Ad-11.
あし
葦・蘆・安之
アシ・ヨシ
芦 <葭>
漢語;
葭カ・蘆ロ・葦イ・芦ルウ・芦苐ルウテイ
[万葉集記事]
01-0067 |
02-0128 |
02-0167 |
03-0352 |
03-0456 |
04-0575 |
04-0617 |
06-0919 |
06-0928 |
06-0961 |
06-1062 |
06-1064 |
07-1288 |
07-1324 |
09-1804 |
10-2134 |
10-2135 |
11-2468 |
11-2565 |
11-2576 |
11-2651 |
11-2745 |
11-2748 |
11-2762 |
11-2768 |
11-2833 |
12-2998 |
12-3090 |
13-3227 |
13-3253 |
13-3272 |
13-3279 |
13-3345 |
14-3445 |
14-3446 |
14-3570 |
15-3625 |
15-3626 |
15-3627 |
16-3886 |
17-3975 |
17-3977 |
17-3993 |
17-4006 |
17-4011 |
18-4094 |
20-4331 |
20-4357 |
20-4362 |
20-4398 |
20-4400 |
20-4419 |
20-4459 |
以上53ヵ所 |
はまおぎ |
|
|
|
一首 |
(一) |
石川郎女、また大伴田主中郎に贈れる歌 |
|
阿聞之 |
|
わが聞きし |
|
右は仲間の足疾あしのやまいによりてこの歌を贈りて問訪 |
注釈:
耳によくにる=噂にそっくりの、
葦の末の=つぎの「足ひく」に懸かる枕詞。
足ひく=足を引きずる。
つとめ=勤め、努め,
つつしむ=気をつける。
うれき=うれは末、木の枝などの先端をいうがこの場合は根の先に出る葦の若芽をいう。食用とする。年老いて足が萎えたのと葦を懸けている。
田主を=田の主〔案山子〕に譬えて風刺した歌か、
(二) |
帥大伴卿、次田温泉つぎたのゆに留まりて、鶴喧たずかねを聞きて作れる謡 |
|
湯原尓 |
|
湯の原に鳴くあし鶴たづはわがごとく |
注釈:
次田温泉=大宰府の南、三日市温泉、
草鶴=葦辺にいる鶴、歌には鶴に”つる”と”たづ”の両方が並存したが、歌にはたづの方が多い。明確に指摘はできないが、鶴は丹頂鶴、田鶴は他の鍋鶴の様な鶴に分けられる。
あしたづの=つるが鳴くことから、音・鳴に懸かる枕詞。
時わかず=四季の別なく時を選ばず何時でも。この年〔神亀5年4月〕に家持は妻を亡くしている。
(三) |
正に心緒を述ぶ |
|
花細 |
|
花ぐわし |
注釈:
花ぐわし=花が美くしい意から、櫻の花などに懸かる枕詞。ここでは葦垣越し見た美人に懸けて、
葦垣の=古い・想い乱れる・間近い・よし・吉野などの懸かる枕詞、
(四) |
蟹のために痛を述べてつくれる |
|
忍照八 |
|
押照おしてるや |
注釈:
この歌は、商品を懸けた祝い詞を謡いながら、乞食者が食べものなどを売り歩くときの二例の一を書き述べたものである。当時の風俗を知る上で非常に参考になる。
いたみ=魚などの発酵食品
おしてるや=一面に、光がさしている景、難波に懸かる枕。陰り照る
蟹のいたみ=蟹の塩辛のようなもの、蟹と楡の葉を新しい内に搗き潰し塩を振って暫時おき、適当に馴れたもの、今熊本で、作られるガンヅケはよく似た食品である。
(五) |
京に入らむとして潮に近ずきて、悲しみの情祓ひ難く、懐を述ぶる歌 |
|
可伎加麻布 |
|
かき数ふ |
注釈:
かき数ふ=二上山にかかる枕詞。
二上山=万葉集に出てくる二上山は二箇所あり、ここは越中国国府(現在の伏木町)にある山。
洲鳥=川に洲にいる鳥、潟から雌鳥をあさりにくる。
(六) |
式部子丞 |
|
蘆苅尓 |
|
葦刈りに |
注釈:
式部小丞=式部省の三等官,
兵部大丞=兵部省之三等官
三月一日に太上天皇の堀江行幸があった。このとき読んだ歌か。
ハマオギ
(七) |
碁檀越往二伊勢国一時、留妻作謌一首 |
|
神風之 |
|
葦神風の |
[概説]
アシはマコモによく似た植物で、マコモに比して草丈は高いに拘わらず葉に長さは短いから見てもそれとなく判別できくる。同じく池沼に大群落を作り、河川の下流などの未開発の湿地帯を生い尽していた植物である。古事記で日本の国を豊葦原中国トヨアシハラノナカツクニと呼んでいたことからも、日本の国はそのような芦の生え繁った泥沼が多かったと思わせる。
<古事記 |
海月なす漂へる時に、葦牙あしがのごと萌え騰る物によりて成れる神の名は、宇摩志阿斯詞備比古遅神うましあしかびひこちのみかみ次に天之常立神が高天原に成れる別天津五社 |
下 |
射出る矢あしの如くきたり |
<古事記伝 |
葦牙は阿斯哥アシカビと訓ずべし。葦のかつかつ生初めてるを云名なり、牙字は芽と通 |
<日本後記 |
弘仁六年十月庚辰、興福寺大法師等為レ奉レ賀三天皇宝算満ニ于四十一、…日本邪馬台国、賀美侶伎、宿那蚍古那、葦菅、殖生国固、造介牟与理 |
<風土記-出雲> |
恵曇の池、四方に葦・菰・菅が生え、 |
<倭訓栞 |
[あし]…葦は始めの義なり、開闢の始めまず生じたるものは葦なり、よて此の国を葦原中国といふなり、白き筋あるを難波葦といふ、篳篥の簧には,津国鵜殿の葦を用うといへり、[あしのほわた] |
アシは浜荻ハマオギととも呼ばれて日本各地の沼や川洲に一面に群生していた。アシの語源が青芝アオシであるという程、広大な面積でったろう。浜荻は万葉集04-0500に一首収載されているが、これを浜に生えるオギであるとの見方と、アシの事をハマオギと云うとの解釈が両立している。この歌は伊勢の国で作られたのであり、伊勢は葦を名物としているからアシとした方が無理がないと考える。
葦原は小魚や蝦蟹・昆虫など多く発生し、それを餌にする雁や鶴の安息所でもあった。ここに住む水鳥は足の長い渉禽類を葦鶴といい、或いは鴨や鴫の遊菌類を葦鴨といった。葦原は繁みが濃くて人の入り込めないところであるが、小舟をもつ川漁師は水路を熟知していて、時に無法者をかくまったりして、「利根の川風袂に入れて」との名文句の如し。河洲では川の流れに沿ってほぼ一定の風向きの風がふくので、そこに生える葦は屡々その方向に傾き生長し、葉が片側にのみ付き、これを”片葉の葦”といって不思議がられ各地の伝説を生んでいる。上代の人々は葦を刈り取って菰や莚に編み、垣や庵をつくり、質素な住まいとした。不要になった残渣は燃して飯・汁を炊いた。これらは葦垣・葦庵・葦火などと日本文学で枕詞に取り入れている。葦の利用について、特に淀川産と伊勢産の葦簾アシズが良質で有名であり、花穂は綿の代用に、草葉は葭簀ヨシズ・痩簀ソウズに編み或いは屋根葺に用いられた。
そこで〈難波の葦アシと伊勢の芦ヨシ〉ということで、葦は”悪し”に通じ、縁起を被いて”芦ヨシ”なる反語が生れた。<謡曲本―芦刈>*に「さて芦と葦は同じ草にて候か」と謡うところがあるが、すくなくとも室町時代にそのような忌み言葉があったと思われる。江戸の花柳界が幕府命により、新川から隅田川向岸に移転を命ぜられるのであるが、此の新地は葦が一杯生えていたので葦原と呼んでいたのを、『吉原』と改称したという有名な話。縁起を担ぐ大阪商人は「あし」は「お銭アシ」に通うじるとて、難波草と呼んでいる。高級住宅地の芦屋では、そんなことにとらわれず、お高く留まることに専念している。
現在の謡曲本はその全容が判っていないのであるが、その1/3が世阿弥(1363〜1443)の作といわれている。世阿彌は時の将軍足利義満に認められて、観世流を創立,幽玄能を大成したが、晩年は将軍義教に冷遇され佐渡へ廃流された、<芦刈>は貧しい日下左衛門が妻と離別し苦労しているが、妻は都で出世し、夫を津の国難波へ迎えに来るという貞女物語である。この原作は大和物語からとられた。
<倭名類聚抄 |
芦草 蓬蕽葦華名也、 |
<書言字考節用集 |
蘆、葦(毛長云,葦之始生曰レ葭,未レ秀曰芦,長成曰レ葦),蓬蕽アシノハナ、芦花 |
<重修本草綱目啓蒙 |
蘆、ヒムログサ、タマエグサ、ナニワグサ、サザエグサ、ハマオギ、アシ、ヨシ、一名蒲蘆、華、廃、蕟、葦子草 水辺に多く生ず、春旧根より苗を生ず、始め出る時筍の如し、唐山の人は採りて喰う。これ芦筍と云、然れども南土のものは堅く食うべからず、北土の者は柔らかにして食うべし。今清商食用に持ち来るものながさ三寸許二つに割りて蒸し乾かしたもの也、是を水に浸し煮て食う、苗長ずれば高さ丈余枝なし、葉は竹葉に似て長大互生す、秋に至りて、茎梢に穂を出す、菅カヤの穂の如くして枝多し、長さ一尺余、秋の末茎葉ともに枯れる。一種の茎幹至って粗大なるものを鵜殿のヨシと云う、摂州島上部鵜殿邑の名産なり、茎を用い篳篥の義嘴に作る、このヨシは證類本草蘇頌の説に、深碧色なる者、所ニ謂碧芦一と云者なり、集解にこの説を引けども、所ニ謂碧芦一の四を脱せり、蒹ヒメヨシ一名ヨシモドキ、スダレヨシ、カナヨシ、ヒヨヒヨアシの一種小なるなり、 |
<倭訓栞 |
よし |
<倭訓栞 |
はまおぎ |
<摂津名所図絵 |
片葉葦カタハアシ |
<紀伊国名所図絵 |
片葉の葦 |
万葉集には50箇所以上と可成り多く採題されていて、蘆・葦の両字を用いているが、ヨシというのは見当たらない。アシとは悪に通じ、これをヨシに読み直したのであるが、これは江戸時代でしあったと推測される。
<文明本節用集> |
莬メン |
<日本釈明 |
葦ははし也、始め也、草木のはじめ也。 |
中華国でも江南の沼沢地にはアシが繁く葉得ており、これを読む詩歌も多くある。漢字の母国の中華ではさすがに使い分けをしており、まず春先に出る角のような芽を蘆筍ロジュン(日本古語でアシカビ)と称し、この嫩い新芽を葭カとも云ってこれは食用にする。蘆(芦)ロは穂の出る前であって、出穂以後からは葦イとなる。その稈を用いて、葦垣・葦簀・葦簾を作る。また、葦は楽器と関係が深く、蘆の稈で蘆笛・蘆笳の笛を作る。和楽器の笙ショウ・篳シチリキも蘆で作ったものがある。洋楽器のオーボエ・クラリネットのリ-ドは蘆の茎を削って作るが、この作り方は奏者によって秘法だそうで、曲によって適切な音色のリードに取り替えるので、常時20本位所持している。
また、稈に付属する薄い膜を葭莩カフといい、これを焼いて出来た灰が葭莩灰で、占いに使うのだと。
<詩経> |
[秦風葦葭] |
<唐 |
[小至] |
<中唐 |
[送友人] |
植物
アシ Phragmites
communis Trin. P, Australia Cav.
ヨシ、キタヨシ Arundo
phragmites L. A. auatralis L.
日本各地・東南アジア・中華国の池・沼・河岸に大群を作って、冬季は枯れる大形の多年草。根茎は逞しく、長く地下を這い、その節から立ち上がる茎は、高さ2~3mに達する。葉は腺型で長さ20~50cm巾2~4cmで互生して付く。8~9月に茎の先端から長さ15~40cmの円錐形の花序を出す.小穂は長さ1.2
~1.7mmで褐色を帯びる。
補説
1.
葉舌には白い毛が生える。
2.
花は2枚の頴からなり、内頴の方が長い。花の基部には1cm
位の白い絹糸様の総苞毛がある。
3.
理由は不明なるも、何故か種子は出来ない。
近接種
キタヨシ |
var. |
関東以北の小型のアシ |
|
ミドリキタヨシ |
form, |
|
|
ハコネヨシ |
P. |
葉は平滑である。 |
|
ツルヨシ |
P. |
流れのある河岸に |
ジジバソ・ヤマヨシ |
セイタカヨシ |
P. |
関東以西に野生の大形種 |
セイコノヨシ・ウドツヨシ |
アイヨシ |
Phacelurus |
アシとススキの中間種 |
|
|
アシ |
セイタカヨシ |
ツルヨシ |
匍匐茎 |
黄金色の長い地下茎、泥中を水平に伸ばす |
長い地下茎 |
地表を這う地下匍匐茎が3~5mも伸びる。 |
節 |
無毛または伏毛 |
|
有毛 |
稈丈 |
1~3mで直立 |
2~4mで、硬い、直立 |
1.5~3m |
稈と葉の角度 |
30~40゚ 垂れて太い |
20゚ 垂れない |
75゚ |
葉の長さ |
20~50cm |
40~70cm |
20~30cm |
葉の巾 |
2~4cm |
2.5~4cm |
2~3cm |
葉舌 |
|
|
細い |
葉鞘 |
通常は紫色を帯びない |
紫色を帯びない |
上部は淡紫色を帯びる題意 |
第1苞の長さ |
外花の半分以下 |
外花の半分以下 |
最下の外花の1/2~3/5で6~10mm |
花序の大きさ |
15~20mmの広卵形 |
30~70mm |
~30cm~広卵形 |
1小穂の花数 |
2~4個 |
4~5個 |
4~6個 |
古典
<伊勢物語 |
葦辺より満ち来る潮のいやましに君に心を思いますかな |
87> |
あしのなだの塩焼きいとまなみ黄楊の小櫛も挿さず来にけりる |
92> |
葦辺漕ぐ棚なし小舟いくぞたび |
<源氏物語 |
いはけなき田鶴の一声聞きしより 葦間にはずむ舟ぞえならぬ |
須磨> |
あし葺ける廊めて屋などをかしうしつらひなしけり |
<土佐物語 |
なにの葦陰にことずけて老海鼠の交の |
<更科日記> |
野山葦荻のなかを分くるよりほかのことなくて、武蔵と相模との中をあすだ河(隅田川)という、 |
<枕草子> |
葦の花はさらに見所なけれど,見てぐらなどいはれたる。 |
アシを草子では良く言っていない、明治の文豪
徳富蘆花は『芦の花はその見所なきを余は却って愛する也』と書いている。
<古今和歌集 |
人しれぬ思いやなぞと葦垣のまじかけれどもあふよしのなき |
|
819> |
葦辺より雲ゐをさして行くかりの いや遠ざかるわが身かなしも |
西行 |
<新古今和歌集 |
三島江や霜もまだひぬ葦の葉につのぐむほどの春風ぞ吹く |
|
625> |
冬深くなりにけらしな難波江の青葉まじらぬ芦のむらだち |
|
823> |
あわれ人今日のいのちをしらせば難波の葦に契らざらまし |
|
927> |
旅寝する葦のまろ屋の寒けらばつま木こり積む舟急ぐなり |
|
1049> |
難波潟みじかき葦のふしのまもあはでこの世を過ぐしてよとや |
伊勢 |
1076> |
つれもなき人の心のうきにはふ葦の下根のねこそはなけ |
|
<金槐和歌集 |
あしの葉は沢べもさやにおく霜の寒き夜なよな氷しにけり |
|
<山家集 |
津の国の難波の春は夢なれや葦の枯葉の風わたるなり |
|
|
霜にあひて色あらたむる葦の穂の寂しくみゆる難波江の浦 |
|
<拾遺和歌集 |
難波がたしげりあへるは君が代に |
|
<後拾遺和歌集 |
花ならで折りらまはしきは |
|
<住吉社歌歌合 |
神風いせしまには、はまおぎと名付くれども、難波わたりにはあしとのみ云い、あずまの方には、よしといふなる如くに、同じ歌なれど、人の心よりになむある。 |
|
<夫木和歌集 |
すくもたく |
為家 |
|
遙かなる |
藤原為家 |
|
しほ風に |
藤原基俊 |
|
すすたれる |
源 |
|
見渡せば |
藤原顕季 |
<徒然草> |
倚芦の御所の様など、板敷を下げ、葦の御簾を掛けて、布の帽額荒々しく御調度もおろそか |
|
<大和物語 |
なにわには…しばしといふほどに、あしになひたる男のかたゐの様子なる姿なる、この車の前よりい行きけり、…ものこそは給はせんとすれ、幼きものなりといふ、ときに硯をこひて文かく、それに |
|
<更科日記> |
むらさき生ときく野も、あし荻のみたかくおひて、馬にのりて弓もたるすゑ見えぬまでたかく生ひ繁りて、中をらけ行に、たけしばしいふ寺あり。 |
|
<平家物語 |
埴生の小屋の葦簾 |
|
<説文解字 |
葦の花 |
|
<千載集 |
夏刈のあしもあわれなり玉江の月の明け方の空 |
|
<新千載集 |
津国や難波に生えるよしあしは言う人からの言の葉ぞかし |
|
1 |
霜枯れの小屋のやへぶきふきかへて葦の若葉に春風ぞ吹く |
|
<小倉百人一首> |
夕去れば門田の稲葉 おとずれて |
|
<能印法師集> |
ほととぎすかたらふ声を聞きしより |
|
<謡曲本 |
芦の葉わけの風の音 |
|
歌占> |
神風や伊勢乃浜荻なを変えて |
|
猩々> |
芦の葉の笛を吹き波の鼓をどうとうと、 |
|
葦別> |
葦あしと葦よしとは同じ草にて候か。さん候。例えば薄すすきといふは穂に出てれば尾花というごとし。この芦を伊勢人は濱荻といい、難波人は芦という。 |
|
<俳諧> |
狼も |
松尾芭蕉 |
|
芦の穂や |
松尾芭蕉 |
|
芦の花 |
与謝蕪村 |
|
粽解いて |
与謝蕪村 |
|
蛬きりぎりす鳴けとてもやす芦花火 |
小林一茶 |
|
芦簀あむ |
小林一茶 |
|
浦安の |
高浜虚子 |
|
船ゆけば |
富安風生 |
|
ややありて |
木原秋桜子 |
|
入道雲へと映える |
水木真貫 |
名前
<語源>
(a) 大和神話により「<日本釈名>あしは
はし 也。草木のはじめなり。」とあり、ハシ→アシ
になったとの説。
(b) 一説に”青し”から、”弱し”から。
(c)
<牧野博士>は「アシは稈の意で、ここから変化した」と説いている。
<古語>
安志、安子、安之、阿之、蕉荻ムシロイ、牟志呂井
<同字>
蘆ヨシ、芦ロ、葦イ、葭カ、蒹ケン
<本草綱目>に『葦のはじめて生ずるを葭といい、いまだ秀でざるを蘆といい、長生するを葦と云う。葦は偉大を意味し、蘆は色の蘆黒を意味し。葭は華美を意味する。』
葦・蘆・葭ともに形声文字で、夫々
艸+韋、+露慮、+段 である。芦は蘆の俗字で和製漢字である。
<別名>
蘆葦ロイ、濱荻、一葉草、氷室草ヒムロクサ、細草ササレクサ、玉江草タマエクサ、谷葉草、難波草
<漢語>
蘆、葦子草、蒹発、蘆葦、蘆竹、蘆箏、蒲蘆、葦子草、
<英語>
reed, rush
用途
用材:
葦垣・屋根材・壁骨・などの住居用。稈茎を苫・簾などに編む。上等のものは、葉を取り去り、稈のみを磨いて編む。筆鞘・楽器<葦管・葦茄>・松明<葦火>。葉は
草履・蓑に。葦の茎は中空で節間が長いので、乾燥すると軽くて水湿hも強いので、葦簾などに作る。葦簾は海水浴の掘立小屋などの簡単な仕切りに。よく燃えるので篝火・松明に、
衣料・繊維:
花穂の成熟した者は綿屑のように、ふわふわしており、これを葦絮また葦雪と称し、未だ綿が渡来しない前に穂綿として用いた。稈茎は是を砕き、漉紙に混ぜ増量剤にした。
食用:
春4月初旬に伸びる若芽を、竹筍のように皮を剥ぎ、柔らかい部分を食材とする。葦角・葦牙・葦爪・葦笋・葦筍etc/
薬用:
根茎を漢方で蘆根ロコン
Phargmitis
Rhizomaと呼び、鎮吐・利尿・清涼・解毒に。成分=cylindrin
などのトリヘルペノイド、アミノ酸
aspagine acid
約3%、粗蛋白 約5%
余話
王様の耳はロバの耳
ギリシャのアルガイデアの丘にシ-リンクスという美しい妖精がいた。森の神バ-ンは妖精を追いかけてせまったので、シーリンクスは逃げ場がなくなり、ついに河に身を投げたのだが、其の場所に蘆が生えた。バ-ンはその蘆で笛を作ったところ、美しい音色でメロデイが流れた。
「クラリネット・オーボエのリ-ドをバアーンという、しかし、正式にはアシでなくダンチクである。」
図らずも、日の神アポロと音楽について競争したとき、フリギアのミダス王はアポロの七弦琴よりも蘆のリュートが勝ると判定した。負けたアポロは怒って「よい音楽が判らない耳はロバの耳」といって、ミダス王の耳をロバの耳のように長くしてしまった。ミダス王は他人に見られるんが恥ずかしくて、いつも紫色の頭巾を被って隠していたが、理髪師だけはこれを知っていた。理髪師はこれを誰かに話さずに居られない衝動に駆られて、川辺に穴を掘って『王様の耳はロバの耳』と怒鳴って埋め、本人は清清しくなって帰ってきた。ところが風が吹くと其処の蘆は葉ずれして『王様の耳はロバの耳』と聞こえるそうだ。
片葉の蘆の伝説ー1-
盛岡市龍谷寺に現在の観音像が祭られているが、その観音様は片手がない。これに纏わる言い伝え。むかし、徳の有る六部(背中に仏像を担いで行脚する苦行僧で、六十六部とも言う。法華経の書き写しを全国の霊場の霊場に奉納して歩く。後に厨子を被いて鉦を叩きんがら物乞いして廻る乞食僧に代わり、勝手に人家に住み込んだりした。)が観音様を背中に担いで行脚中、ある河原で強盗に出会って刀で切りつけられたが、刃先が観音様に当たり、六部は川に飛び込んで、怪我もなく難を逃れた。このとき身代わりになって、観音様は右手が切り落とされ、河に流されたのであるが、川洲の蘆原に打ち上げられていたのを、奉納したのであるが、その付近の蘆は皆片葉になっていたという。今でも信仁深い人は、この観音様を拝むと、片輪(身体に不自由ある人)は治ると言い伝えられている。
片葉の蘆の伝説ー2-
千葉県の関宿は、茨城と埼玉の間に挟まれた辺鄙な所になっているが、昔は陸奥に通ずる重要な宿場であった。ここに伝わる不思議な伝説。結城伊兵衛は地方で財をなす庄屋であったが、その娘蘆姫は丁度色香の薫る十八歳になった祭礼の晩、見知らぬ若い美男に出会った。美男も蘆姫が好みであったらしく次ぎの新月の晩に再度合いに来るといって分かれた。蘆姫は犬が好きで、其晩愛犬を連れて社へ赴くと、突然犬が吠え出し、男は大蛇に身を表わし、蘆姫をぐるぐる巻きにして連れ去った。姫は必死になって蘆に縋りついたので、蘆は片葉のみ残して、もぎ取られたという。
この様なアシの性質は何処でも見られるものである。二方性といって葉が互生して着くのであるが、イネこのように、日本全国で片葉の蘆の伝説はある。片葉の蘆とは茎の片方にだけ葉がついている現象で、科植物は単子葉植物であるから、三方性であったところ、一方が省略された形となるのであるが、アシでは二方向の軸に120゜の角度で残る。これが見る方向によっては片葉のように見えるのである。この角度で残るのでは、風が吹いたとき倒伏することなく風圧を避けるよう自然の知恵であろう。しかし並木和夫先生は、普通型のアシの中にカタハノアシが混生するのを観察詞、片葉になるのは風だけの原因でないと報告している。
片葉の蘆の成因は風でなく、水流であるという告文もある。また、風が吹くと屡々葉や茎に当たりピューと風音を発するが、これが音笛の伝説になり、弘法大師が顔を出してくる。
<摂津名所図会> |
片葉の蘆、現成寺跡、難波薬師に井あり、昔は広き池にして巡りに片葉の蘆を生ず。今什物とす。どぶ池と称するはこの池の名なるべし、按ずるにすべて難波は川多し、淀川はその首たり、其の岸に芦生ひ繁りて両葉出たるも水の流は早きにより、従いて皆片葉の蘆多し、故に水辺ならざる所にもあり、難波に限らず、八幡・淀・伏見・宇治なども片葉の蘆多し、或いはいわく、難波は常に西風激しきにより、蘆の葉東へ吹きなびきて片葉なるもの多しといふは僻案なり。 |
<越後の国中頚城郡春日村の伝説> |
この村はもと水不足で農作業に困っていたが、弘法大師が巡回し着たり、経を読んで杖をついた場所から水が噴出し、蘆が生き生きと蘇った。隠れていた妖女達も喜び、蘆の葉で笛を作り、これを吹いて弘法大師を誘惑しようとした。大師は錫杖を振って蘆の葉を落として笛を作れないようにした。それで、蘆は片方だけしか葉を出さないのである。 |
|