Ad-03. ささ

Ad-03. ささ

佐左・小竹・散々・篠しの

笹 チシマザサ・クマザサ・ミヤコザサ etc.

漢語 篠ジョウ

【万葉集記載】

02-0133 小竹の葉

10-2336 湯小竹

10-2337 小竹葉

14-3382 佐々葉

20-4431 佐々賀枝

以上5首、なお篠についてはAd 2 も見よ

() 02-0133

柿本朝臣人麻呂,石見国より妻に別れて上り来りし時の歌ニ首並びに短歌の返


小竹之葉者 三山毛清尓 乱友 吾者妹思 別来礼婆


ささの葉は み山もさやにさやけども 吾は 妹おもふ別れ 来ぬれば

註釈:

柿本人麻呂は石見の国の生まれであり、0132 石見や高角山の木の間より我が振る袖を妹みつらむ

み山=高角山。

さやに=さやさやと音がする。

乱友=乱げ・戦げ

() 10-2336

柿本朝臣人麻呂の歌集の冬の相聞題 霜に寄せる。


甚毛夜深勿 道辺之 湯小竹之 於尓 霜降夜焉


甚だも 夜ふけてな行き 道野辺の ゆ小竹が上に 霜の降る夜を

註釈:

はなはだ=過度に、とっても、

ゆ佐々=神聖で汚れのない笹。ゆとは五百いほの転で多くの笹とも取れる。

() 14-3382

或る本にある上総国の相聞歌


宇麻具多能 禰呂乃佐左葉能 都由思母能 奴礼弖和伎奈婆 汝者故布婆曾毛


馬来田うまくだの嶺ろの笹葉の露霜の ぬれてわきなば 汝は恋ふばそも

註釈:

馬来田の嶺の=寝るに懸かる、

わきなば=我が行ってしまったならば、

概説

以前は、農家が田植が終わると餅を搗き、執り合えず前期労働の終わったことを祝し、笹の葉で包んだ笹餅を神棚に備え、知人子供に分け与えたものである。此の笹は近くの里山に生えており、丁度その頃新葉が開いたのを摘み取ってくる。子供らはこれでささ舟を作り小川で遊ぶ。このような田園風景は全く見られなくなってしまった。

ササは植物学的にいうと、イネ科ータケ亜科ーササ類に分類される一群の総称である。笹でも、人の背丈以上の物から、足首が隠れる程度の小型のものまで多種あり、タケに比べ北の地方に自生が多く、往々にして広大な面積が笹に被われている群落を作る。ササの種類は多く、その鑑別は専門家でも難しいのであるが、概ね日本に自生・植栽される代表種は次の通りである。

名前

漢名

学名

要点

チマキザサ

粽笹 白蒻葉銀辺竹

Sasa peniculata

湿気ある日蔭に大分布する。稈丈1.5m

ミヤコザサ

都笹

S. niponica

山林の樹陰の自生、稈丈1m

スズタケ(シノ)

篠竹

S. Purpurasoens

各地に広く分布、日本特産、稈丈1~3m

クマザサ

隈笹 山白竹・阿篠笋

S. albo-marginata

庭園植。九州に野生。冬季葉縁が白化。

オカメザサ

阿亀笹・五葉笹

Sibataea kumasasa

庭園に植栽、節間狭く高さ1~2m

小竹類を<新訓万葉集>では[ささ][][小竹]に分けて、それらを何れもササと読ませているが、格別の意味があるわけでなく、草丈の低い竹を笹に分けている。古文学では、笹の庵とか、うらさびれた形容に用いられ、また例外に酒のことを呼称する場合がある。昔は女性が酒を飲む事をはしたないとされ、これをささと隠語で呼んだ。

笹の庵・笹の屋

<新古今和歌集 恋2-1110>

逢うことは文野の里の笹の庵 しのに露散る夜半の床かな

<俊成集 下雑>

眞柴焼く 笹の庵の夕煙 いとどかすかに吹く嵐かな

<続拾遺>

仮枕夢も結ばず笹の屋の ふしうきほどの夜半の嵐に

笹の露(酒の隠語) 

<続鳩翁道話>

仮枕事も 結ばず笹の屋の ふしうき程の夜半の嵐に

<山家集>

さす草の 枕に伴ひて ささの露にも 宿る月かな

ささの最も古い記述として、古事記に天の岩戸の段で、天宇受売命が天の小竹葉を手にして踊る場面があるが、笹を持ったり頭に翳したりする女性は神懸りした狂女であると能の世界での約束事になっている。神社の湯立祭の斉小竹ゆささにその伝習が残っており、神楽踊りでも、巫女は竹葉ササバと飫憩オケをもち、ときにこれを振って音を出し「さやけ・おうけ」と拍子をとり囃す。

タケの類の種類は中華国の方が多いが、ササは日本の方が断然多い。笹という字は日本で作られた国字であって、漢名では篠ジョウと名附ける。篠は、日本でシノであり、ササとは少し違う。昔から、日本にササの自生が多くあったらしく、古文ではこれを小竹などと書き、笹の字が汎用されたのは相当に遅れてからの筈である。

<古事記 神代>

草結天香山之小竹葉而、(小竹云左佐)

<古事記伝 8>

小竹葉は佐佐葉と訓べし、下巻軽太子の御歌に見ゆ、万葉十四にも佐左葉とよみ、今世にも然云へり、さて万葉集に佐佐那美とyふに、神楽声浪と書けるは此の故事に因て、神楽には小竹葉を用い、其の打振音の佐阿佐阿と鳴に就て、人等も同じく音を和して佐阿佐阿と云ける故なるべし。

<古事記 木梨の軽皇子>

笹葉に うつや 霰のだしだしに卒寝ても後は 人は離ゆとも

<日本書紀 垂仁 >

二十五年三月篠此云往々

<神楽歌>

採物歌 篠

此ささはいずこのささぞ、とねりらがこしにさがれる、ともをかのささ、ともをかのささ 佐佐わけば、袖こそやれめ、とね川の、いしはふむともいざ河原よりいざかはらより

<神楽歌>

瑞垣の 神の御代より 笹の葉を手振さにしりて遊びけらしも

<風土記出雲 大原郡〉

阿用卿、郡家東南一十三里八十歩 古老伝云、昔或人此処山田佃而守之、爾時目一鬼来而佃人之男、男之父母竹原中隠而居、爾時竹葉動之、爾時所食男云動々、故云阿欲、

<風土記播磨 揖保郡>

佐佐之村 品太天皇御巡幸のとき、佐佐葉を咬んだ猿に出会った。

賀毛郡 穂積の里 品太天皇 愛みしき小目の小竹葉に霜降るともな枯れそね小目の小竹

<書言字考節用集>

ササ、笹、覆ササの実

<大言海> に、細小竹ササタケ、意或いは葉の風に吹かれて相触れる音を名とし、 …笹の字は和なり、節ヨを寄せて作れるか と笹の語原を説明している。<古今要覧稿> に、 ササは細小のなり 、とあるように、要するに大きいのがタケで小さいのがササであるともっとも簡易な解釈である。観察して一指針となる説明は、1.筍が生長するにつれ鞘()がとれるのがタケで、越冬してもなお残っているのがササ、2.桿から出る枝が複数本であるのがタケ、1本であるのがササである(狭義)。次表に笹と竹の差違を示す。がこの仕分けは飽くまで目安であって、例えばメダケ属をササに入れたりする。また用途によって、名前が変わる。東北地方で美味な筍として知られるネマガリダケは、その葉を餅などを包むときはクマザサと呼び、桿をスノコなどに利用するときはヤマタケ・ジタケと呼ぶが如くである。


ササ

タケ

桿の大きさと葉

概ね低く、人の背丈以下程度、葉巾は広い。

桿は高く、葉は桿丈に比して小さい。

生育地

多くは北方系、痩せ地に生える。

南方系 割合に肥沃地にはえる。

桿の生え際

斜め上に向って伸びる。

ほぼ真っ直ぐに直上にする。

桿鞘

筍が生育しても落ちないで、2~3年は残る

筍が生育完了すると、落脱する。

節からまた地上から1本出る。(とは限らない)

節から複数本派出する。


越王竹

<書言字考節用集 6 >

越王竹ネザサ

馬篠

<和漢三才図会 85 苞木>

馬篠ムマザサ 葉大一枝六七葉、其大者尺許、広二寸、到秋出縦文天黄白色甚美、本草所謂龍公竹葉若芭蕉者、恐此類矣

焼葉篠


焼葉篠ヤキバシノ 高不、葉端周如枯焦故名

隈笹

<古今要覧稿 草木 >

クマザサ、ヤキバサ、くまざさ、一名うまざさ、一名やきばざさ、一名へとりざさ、は漢名を箸竹、一名篛竹といふ、其の幹矢竹に似て細小にして高さ凡三四尺…其葉は梢杪に横出して頗る傘蓋のごとし、毎梢大抵六葉にして下の一葉は甚だ小なれどもその余五葉は長大にして、長さ各七寸余、広さニ寸許、新葉はすべて青色にしてその生中に黄白色なる一縦道ありて葉元より葉先に至る。老葉は葉の周囲皆三許変白して、恰も刀剣の焼刃に異ならず、叉葉中に方解石の細小をかとだちたる班紋をなすものあり、和漢三才図会に秋出云々といえるは蓋しこれなるべし、一種こぐまざさあり、其高さ六七寸或は一尺許…扠くまざさは諸国山中に極めて多きものにて江都にも処々これあるがうちに、四谷大木戸の前なる笹寺のもの、其名殊に高し、これは寛永の御鷹狩り時、この寺に立ち寄られ給ひしに、其処に小笹熊笹いと多かりけるを みそなわし給ひて、以後は笹寺と呼ぶべし土上意ありよし江戸砂子に見えたり。…

五枚篠

<古今要覧稿 草木 >

五枚篠 おかめざさ

五枚篠一名豊後篠、一名おかめざさとは、高さ一尺八九寸より三四尺に至る、その幹極めて細小といへとも、毎節隆起する事、頗る雄竹の如し、この竹すべて根上二三節より、三或いは四枝を分ちて、三葉四葉を一蓋としそれ以上は毎節五枚を別て、五葉を一蓋と須。…今人この竹を採り瀝を去りて箸とす、甚だ画趣あり、また此の筍は四月の末五月の初めに生じ、状茅針に似てやや扁たく、其の籜紅紫淡黄色の両色相交わりて別に紅紫色の細縦道ある事、全くはちくの如し。

児篠

<古今要覧稿 草木 >

児篠チゴザサ

ちござさ一名あいまざさ、一名やなぎ葉ざさは則龍須竹の一種なり、その高さ僅かに五六寸或八九寸、其葉細長、頗根笹に似て、毎葉青白色の細縦筋あり、華麗最愛すべし、故に皆人これを以って庭砌間の石傍、或は樹下に植えて飾りとす。後略

龍髭竹

<古今要覧稿 草木 >

龍髭竹一名龍糸竹はもと西土より来る。その幹極めて細小にして鍼の如くまた糸の如し、高さ僅か八九寸、その葉また最小、ほぼ結縷草に似たり、此種は辰洲に生ずるよし本草綱目にみえたれば、今あるもの蓋しその地の産なるべし、又一種幹高さ六寸許にて根傍別に二白須を生じて其長さ本幹よりも五倍するものあるよし、竹譜詳録に見えたれどもこの種舶来ある事聞かず、

魚尾竹

<重集本草綱目啓蒙 26 苞木>

増、ササウオは同書の魚尾竹なり、飛騨の高山、日光の赤沼ガ原に移し、枝葉箸チマキザサに似て、山白竹ヤキバササより大なり、幹の高さ四五尺、梢に七八葉互生し、節の処に魚形のものを生ず。・・・ゆえに日光土人の説に此のササウオ逆流川に飛入りて魚に化すといふ、竹譜には四月老翁魚を竹に貫きしが化けて此竹になると云へり、其説相反す、共に謬談に属す。

シホ竹

<古今要覧稿 草木 >

しほ竹

しほ竹は阿波国の名産なり、余(屋代弘賢)この頃得しは幹の長さ三尺許にて、周囲に凹処数縦道ありて、下節上より上節下に至る、その凹処にまた巨細の異なるありて各同じからず。また竹肉を細査すれば上下の肉は左右の肉よりも少しく厚きを以て縦径一寸九分、横径一寸七分にして生円ならざるものは此竹の性也、一種山竹といふ物あり、これを前条に比するに、その凹処やや浅し、此二種は実に本邦の異竹にして、西土広しといへどいまだこれ有事きかず。

苗竹

< 重修本草綱目啓蒙 26 苞木>

猫竹はトウヨシ也、芦葉形状に似て、甚大にして厚し、台風のとき海浜に漂着す、世人用いて花尊とす、薩州には栽する者あり、トウギンチクと呼ぶ。甚根大なり、根の形状似たるに因て猫竹と名づく、

刺竹

<和漢三才図会85 苞木>

刺竹イバラタケ、竻竹

本綱、刺竹是之竹別種、芒刺森然大者囲二尺可以防盗賊

影向竹

<続 江戸砂子 5>

影向竹 上野中堂の前にあり

この影向竹といふは、葉の先丸く後先なきやうにて、恒の竹葉と異なれり、往昔比叡山におゐ手、八幡春日影向竹ならせ給い所へ生じたる竹なりといへり、一説に天竺祇園精舎の竹を震旦の天台山へ移されしを伝教大師持来り、比叡山中堂の前におかれしを東叡山に移すといへり、また伝教大師持来りし三国伝来の竹は比叡山林院にありといへり。

沈竹

<古今要覧稿 草木 >

沈竹

沈竹は漢名を蟲竹といい、その産地は肥前国佐賀に有といふ、この種西土に産するものは毎節虫を生じて新蝉の未だ翼を生ぜざるものに似たりといへ共、本邦に産するものはその形飛廉の如といへり、

実竹

<古今要覧稿 草木 >

實竹

実竹一名実中竹は和漢通名にして、旧より陸奥国松前の竹島及び阿波国一宇山に産するもの、その名ことに高し、近頃大窪柳太郎その他に遊歴して二竿を携え来りて杖とせしをみるに、一竿は長さ四尺余、径五分許にて、毎節ま竹より高くして、その間相去ること三寸許、その枝から生ずる肩は溝渠ありて…

椶櫚竹

<古今要覧稿 草木 >

椶櫚竹 しゅろ竹

椶櫚竹は和漢通名にして、その一名を椶竹、一名桃竹、一名桃枝竹、一名陶竹、一名桃糸竹、一名実竹、一名木竹、一名石竹、一名蒲葵竹、一名綯竹、一名桃笙といふ、この種に大小の異なるあり、其大なるを俗に大椶櫚竹といひ漢名を樸竹とい日、葉の状全く椶櫚に似て小さく深緑色にして光沢あり、その幹また椶櫚に似て、至て細細小にして高さ四五尺毛多く節繁く中心実して頗る実芯竹の如し、…

小なるを俗に流球椶櫚竹一名観音竹といひ漢名を筋頭といふ、其の状大椶櫚竹に似て至て小さく高さ僅に一尺許に過ず、葉は淡緑にして薄く光沢ありて葉の先すべて下垂す…また一種椶櫚竹あり漢名を短栖といふ。

笹の筍はネマガリタケなど竹と同様、食用になるもので美味である。人間のみならず熊も好むらしく、筍を採りに藪に入ると出くわすそうだ。

笹の葉は、粽や団子道・飴などを包むに用いる、笹の葉には微細な毛が生えており、粘質物の付着を防ぐのである。鮭や鮒の押し寿司の敷物に笹の葉を用いるのは同目的の他に、防腐効果のある成分があることが判っている。

笹は数十年の間隔周期で花をつけ、実が成ってそして寿命が終わると言われている。笹の実は団子にして少々エグイのであるが救荒食物となる。群生した笹は発生源が同じであるらしく、一山全山が実をつけるから“山に小金が成りい下がる”と、喜んでばかりおれない、それはノネズミが大量に発生し、これが田畑の作物を食い荒らすからである。やがて山に食物が無くなったのか、あるとき突然ネズミは列をなして、山を駆け下り、海や川に入って集団自殺する。この不思議な変わった行動は近年報じられていないが,中古代の外国の記録に残されている。

笹の実は澱粉質であり、そのまま食するよりも、これを糖化して飴にする、ササアメと称するのは、笹の葉に包んだ飴を云うようであるが、本当は笹実の糖化飴で、小生が子供のころ嘗めた記憶がある。ソラマメ大の半乾き状態のアメを笹葉に包んだものであるが、微かに笹の香りがしたことを覚えている。こらは荒れた喉に効能があり、最近は貴重なものとなっているが、これを甘味にして作った信州の菓子「育風鸞」の名物がある。

<甲子夜話>

丙戌の晩秋、某氏より糝糖を送る。信州より出す所の育風鸞と銘ぜり、曰く竹実を以て製すと紀文を添う、夏の頃より、山谷のみすずを結ぶこと夥しく皆人打つどひ、是を拾い集むるに日々に両三俵を得たり。あらかじめ是を教えたらむに大凡五六万に達し、是全く戸隠の恵みなるらんこと尊ぶべし。

戸隠の美鈴の竹になれる実は 振りにし神のめぐみなるらむ

右竹実をもて製し侍るお菓子なり、則戸隠山の御供を御頂戴被成候にひとしく御座候間御披露可被下候

みすずかる 信濃国いもゐの里 白雪斉製

みすず“とはスズタケの事で、小竹の類の項にも述べたが、これが竹か笹か論の分かれる所である。

稀珍であるが、[天竹黄タケミソ]なる食べ物がある。これは三四月頃破裂する竹管にあり、湿暑いとき内部にあるが、暑熱の頃になると外に出るという。古竹に小孔を空けて稈を食い荒らす蠢虫が作る白粉と違い、これは虫がつくる物でない。葛などに混ぜて之を焼き食する。味甘く、小児の驚天弔の熱を去り、心を鎮め、金瘡を療したり、言語を失した中風に効果ありとする。

< 重修本草綱目啓蒙 26 苞木>

天竹黄(竹黄・竹膏・天竺黄) タケミソ 一名空箇玄、勿鳥路戦娜

天竹黄は竹中にある粉なり、苦竹淡竹皆あり、初は水なり後漸く凝て粉となる、数種あり、塊をなし竹中に満つたるあり、砕きて沙の如くなるあり、細にして粉の如くもあり、白色牙色黒褐色野等あり、牙色にして微透なるもの上品なり、本草原始に、天竺黄通天下市者、形塊如豆大、亦有指頂、大者有黒色,牙色、有碧色者、味甘、牙色者最善、碧色者次之、黒色者下と云、痘疹金鏡録に、天竺黄点於舌上麻渋者真と云、舶来の者は皆小塊をなしたるを砕き足るなり、黒白牙皆内に炭或いは灰多く混れり。

竹・笹はパンダの好物であるが、この稈は堅くて堅いので牛や馬は咀嚼できないけれども、或る程度破砕して与えると、結構たべる。竹笹の繊維素は分解しやすくペントーズになる。ペンントースは炭素数5の糖で人間の栄養にならないが、草食動物はこれをエネルギ-に活用できる。

植物

チシマザサ Sasa kurilensis Makinob Sibata 千島笹 ネマガリダケ

北海道・東北地方・青森県から山口県に至る日本海側の諸県・朝鮮半島・樺太・千島に分布し、屡々大群落を作る。日本のぶな林は下草としてササを床生する特徴があるが、日本海側ではチシマザサであり、太平洋側ではスズタケがその役を務める。筍の皮は生長後も着いているのでササの一種である。稈の高さ1,5~3mになり、稈には毛がなく、上方で密に枝を分岐し、葉をつける。葉は厚く紙質で長さ20cm,5cmの広披針状、裏面は中肋と腋脈が太く、表面は光沢ある(ササ類で最大)。稈の生え際は軽く湾曲するので、ネマガリの別称がついた。筍は5月頃発生し、これは非常に美味で、土地の名産物としてその缶詰壜詰が売られている。

補注

1. 地下茎が伸びてその先端に筍になるので、基部が曲がる。大雪の影響ではないようだ。稈は越年すると硬くなる。東北地方では10月頃に刈り、丸竹のまま又裂いて竹籠などに編み上げる。磨くと光沢が出てくる。地方でジダケと呼び、細工物は土産品で売っている。

2. 葉・稈ともに毛はない。小舌は山形で長く、短毛が密生している。

3. 枝は稈の上部にのみ派生し、1本ずつ3,4回の枝分かれをする。

4. 葉を透かして見ると、葉脈が白く透明にみえる、他のササでは黄色に見える。

5. 変種が多い、斑入りの園芸種 シモフリネマガリ・アケボノネマガリ・キシマネマガリ・コンシマネマガリ・シロシマネマガリetc.

クマザサ S. veitchii Rehder 隈笹 ヘリトリササ・ヤキバササ  

樺太南部・南千島・北海道・本州日本海側・九州北部に分布ほか植栽。稈丈1~1,5mで基部で疎らに分岐する。稈鞘には開出する長い粗毛が密生し、葉は腺状長楕円形で基部には毛がない。若葉の内は緑色が強いが晩秋に至り、縁ぼ方から、緑が涸れて黄色~茶色~白色になる。葉の縁にくまが出来るので、隈笹クマザサという。

補注

1. 本種は野生のチュウゴクザサが痩せ地で成育し葉の質が薄くなったものである。葉が隈取を始めるのは、寒気に対して抵抗力がなく、栄養分が葉縁に及ばなくなるからである。隈取は葉の展開した内側から始まり、外側へと移っていく・

2. 隈取をするササは他にクマスズ、ミヤコザサも然り。

3. 葉の縁に上向きの疎毛がついていてザラついた触感がする。葉鞘・稈鞘にも疎毛がある。

4. 曾って1957年に乳頭山から葉に黄班のあるキンタイチシマという種が発見されたが、好事家が持ち出したため1973年に絶滅してしまった報告がある。

チマキザサ S. palmate Makino et Shibata 粽笹

北海道・本州の主に日本海側の諸県・朝鮮(済州島)・樺太・千島に分布。深山に有り、地下茎が長く伸び、大群落を作る。稈は丈1~2mで、下部で疎に分枝する。全体に無毛、但し節に毛があるものがある。葉は長さ10~35cmの長楕円形で、先は急に尖る。革質で冬季は縁が白く枯れる。

補注

1. 花序は稈の基部から、稈よりも長く直立する。小穂は長さ2.5~4cm.

2. 葉は大型であるのでチマキを包むに適する。稈は細工物に使われる。

ミヤコザサ S. nipponica Makino et Shibata 都笹

北海道・本州の太平洋側の諸県、四国・九洲に分布 稈の高さ0.5~0.9mと低く、土中で分岐し、地上では分枝しない。枝は普通1本である。稈節は球状に膨らみ、稈には毛はない。葉は薄質で、枝先に5~7個着き、長さ10~25cmの腺状長楕円形~狭被針形で、先が急に尖る。裏面に軟毛が密生し、冬になると葉縁が白く枯れ縁取りをする。葉鞘の縁の肩毛は掌状に開出する。ミヤコザサの系統のものは冬季地上部は枯れ、春になってまた新しい稈が伸びる。積雪量が50cm以下で、海抜700m程度の亜高山地域に生育する。

補注

1. ミヤコザサは比叡山で発見されて、この名がついた。

2. 花序は稈の下部から直立し、小穂は紫褐色で36個の小花をつける。雄蕊6

オオバザサ S. megalophylla Makino Uchida

クマイザサ S. senanensis Rehd. 

分類

ササ類Sasaの特徴、全体はタケより小型で、稈は概して細く全体がザラついた感じで、その基部は斜上し、肩毛は稈に直角に開出し、枝は節より一本出る。雄蕊は6個である。

[]

タケ亜科Bambusoidace

タケ類


ササ類

チシマザサ節 Macrochlamps

ミヤコザサ節 Eusasa

ナンブスズ節 Acrocladula

スズルモドキ節 Pseudosasamenpha

リュウキュウチク節 Capitasae

メタケ節 Medakea

ネザサ節 Nesasa

ハコネメダケ節 Nipponobambusa

バンブー類


[2]

ササ属

Sasa

チシマザサ節

sect. macrolamys

チシマザサ。オクヤマザサ、エゾミヤコザサ、カワウチササ、アキウネマガリ、アサカネマガリ

ナンブスズ節

sect.lasioderma

サイウオザサ、ツクバネナンブザサ、イツシヨウチザサ、オモエザサ、ハコネナンブザサ、ナガミナンブザサ、タキザワササ

アマギザサ節

aect,,nonilicladae

イブキザサ、ミヤマクマザサ、トクガワザサ、イヌトクガワザサ

チマキザサ節

sect, sosei

チマキザサ、クマイザサ、ケザサ、フケンザサ、ヤヒコザサ、クマザサ。オオバザサ、タテガワザサ、ミヤマザサ

ミヤコササ節

sect,crassinodi

ミヤコザサ、ウンゼンザサ、コガンザサ、タンガザサ、ウツクシザサ、アポイザサ、オスカザサ

アズマザサ属

Sasalla

クリオザサ、トウゲザサ、サドザサ、アズマザサ、ハコネシノ、シオバラザサ、ジヨボウザサ、ビシュウザサ、ヒメスズタケ、タンゴシノ、オニグジョウシノ、カリワシノ

スズタケ属

Sasamorpha

スズタケ、ハチジョウスズタケ、ホソバスズタケ、ケスズ

ヤダケ属

Pseudosasa

ヤダケ、オオバヤダケ、ヤクシマヤダケ

メダケ属

Pleiblastus

リュウキュウチク節

sect.pleioblastus

ゴザダケササ、カンザンチク、リュウキュウチク


メダケ節 

sect.medaken

メダケ、キボウシノ、ヨコハマダケ、シウシマメダケ、エイゴメダケ


ネザサ節 

sect. pleiblasasa

アズマザサ、ケオロシマチク、オキナダケ、コンゴウダケ、チゴザサ、トヨオカササ、ビロウザサ、カムロザサ、アサゲネザサ、

カンチク属

Chimonobambusa



この案では アズマザサ属140品種、メダケ属110品種がササ類に入ることになり、この類は420種となる。

日本には、中井猛之進、小泉源一、室井綽、鈴木貞雄、各先生ほかタケ・ササの優れた研究者が輩出して、約500種ある竹笹を網羅して整理されている。その分類法の2例を上表に掲げた。

ササ・タケ類に於いて、枝の出方をみると、

(i) 節から殆ど枝を出さない。

a. ミヤコザサ

原野から深山に生え、稈は細く節が高い。冬季に葉の縁に白色の隈取が出来る。

(ii) 1節から1本の枝を出す。

a. クマザサ

晩秋頃から縁が枯れて、白い隈取が出来る。

b. スズタケ

葉が長大で光沢がある。ヤダケと同じく皮が長くて、稈は裸出しない。

c. ヤダケ

稈は丈夫で、節間が長く、稈は露出しない。

d. アズマザサ

竹の皮に粗い毛がない。

(iii) 1節から35本の枝を出す。

a. ネザサ

山地原野に生え、丈310cmまで多型

b. メダケ

川。海辺に多く、稈の上部が芽が束になって生ずる。筍をニガコというほど苦い。

名前

語原;風が葉を擦り合う音。小さい声(ささやき)、ささたけを略して

古語;小竹、篠、左佐、佐々、散々

別名;笹竹、篠竹、根笹、笹草、左佐久佐

漢語;篠、細竹

古文

<古今和歌集 12-563>

笹の葉におく霜よりも ひとりぬる わが衣手ぞさえ まさりける

紀のとものり

19-1047>

さかしらに 夏は人まね笹の葉のさやぐ霜夜を わがひとりぬる  

読人知らず

<続古今19雑下>

ささ竹のわが世の程の 想出に 偲ばれぬべき一節かも

<枕草子>

岡は、 鞆岡は、笹の生ひたるがをかしきなり。

<源氏物語 藤袴>

朝日さす 光をみても玉笹の 葉わけの霜をけたずもあらなん

紅葉賀>

源 笹わけば 人やとがむいつとなく 駒なくつめる森のこがくれ

しい本>

むつかしげなる 笹の隈を、駒引きとどむる程もなく

<伊勢物語 25>

秋の野に 笹わけし朝の袖よりも 逢はでぬる夜ぞひぢまさりける

<新古今和歌集 615>

笹の葉は三山もさやにうちそよぎ 氷れる霜を吹くあらしかな

摂政太政大臣

900>

笹の葉はみ山もよそに乱れるなり 我は妹思ふ別れ来ぬれば

人麻呂

1562>

風そよぐしのの小篠のかりのよを 思ひ寝覚に露ぞこぼるる

守覚法親王

<更科日記 野辺の笹原>

見しままに 燃えし煙はつきにし いかが尋ねし野辺の笹原

<夫木和歌抄 巻2810>

ささ竹の幾世の霜か磐代の国の草根は結ぼほるらむ



さやぐらん 小笹の霜はしらねども はるかに白きひらの山の端

藤原為家


月さえて 夕霜こほる篠の葉に あられふるなり さらしなの山

藤原家隆


嵐吹く さのの岡辺の 朝露に ささ分け衣 ぬれつつぞゆく

藤原家良


植え繁る かさねかくれの をささ原 知れぬ恋はうきふしもなし

藤原定家

<金槐和歌集 349>

ささの葉の み山もそよに 霰ふり寒霜夜をひとりかもねむ

<梁塵秘抄 362

王子のお前の笹原は、駒ははめども猶茂し、主は来ねども夜殿には、床の間ぞなき若ければ…

<山家集 夏>

なつの夜も 小竹のふし近み そよやほどなく 明くるなりけり

下雑>

ささ深き 霜越す丱を朝立ちて 靡き煩ふ 蟻の戸渡り

<和名類衆抄20-25>

竹類 篠 細細竹也 俗用小笹 二字曰佐佐。

<謡曲本 忠度>

塵の浮世の芥川、榛名の小笹を別れ過ぎて

通小町>

人丸の垣ほの柿 山辺の笹の葉

<俳句〉

ささの露 袴にかけし しげりかな

芭蕉


猫の子の ほどく手つきや 笹の餅

一茶


たかうなや 雫もよよの 笹の露

芭蕉


笹の葉に 飴を並べる 茂りかな

一茶


すずノ子の 果たして出まし 膳の上

加賀


雀の子 あかり障子の 笹の影

其角


二三日 つらつきゐしが 笹なれり

秋櫻子


粽笹 桶に漬けある 青さかな

富安風生

用途

[植物 ]

漢賞用として庭園の植え込み、垣、乾燥したものは燃料

[用材 ]

稈;壁芯・万年垣など、敷物、キセルのろう

[飼料 ]

牛・馬の飼料、パンダの飼育餌 

[食料 ]

子実: 救荒食物・飴に加工

葉: 飴、団子、粽、あんころもち、の包み、防腐成分サンソツコウ酸(キノリン系)

筍: チシマザサ(ネマガリダケ),山形県ではガッサンダケ、青森県ではジダケ、岩手県ではササタケノコと地方名が多くある。

雑話

()の杖が生長する話

昔時、親鸞聖人が越後へ流配の折り、携えてきた杖を逆様に地面に刺し立て、経を詠み、「我説く法が正ならば、この杖再び栄えるであろう」と願をかけたところ、その杖は逆様のままで枝葉を出したと、その後、ここで生える竹は皆逆様になると云う。今、鳥屋野というところに古跡がある。〔東遊紀〕

竹の生える灯篭

東都の西方に世々木村という邑があり、其処の某農夫は憐れみの心ある温厚な人柄であった。偶々近くに病に悩む貧者がいて、農夫は薬を与えて看病しやり、貧者はこの恩不レ忘と感謝していたが、梅雨の明けると同じくして遂に死んでしまった。農夫は手厚く弔って自分の家の墓所に埋葬し、灯篭つきの墓を立ててやった。3年目に隣人がこの灯篭を見て驚いた、灯篭から竹が生えているのである。隣人は村長に告げ、村長は是をみてまた驚き郡長に報告した。巡視中の郡長は立ち寄って視察した、偶々郡長は転んで足首を捻挫していたが、線香をあげると途端に快癒した。村長の奥方は兼ねてから扁頭痛持ちであったが参拝したら治ってしまった。噂が評判を産み、四方から難者が殺到し、その祈祷の賽銭で農民は裕福になったという話。慶応二年丙寅二月 〔嘉永録拾五〕

蛇が竹の精であった話

武州安達郡舎人町では毎年彼岸の頃になると必ずどこかで飼っている鶏が居なくなるのである。或る日、嘉七という百姓が、筍を掘りに鍬を入れたところ石に当たったので見て似ると、三尺もある蛇の首が切断されていた。百姓は寺の坊主を呼び、経をあげて貰ったので、何事もなく済んだが、それからこの土地の筍はみな先が折れたものが生えると言う事である。今年は未だ鶏が失くなったとは聞いていない。「怪敷筋毛頭無レ之旨申立」と文化七年にその地の肝煎り大貫次郎衛門が差し出した書面が残っている。「視聴草」

武士が蝉になる?

越前府中の南二里に粟田郡に、此所粟生寺という寺あり、橘南渓という漢学者が逗留したときの話であるが、寺の北面の藪を掘り開いた時に、竹の根が悉く蝉の形に変化して出て、その数数百千に及んだ、住職は生類を害することを忌み、再び土に埋めなおして慰撫経を詠んだとのことである。此の地は昔源平の合戦ありし場所にて、戦死従者多く埋葬したとのみ伝あり、「東遊紀」

筍稀話 二題 {一}元禄年中、駿府の寺の庭に、一夜のうちに仮山のように地面が盛り上がり、一両日の後極大なる笋が生えて来た。これを見ようと、諸人が多数境内に群集して煩くてしようがない。住僧は人が入り込むを嫌って是を切り、御番衆に与えた。番衆はこれを丸盆・煙草盆・樽杯などの諸器物をつくり、諸人に頒ち与えた。この珍器はある人飯器にして保存しているそうであるが、径八寸もある巨物である。「翁草」 {} 日光安立郡中曽根村の農家忠兵衛と申す屋敷に、夢のお告げあり、古来稀なる筍生ず。節間々々に玉がつき、蕗の薹のごとく生立し、枝葉風流にして、世人是名付けて出征竹という。権現の御神徳成るものにして、正直一致の身体加護ましまして、あらアリガタの言葉と筆に記す。「視聴草」