皇朝にわたりこし初は,延喜前後にもやありけん、源順朝臣和名抄を書かれし時、未だ和名なく、班竹の音を以って唱へしにて知られたり、しかれども近世になりて、豊後国姥ガ嵩、越前肥後土佐より出るといえば全く皇朝になしといひがたきや、 篇遅久 沙古丹竹 篇遅久は班竹の字音にて和漢痛名なり、其一名を花班竹、一名班皮竹、一名箭竹ともいふ、これに数種あり、今とらふ竹、一名とら竹、一名まだら竹、一名らう竹、一名さこたん竹、一名豊後竹、一名玳瑇竹、一名鼈甲竹、といへるはその高さ大抵五六尺にして、径三分余、毎節相去事四五寸、枝は中間より以上に生じ、すべて独枝にして、その高さ本幹と同じ |
<重修本草綱目啓蒙 26 苞木> |
竹 班は班竹なりマダラタケ、トラフタケ、トラタケ、豊後タケ、ラウタケ、老檛は東天竺の国の名、占城に近く安南の西北に接す、其の国班竹数品あり、最初此竹にて烟管を作り渡す、故に今烟管を総じてラウと云、班竹は皮上に黒班あるを云、 |
瑇帽竹
<古今要覧 草> |
瑇帽竹は今駿河国藤川の傍なる木島郷にあり、即真竹の一種、班文ありて最長大なるもの也、ある人その地に至る時、土人此幹を攀て筬となし蛇籠を作りて藤川に於て洪を遮りしといへり、扠此の瑇帽竹は舊より駿河国にのみ産して他の諸国にこれなきを以て,諸家本草絶えてこの竹を載せず。 |
<安斉随筆 前 7> |
鞭竹 草津の鞭竹は美濃より出る也、本は草津の土産にあらず。 |
箆竹
<東雅 16 樹竹> |
和名抄に箆はノ、箭竹名也と見しは即今俗にノダケともヤダケともいひて箭幹となすもの是也。ノとは古語にて直をいひてノといひけり、 |
<古今要覧 草 > |
の やたけ の、一名のたけ、一名やたけ、一名やのたけは漢字を箘珞、一名笄箭、一名箭幹竹といふ、天武天皇の御時箭竹二千連を大宰府に送り下せしも、また畿内の産なるべし、今も年ごとに大和の吉野よりい難波の大城へ此竹ニ千ニ百幹を貢するよし、また備中の矢島及び丹波などにも此竹を産し、余の諸国にもまた極めて多し、今江都にて皆人使用するものは上総より来るといふ、さて延喜の比はこの竹を以て熬笥蝶籠薫籠及び籮茶籠等を作のしものなれど、今竹器を作るには多く篠竹或は箱根竹或は淡苦の二竹を用いて、此竹を用ゆると聞かず。 一種の矢竹は今松平越中守大塚の下邸にあり、中略 此竹は往時清俗の攜到せしを長崎より輸出せしものなりといひ伝ふ、その他またこれあるをしらず。 |
<古今要覧 草> |
通糸竹は矢竹に似て、今松平越中守大塚の下邸にあり、一種仰葉竹あり |
日本最古の古典である古事記にも^多気^(タケ)の記事があるから、日本の古は山野に竹が繁茂していた事は確かである。そして、タケは得易い材であるから、構造物の建材に多用されていたであろう。しかし、日本に生えていた竹は、シノダケのように稈の細い竹(小竹)であり、モウソウのような太い稈の竹(大竹)は無かったとするが定説である。(ただし、マチクは日本原産との説もある)。
<古事記 大国主命 国譲り> |
尾翼髗、さわさわに控き依せ騰げて、打竹の(割竹)の、とをとを・・ |
<古事記 雄略> |
於レ是若日下部王令レ奏ニ天皇一、背レ日行幸甚恐、故己直参上而奉、是以還二上坐宮一之時、行ニ立其山之坂上一、歌曰、夜麻能賀比爾、多知邪加斯、母登爾波、伊久美陀気淤斐、須恵幣爾波、多斯美陀気淤斐、 |
<日本書紀 7景行> |
四年二月甲子…天皇欲ニ得為レ妃、幸二弟媛聞ニ乗輿車駕一籠則隠ニ竹林 |
21 崇峻> |
二年七月、…萬即驚匿ニ篁週聚、以レ縄竹引動、令三他惑二己所一入、 |
<出曇風土記 大原郷> |
阿用郷、郡家東南一十三里。古老伝云、…、爾時男之父母竹原中隠而居、爾時竹葉動々一、故云阿欲 |
以後の日本文芸でもよく竹が出題されるが、これらは現在の植物日本名でいうと如何なる竹か明確に名指しされていない場合が多い故に、周囲の記事をよく推慮してみることが必要である。本著で竹の類を大竹・小竹・笹と分けたのは、全く学術的根拠があるわけでないけれども、その区分の基準は一応{樹丈<5m、稈径<3cmの竹}とした。
タケ類 Bambusaceae |
マダケ属 |
Phyllodtachys (30) |
モウソウチク・ハチク・マダケ・モテイチク・キンメイチク |
ナリヒラダケ属 |
Semiarundinaris (5) |
ナリヒラダケ・ヤシャチク・リクチュウタケ |
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トウチク属 |
Sinobambuss(1) |
ツチク・フジタケ |
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シホウチク属 |
Tetragonoczlanos (1) |
シホウチク・イボタテ |
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ホウライチク属 |
Bambusa(6) |
ダイフクチク・チョウシチク・シチク・リユクチク |
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マチク属 |
Dendrocalamus (6) |
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オカメザサ属 |
Shibataes |
オカメザサ |
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ヤダケ属 |
Phyllostachys |
ヤダケ・ラッキョウダケ |
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メダケ属 |
Pleiobastus |
カンザンチク・タイミンチク・ノダケ・カムロザサ |
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カンチク属 |
Chimonobambusa |
カンチク・シホウチク |
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スズタケ属 |
Sasamorphine |
スズタケ |
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アズマザサ属 |
Arundinars |
アズマザサ |
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ダンチク属 |
Arundo |
ダンチク |
竹材の用途は多様である。なにしろ安い材料であったから、庶民の暮らしに密接していた。杖・竹簟・箒・笊・籠・箍・竹串・竹釘・物干竿・扇子・孫の手・耳かき・剣道の竹刀・和弓・箭矢・笛・尺八・笙・簫・等、この他生活様式が変わったため、和傘・煙管・火吹竹・団扇・提灯・簾などは見ることが少なくなったものも多くある。昔は河川工事に蛇籠に石を詰めたものを用いたし、水道管は節を抜いた竹管を繋いだものであった。経済が急増幅している中華国でも、つい50年までは建屋建設の足場工事に竹材を縛って組みたてていた。これで5~6階の鉄筋コンクリ-トの工事を行なうのであるから驚きである。
合掌造に代表される、藁葺きの古家では、太柱で組み立てた後、屋根のモヤを竹で張り、これにワラ(カヤ)を縛り付けるのである。!0年位で葺き変えるのであるが、囲炉裏の煙で燻された竹材は煤で紫黒色に光っている。これをススタケと言い現今は貴重なものとして高価に取引されている。日本の侘びの芸術である茶道では、湯杓・茶筅などに竹材を多用しており、これが曰く付きのものであれば、例えば利休の茶杓は億単位の値段がついている。それほどでなくとも、竹籠などの竹細工は現在でもその技術は職人により伝承されており、見事な芸術品が展示されている。
植物
スズタケ Sasamoroha borealia Nakai スズタケ属
スズ、ミスズ、ジタケ
日本海側を除く日本全国に、ならび朝鮮にも見られる.大群落を作って発生し、稈の径は10〜25m,直立して高さ1~2m。稈鞘は節間より長く、枝は不規則に出て、葉は枝先に2〜3枚着き、長さ10〜20cmの長楕円状広針状で、質は厚く、表面に光沢あり、尾は尖る。筍は5~6月、わりと花を付け易く、枝先に円錐花序を出し、約10個の小花を持った小穂をつける。雄蕊は6で葯は黄緑色、柱頭は3個で羽毛状。
補説
1. この種はササかタケか判断し迷うところである。
2. 稈は細く真っ直ぐで、強く節は高くないので、コンニャクを刺す櫛に用いる、またこの割竹を編んで泥壁の芯にする。
ヤダケ Pseudosasa japonica Makino ヤダケ属
矢竹、箭竹、篠延竹、シノベ
本州・九州・四国・朝鮮の山野に自生し、稈は直すぐで、節が低いので、釣竿や矢に用いられた。稈は直立し高さ2~5m、直径5~20mmになる。節間は長い、稈鞘は節間より短く、粗い毛がある。枝は1つの節から1本づつ出し、葉は枝先に4~7枚つけ、長さ4~30cmの広針形で先は尖る。両面とも無毛、表面は濃緑色、裏面は帯白緑色。
補説
1. 学者により、ヤダケ・メダケを笹に分類される、
2. 筍は6月、皮は節間より長く粗い毛があるが、下方2~3cmには毛が無い。
3. 花は腋生で、葉の間から穂状花序を多出する、オシベ3で、稀に結実することあり、
近縁種
ラッキョウダケ cv, Tautsuniana Yanagita 地に近い稈の節間が膨らんでいる。
メダケ Pleioblastus simonii Nakai メダケ属
雌竹、女竹、篠竹、苦竹 河竹 奈由竹
関西以西の本州・九州・四国に自生し、河岸や海岸の丘陵に大群落を作る。丈高2~5m,稈径1~3cm,になるやや大型、稈面は無毛で節は高くない。枝は節から3~9本ず津出る。葉は枝先に3~6枚つけ、その長さ5~30cmの広針形で長大、先は細くなり尖って垂れ下がる。質は薄く、表裏ともに無毛。肩毛は白色で直立する。筍は5月頃出て、味は苦い。
補説
1. 節には毛が密生し,太い毛は黄金色に映えて見える。節の下部から白い蝋状の物質を分泌し、これが古くなると黒く汚らしく見える。モウソウ・マダケも同じ。
2. 筍の鞘皮は節間より短いので、節間が露出して見えることがある。
3. 筆軸、団扇、玩具、釣竿にする。
4. 籜(筍の皮)は粘性に富むので笊の縁巻きなどに用いる。
近縁種
カンザンチク P. hindsii Nakai 稈は剛健で、釣竿に用途
タイミンチク P. gramineus Nakai 大明竹 大名竹、バンブーの様に多数集って株立ちする。
アズマネザサ P. chino Makino 北海道・東北の北方型
カンチク Chimonobambusa warmorea Makino
カンチク属、寒竹
日本特産、高さ2〜5m、稈径は5~20mm、黒紫色。枝は節から3~5本出て、葉は枝先に3~4枚つけ、長さ6~15cm、筍は晩秋から冬にかけて出るので、この名がついた。味はよい。孟子が母の所望により、冬の採ったとの故事はこの筍か?
オカメザサ Shibataea kumasaca Makino オカメザサ属
豊後笹、ゴマイザサ、メゴササ、
日本特産のタケで、各地に栽培されているが西日本に多く、ときに野生のものもある。稈は細く、高さ1~2mと小さく、節は高く、節間は5~15cm、一節から5本の短い枝を出し、それに一個の葉をつけるので,輪生のようである。葉は長さ5~10cmの広針形で、裏面に微毛がある。葉鞘は短く堅くて小枝のように見える。筍は6月ころ、皮は薄く脱落する。
補説
1. 浅草の大島神社の酉の市で、この竹に阿亀オカメの面などの飾り物を吊るして売っていたのでこの名がある。
2. 背丈が小さいのでササの名前がついているが、世界で一番小さいタケである。
3. 葉鞘は多肉質である。節が著しく高い。ことに日光に当たる部分が顕著である・
4. 春出る筍は扁平である。後に出るものは、丸い。
ウオウライチク Bambusa multiplex Makino オホテイチク属
土用竹、孝行竹、蓬莱竹、
熱帯性のタケ、即ちバンブーの類で日本では暖地に栽培される。稈は群生し、高さ3~5m,直径20~30mm,肉厚で重く、水に入れた時沈むので沈竹とも云う。節は低く、節間20~50cm,枝は節から3~15本、細いもの太いもの取混ぜて斜出する。葉は枝先 に3~9枚つき、6~25cm狭針形で、先は鋭く尖る。筍は夏から秋にかけて発生する。
補説
1. 稈は正円に近い。肉厚のため、中実の様にみえる。初め白毛をつけるが、後脱落する。稈から出る枝は第一節のものが最長で葉も大きいが、次元の高いものほど短くなる。
2. 筍は年中出る。皮は肥厚して、節間の長さの半分より短い。
3. 稈が柔らかいので細く割ったものを手で編み、笊や籠を作り、或いは縄にする。稈の繊維を乾かして、火縄銃の火縄にした。
近縁種
ホウオウチク B.multiplex var. elegans
スオウチク B.multiplex form. Alphonoso-Karii キンシチク、シュチク、クジャクザサ
名前
古語 |
多気、多毛、多計、竹樹 |
語意 |
「長たく生う」、「高く生はえる」 |
別語 |
角柱、手草,吾友、小枝草、千尋草、竹草,川珠草,河玉草、石母草、夕珠草、 |
漢語 |
竹・筠・籜・君子・此君・湘君・比封君・抱節君・高節・勁直・令風・吟風・風質・寒玉・痩玉・龍子・龍孫・龍根・龍種・龍鐘・化龍・七兼・天帚・不秋草・掃雲草・卓立卿・貞幹臣・夏清候・円通居士・凌雲処士・銀緑太夫・青玉・碧玉 |
英語 |
bamboo, |
独語 |
Bambus |
古文
<古事記 景行> |
坂手池を作りて、すははち竹をその堤に植えたまひき |
景行> |
浅小竹原 腰なずむ 空は行かず 足よ行くな |
雄略> |
本にはいくみ竹生ひ 末方には たしみ竹 |
注: いくみ竹,たしみ竹=繁った竹
<源氏物語 絵合> |
なよ竹の世々にふりけること、をかしき節もなけれど、かぐや姫の |
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朝顔> |
松と竹のけじめ |
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真木柱> |
くれたけの笆ませに |
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<和泉式部日記> |
くれ竹の世々のふることおもほゆる むかしがたりは我のみやせん |
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<太平記 3> |
降る雨さらにしのくがごとし |
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<古今和歌集> |
世にふれば 言の葉しげき呉竹のうきふし毎に鶯のなく 命とて露にたのむ苦竹れば ものわびしらに鴨のべの虫 浅じふの小野の篠原忍ぶとも 人しるらめやいふ人なしに |
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<拾遺和歌集 18-1177> |
白雪はふりかくせども 千代までに 竹の緑は かわらざりけり |
紀貫之 |
<山家集> |
我なれや 風をわつらふじの竹はおきふしものの心細くて |
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<新古今和歌集 3-257 > |
窓ちかきいささむら竹風ふけば秋におどろく夏の夜のゆめ |
春灌太夫公雉 |
<夫木和歌集 28-10> |
風ふけば 竹の葉そよぐ 秋しのの 里も寒けき夕まぐれかな |
藤原家良 |
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時わかぬ をのが枯葉は つもれども 色もかわらぬ 庭の呉竹 |
藤原家隆 |
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笛竹に ふす鳥のねも すずしさは 秋のしらべに 風やふくらん |
藤原俊成 |
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我なれや 風を患う しり竹は をさふしものの こころばそくて |
西行 |
<金槐和歌集 664> |
なよ竹の 七の百そじ老いぬれど 八十のちふしは色も変わらず。 |
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<徒然草> |
呉竹は葉細く河竹は葉広し。御溝に近きは河竹、仁寿殿の方によりて植えられたるは呉竹なり。 |
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<自画牧竹讃> |
鄭老画蘭不画土 有為者必有不為 酔来写竹似蘆葉 不作鴎波無節枝 |
渡辺崋山 |
<俳句> |
降らずとも 竹植える日は 蓑と笠 |
芭蕉 |
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昼鐘や 若竹そよぐ 山ずたひ |
内藤丈草 |
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笋の 露あかつきの 山寒し |
各努支考 |
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若竹や 夕日の嵯峨と 成にけり |
与謝蕪村 |
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筍の 運否天賦の 出所哉 |
小林一茶 |
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戸袋に あたる西日や 竹植える |
飯田蛇勺 |
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竹落葉 ひらりと蝌蚪の 水の上 |
山口誓子 |
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緑が 紫に変わると 白い雪 |
水木真貫 |
雑話
笹の葉がガン利く、
この話は1990年ころ、何処からとなく流布した事がある。斯様な話は紅茶きのこやくこ・ねこんぶ、近頃はウコン・ノコギリヤシ等々枚挙に暇がなく、その経過は似た経過を辿ってそして消えていく。竹類の植物には、上記のように特定成分は含まれているのは確かであるが、これがガンに如何なる作用を齎すかは、疫学的にも全く判っていない。初めはクマザサのはっ葉であったが、効果がそんなに現われないうちに評判が落ち目になってくると、これがヤクシマの亜高山系のものであるという話に替っていく。これはヤダケの一種であるけれども、何処其処の産となると、朝鮮人参は雲山洞産がよいといへば、北朝鮮は白芳山産が最高という如く、多分に神がかり的になってしまう。そして案の定2年も経ないで話は聞れなくなってしまった。
竹・笹の呪術性
昔代の人々は竹笹に神通力があると信じ、此の事は[古事記]の有名な天の岩戸の件に、 天宇受売命、天の香山の天の日蔭を手次に懸けて、天の真析を鬘と為して、天の香山の小竹葉を手草に結び とあり、小竹葉を持って躍っているうちに、神移りの状態になったことが書かれている。同じく「古事記」大山守命の反乱の項に、 その兄の子を恨みて、伊豆志河の河島の一節竹を採り塩に合えて其の竹の葉に包みて阻はしめて言いけらく、この竹の葉の萎ゆる如く、青み萎えよ と竈の上に置き、呪う場面がある。このように子竹(笹)は何かの魔性を持つと考えられ、能世界では「班女」「百万」などではシテとして舞う狂女はササをもっており、小竹を持つ女は物狂いとの約束事になっている。或る田舎では、祭の太鼓に必ず竹を飾る伝統があるし、また葬式に際して割竹を組み、魑魅魍魎が入り込まないように防護をする。今でも、地鎮祭のときは祓所の四方に斉竹を差し神主が護国安全・商売繁盛の祝詞を挙げるし、七夕の夜には竹樹に提灯や流篭を取り付け短冊に願事を書いて彦星・織女星に捧げる。此の様に日本で今では、竹笹は庶民に親しく、神の依所よりどころなっている。
中国の竹
中華国では竹は植物の代表であり、その評価は、貴なものと受け止めている。歳寒の三友とは松・竹・梅であり、四君子は蘭・菊・梅・竹を画題に書く。<史記>に、「渭河の千畝の竹、皆千戸候に等し」とあるように竹林の所有は即貴族であった。土地の持たない庶民等は、竹を組んで河岸に浮かし、そこで作物を栽培したという。晋の王子猷は格別に竹を愛し、「何可一日無此君」と詠んだので以来竹は此君の異名をとる。竹に纏わる文人墨客として、竹林の七賢人(阮籍、嵆康、山濤、向秀、劉伶、阮威、王戎),竹渓の六逸(李白、孔巣父、漢準、斐政、張叔明,白陶沔)が有名である。
<詩経> |
瞻彼淇奥 緑竹猗猗 有匪君 |
衛風・淇風 |
<竹里館> |
独坐幽篁裏 弾琴復長嘯 |
盛唐 王維 |
<長干行> |
郎騎竹馬来 遶牀弄青梅 |
盛唐 李伯 |
<九日> |
竹葉於人既無分 菊花従之不須開 |
盛唐 杜甫 |
竹の実は日本ではよく言われないが、中国では鳳凰鳥の食物ということになっている。
かぐや姫譚の原典は中国にあったらしい。その他、竹に纏わる逸話は多い。
舜は巡幸中蒼梧の山中で崩御した、これを聞いた二人の妃娥皇・女英は悲しんで湘水に身を投じた。そのときの涙が罹りで湘竹は輪状の班が出来るという。同じような話で、周の杞梁将軍は戦死し、妻が泣き叫んでその声で城壁が崩壊し、湘竹が枯れたとの古事。
漢の頃、夜郎族の娘が川で洗濯していると、節が三つある竹が娘の足元に流れついたので拾い上げて割ると中に子供がおり、育てて生長すると立派な男子になった。農民の味方になり、勢力をのばしたが、武帝に捕らえられ処刑された。人々は竹王神として祭ったという竹王伝説。
竹の水上げ
嘉祥の席の活花に、竹を活けてあることがある。タケは切断すると水を吸い上げることが出来ないから、数時間で萎れてしまう。水揚げの難しいものは、切断口を焼いたり、塩を擦りこんだり、最近は硝酸銀液に浸すの化学的な方法など、あるが何れも竹類には適応しない。そこでタケササの水揚げ法について、活花の秘伝を伝授しよう。
太い竹では、下の一節だけを残し、それより上の節は鉄棒で破り貫通させる。これを飾って後、上部から竹の中空部を水を注いで満躊する。細い竹では、切り取ったらすぐに切り口を酒に浸して余分の枝葉を間引き、深めの器の活ける。或いは、枝葉を熱湯に潜らせ、茹でたものを活けるという、ごまかし法もある。