Ad-11. あし

123

Ad-11. あし 葦・蘆・安之

アシ・ヨシ 芦 <>

漢語; 葭・蘆・葦・芦ルウ・芦苐ルウテイ

[万葉集記事] 

01-0067 葦辺

02-0128 葦若木

02-0167 葦原

03-0352 葦辺

03-0456 葦鶴

04-0575 蘆鶴

04-0617 葦邊

06-0919 葦辺

06-0928 葦垣

06-0961 葦鶴

06-1062 葦辺

06-1064 葦辺

07-1288 葦之末葉

07-1324 葦之根

09-1804 蘆原

10-2134 葦辺

10-2135 葦辺

11-2468 鶴葦

11-2565 葦垣

11-2576 葦垣

11-2651 葦火

11-2745

11-2748 葦荷

11-2762 葦垣

11-2768 葦鶴

11-2833 葦鶴

12-2998

12-3090 葦辺

13-3227 蘆原

13-3253 蘆原

13-3272 蘆垣

13-3279 葦原

13-3345 葦辺

14-3445

14-3446

14-3570 葦之葉

15-3625 葦辺

15-3626 葦辺

15-3627 葦辺

16-3886 葦蟹

17-3975 葦垣

17-3977 葦垣

17-3993 葦葉

17-4006 葦刈

17-4011 葦鶴

18-4094 草原

20-4331 葦被

20-4357 葦垣

20-4362

20-4398 葦散

20-4400 葦辺

20-4419 葦火

20-4459 葦刈

以上53ヵ所

はまおぎ 04-0500




一首

() 02-0128

石川郎女、また大伴田主中郎に贈れる歌


阿聞之 耳糸好似 葦若木乃 足痛吾勢 勤多扶倍思


わが聞きし 耳によく似る葦の若木うれぎの足なへ吾背 つとめたぶべし


右は仲間の足疾あしのやまいによりてこの歌を贈りて問訪

注釈:

耳によくにる=噂にそっくりの、

葦の末の=つぎの「足ひく」に懸かる枕詞。

足ひく=足を引きずる。

つとめ=勤め、努め,

つつしむ=気をつける。

うれき=うれは末、木の枝などの先端をいうがこの場合は根の先に出る葦の若芽をいう。食用とする。年老いて足が萎えたのと葦を懸けている。

田主を=田の主〔案山子〕に譬えて風刺した歌か、    

() 06-0961

帥大伴卿、次田温泉つぎたのゆに留まりて、鶴喧たずかねを聞きて作れる謡


湯原尓 鳴蘆多頭者 如吾 妹尓恋哉 時不定鳴


湯の原に鳴くあし鶴たづはわがごとく 妹に恋ふれや 時わかず鳴く

注釈:

次田温泉=大宰府の南、三日市温泉、

草鶴=葦辺にいる鶴、歌には鶴に”つる”と”たづ”の両方が並存したが、歌にはたづの方が多い。明確に指摘はできないが、鶴は丹頂鶴、田鶴は他の鍋鶴の様な鶴に分けられる。 

あしたづの=つるが鳴くことから、音・鳴に懸かる枕詞。

時わかず=四季の別なく時を選ばず何時でも。この年〔神亀5年4月〕に家持は妻を亡くしている。

() 11-2585

正に心緒を述ぶ


花細 葦垣越尓 直一目 相視之児 故 千遍嘆津


花ぐわし 葦垣越しに ただ一目相見し身ゆえ 千たび嘆きつ

注釈:

花ぐわし=花が美くしい意から、櫻の花などに懸かる枕詞。ここでは葦垣越し見た美人に懸けて、 

葦垣の=古い・想い乱れる・間近い・よし・吉野などの懸かる枕詞、 

() 16-3886

蟹のために痛を述べてつくれる


忍照八 難波乃蘆作 難麻理弖居 葦河尓王召跡 何為牟尓王召跡 吾乎召良米夜明久 若知事乎 歌人跡…


押照おしてるや 難波の小江に 庵いほ作り 隠なまりてる 葦蟹あしがにを 大君召すと 何せむに 吾を召すらめや 明けく 吾がしることを 歌人うたびとと…

注釈:

この歌は、商品を懸けた祝い詞を謡いながら、乞食者が食べものなどを売り歩くときの二例の一を書き述べたものである。当時の風俗を知る上で非常に参考になる。

いたみ=魚などの発酵食品

おしてるや=一面に、光がさしている景、難波に懸かる枕。陰り照る

蟹のいたみ=蟹の塩辛のようなもの、蟹と楡の葉を新しい内に搗き潰し塩を振って暫時おき、適当に馴れたもの、今熊本で、作られるガンヅケはよく似た食品である。

() 17-4006

京に入らむとして潮に近ずきて、悲しみの情祓ひ難く、懐を述ぶる歌


可伎加麻布 敷多我美夜麻尓… 都麻欲夫等 須騰理波佐和久 安之可流等 安麻乃乎夫跡 伊里延許具 加遅能於等多加之 曾己乎之毛 安夜尓登母志美 之怒比都追


かき数ふ 二上山に…妻上ぶと 洲鳥すどりはさわぐ 葦刈ると 海人あまの小舟をぶねは 入り江こぐ 梶かぢの音高し そこをしも あやにともしみ 偲びつつ 

注釈:

かき数ふ=二上山にかかる枕詞。 

二上山=万葉集に出てくる二上山は二箇所あり、ここは越中国国府(現在の伏木町)にある山。 

洲鳥=川に洲にいる鳥、潟から雌鳥をあさりにくる。

() 20-4459

式部子丞 大伴宿禰池主読む。即ち曰く〈兵部大丞大原真人今城、先ず日の施し所にして読む歌なり〉といふ


蘆苅尓 保刈江許具奈流 可治能於等波 於保美也比等能 木奈伎久麻尓


葦刈りに 堀江ほりえ漕ぐなる 楫かぢの音は 大宮人の皆聞くまでに

注釈:

式部小丞=式部省の三等官,

兵部大丞=兵部省之三等官

三月一日に太上天皇の堀江行幸があった。このとき読んだ歌か。

ハマオギ

() 04-0500

碁檀越往伊勢国時、留妻作謌一首


神風之 伊勢乃濱荻 折伏 客宿也将為 荒濱辺尓


葦神風の 伊勢の濱荻 折り伏せて 旅宿やすらむ 荒き浜辺に

[概説]

アシはマコモによく似た植物で、マコモに比して草丈は高いに拘わらず葉に長さは短いから見てもそれとなく判別できくる。同じく池沼に大群落を作り、河川の下流などの未開発の湿地帯を生い尽していた植物である。古事記で日本の国を豊葦原中国トヨアシハラノナカツクニと呼んでいたことからも、日本の国はそのような芦の生え繁った泥沼が多かったと思わせる。

<古事記 上>

海月なす漂へる時に、葦牙あしがのごと萌え騰る物によりて成れる神の名は、宇摩志阿斯詞備比古遅神うましあしかびひこちのみかみ次に天之常立神が高天原に成れる別天津五社

下 安康>

射出る矢あしの如くきたり

<古事記伝 3>

葦牙は阿斯哥アシカビと訓ずべし。葦のかつかつ生初めてるを云名なり、牙字は芽と通

<日本後記 24 嵯峨>

弘仁六年十月庚辰、興福寺大法師等為賀三天皇宝算満于四十一、…日本邪馬台国、賀美侶伎、宿那蚍古那、葦菅、殖生国固、造介牟与理

<風土記-出雲>

恵曇の池、四方に葦・菰・菅が生え、

<倭訓栞 前2>

[あし]…葦は始めの義なり、開闢の始めまず生じたるものは葦なり、よて此の国を葦原中国といふなり、白き筋あるを難波葦といふ、篳篥の簧には,津国鵜殿の葦を用うといへり、[あしのほわた] あしの穂綿を衣の絮にするをいふなり、小窓清記に、製柳絮枕葦花被以連牀夜話と見えたり、真に似たる中の偽りといふ連歌に、葦の穂はかさねし衣のわたならで、是は閔子塞の故事なり

アシは浜荻ハマオギととも呼ばれて日本各地の沼や川洲に一面に群生していた。アシの語源が青芝アオシであるという程、広大な面積でったろう。浜荻は万葉集04-0500に一首収載されているが、これを浜に生えるオギであるとの見方と、アシの事をハマオギと云うとの解釈が両立している。この歌は伊勢の国で作られたのであり、伊勢は葦を名物としているからアシとした方が無理がないと考える。

葦原は小魚や蝦蟹・昆虫など多く発生し、それを餌にする雁や鶴の安息所でもあった。ここに住む水鳥は足の長い渉禽類を葦鶴といい、或いは鴨や鴫の遊菌類を葦鴨といった。葦原は繁みが濃くて人の入り込めないところであるが、小舟をもつ川漁師は水路を熟知していて、時に無法者をかくまったりして、「利根の川風袂に入れて」との名文句の如し。河洲では川の流れに沿ってほぼ一定の風向きの風がふくので、そこに生える葦は屡々その方向に傾き生長し、葉が片側にのみ付き、これを”片葉の葦”といって不思議がられ各地の伝説を生んでいる。上代の人々は葦を刈り取って菰や莚に編み、垣や庵をつくり、質素な住まいとした。不要になった残渣は燃して飯・汁を炊いた。これらは葦垣・葦庵・葦火などと日本文学で枕詞に取り入れている。葦の利用について、特に淀川産と伊勢産の葦簾アシズが良質で有名であり、花穂は綿の代用に、草葉は葭簀ヨシズ・痩簀ソウズに編み或いは屋根葺に用いられた。

そこで〈難波の葦アシと伊勢の芦ヨシ〉ということで、葦は”悪し”に通じ、縁起を被いて”芦ヨシ”なる反語が生れた。<謡曲本―芦刈>*に「さて芦と葦は同じ草にて候か」と謡うところがあるが、すくなくとも室町時代にそのような忌み言葉があったと思われる。江戸の花柳界が幕府命により、新川から隅田川向岸に移転を命ぜられるのであるが、此の新地は葦が一杯生えていたので葦原と呼んでいたのを、『吉原』と改称したという有名な話。縁起を担ぐ大阪商人は「あし」は「お銭アシ」に通うじるとて、難波草と呼んでいる。高級住宅地の芦屋では、そんなことにとらわれず、お高く留まることに専念している。

    現在の謡曲本はその全容が判っていないのであるが、その1/3が世阿弥(13631443)の作といわれている。世阿彌は時の将軍足利義満に認められて、観世流を創立,幽玄能を大成したが、晩年は将軍義教に冷遇され佐渡へ廃流された、<芦刈>は貧しい日下左衛門が妻と離別し苦労しているが、妻は都で出世し、夫を津の国難波へ迎えに来るという貞女物語である。この原作は大和物語からとられた。

<倭名類聚抄 20 生植>

芦草 兼名苑、葭一名葦、爾雅註曰蘆 王篇云、蓄 菼 葦之始也,蘇敬本草注云

蓬蕽葦華名也、

<書言字考節用集 6生植>

蘆、葦(毛長云,葦之始生曰,秀曰芦,長成曰),蓬蕽アシノハナ、芦花

<重修本草綱目啓蒙 10 湿草>

蘆、ヒムログサ、タマエグサ、ナニワグサ、サザエグサ、ハマオギ、アシ、ヨシ、一名蒲蘆、華、廃、蕟、葦子草

水辺に多く生ず、春旧根より苗を生ず、始め出る時筍の如し、唐山の人は採りて喰う。これ芦筍と云、然れども南土のものは堅く食うべからず、北土の者は柔らかにして食うべし。今清商食用に持ち来るものながさ三寸許二つに割りて蒸し乾かしたもの也、是を水に浸し煮て食う、苗長ずれば高さ丈余枝なし、葉は竹葉に似て長大互生す、秋に至りて、茎梢に穂を出す、菅カヤの穂の如くして枝多し、長さ一尺余、秋の末茎葉ともに枯れる。一種の茎幹至って粗大なるものを鵜殿のヨシと云う、摂州島上部鵜殿邑の名産なり、茎を用い篳篥の義嘴に作る、このヨシは證類本草蘇頌の説に、深碧色なる者、所ニ謂碧芦一と云者なり、集解にこの説を引けども、所ニ謂碧芦一の四を脱せり、蒹ヒメヨシ一名ヨシモドキ、スダレヨシ、カナヨシ、ヒヨヒヨアシの一種小なるなり、

<倭訓栞 前36 >

よし 中略 葦をよしと云うは,悪しの反語也、俊成卿の住吉社歌合の晩に、あずまの人の言葉なりと見ゆ、古くは歌に見えずとぞ、一説に、」よしは葉ともに毛なし、根深く入りもの也、あしは葉もとに毛あるて、根は土より上を這うもの也ともいへり。

<倭訓栞 前20 >

はまおぎ 万葉集に、伊勢の浜荻といへり、葦をいふなりと顕注密勘にみえたり、されど武蔵風土記に浜荻と葦とを並挙げたり、浜辺の荻といふ事にて葦は草に雑るて生じる物ゆえに、同集に、葦べなる荻の葉さやぎともよめり、葉のかたかたに尽きたるに萩多しといへり、いまも二見浦にかたはの葦とて名物せるあり、定家卿万葉の歌をとりて 二見がたいせの浜荻しきたえの衣手かれて夢も結ばず 後拾遺集の作者侍命婦を浜荻といふは、祭主輔親が猶子なるをもてといへり、

<摂津名所図絵 4 大阪>

片葉葦カタハアシ 按ずるに、都で難波は川々多し、淀川其の中の首たり、其岸に芦生繁りて両葉に出たるも、水の流れ早きにより、随ふてみな片葉の芦多し,故に水辺ならざるところにもあり、難波に限らず、八幡、淀、伏見、宇治等にも片葉の芦あり、或いは云、難波は常に西風激しきにより、芦の葉東へ吹靡きて、片葉なる物多しといふは僻案なり。

<紀伊国名所図絵 2 >

片葉の葦 和歌津や村の北の入口にあり、是また葦辺の遺跡也、すべて川邊の葦は流れにつれて、自然と片葉になるものであり、又その性を受けて芽てづるよい、片葉葦を生ずる藻あらん、この地もいにしへは、入江或は流水の所にて其性を伝て、今に片葉に生ずるか、風土の一奇事と云うべし、つつのくに鵜殿のあしと同品なり。

万葉集には50箇所以上と可成り多く採題されていて、蘆・葦の両字を用いているが、ヨシというのは見当たらない。アシとは悪に通じ、これをヨシに読み直したのであるが、これは江戸時代でしあったと推測される。

<文明本節用集>

メン 玖波集の連歌に『葦の名の所によりて変りけれ 難波の蘆は伊勢の浜荻 藤原俊成の跋に「この神風伊勢島には浜荻と名付くれど、難波あたりはあしとのみ言ひ、吾妻のほうはよしとなるごとし

<日本釈明 下草>

葦ははし也、始め也、草木のはじめ也。

中華国でも江南の沼沢地にはアシが繁く葉得ており、これを読む詩歌も多くある。漢字の母国の中華ではさすがに使い分けをしており、まず春先に出る角のような芽を蘆筍ロジュン(日本古語でアシカビ)と称し、この嫩い新芽を葭カとも云ってこれは食用にする。蘆()は穂の出る前であって、出穂以後からは葦となる。その稈を用いて、葦垣・葦簀・葦簾を作る。また、葦は楽器と関係が深く、蘆の稈で蘆笛・蘆笳の笛を作る。和楽器の笙ショウ・篳シチリキも蘆で作ったものがある。洋楽器のオーボエ・クラリネットのリ-ドは蘆の茎を削って作るが、この作り方は奏者によって秘法だそうで、曲によって適切な音色のリードに取り替えるので、常時20本位所持している。

また、稈に付属する薄い膜を葭莩カフといい、これを焼いて出来た灰が葭莩灰で、占いに使うのだと。

<詩経>

[秦風葦葭] 葦葭蒼蒼 白露為霜 

<唐 杜甫>

[小至] 刺繍五紋添弱腺 吹管六瑾動飛灰

<中唐 薜濤>

[送友人] 水国蒹葭夜有霜 月寒山色共蒼々

植物

アシ Phragmites communis Trin. P, Australia Cav.

ヨシ、キタヨシ Arundo phragmites L. A. auatralis L.

日本各地・東南アジア・中華国の池・沼・河岸に大群を作って、冬季は枯れる大形の多年草。根茎は逞しく、長く地下を這い、その節から立ち上がる茎は、高さ2~3mに達する。葉は腺型で長さ2050cm巾2~4cmで互生して付く。8~9月に茎の先端から長さ1540cmの円錐形の花序を出す.小穂は長さ1.2 1.7mmで褐色を帯びる。

補説

1. 葉舌には白い毛が生える。

2. 花は2枚の頴からなり、内頴の方が長い。花の基部には1cm 位の白い絹糸様の総苞毛がある。

3. 理由は不明なるも、何故か種子は出来ない。

近接種

キタヨシ

var. longivalois Steud.

関東以北の小型のアシ


ミドリキタヨシ

form, flavescens K.Ito.



ハコネヨシ

P. Nakaino Honda

葉は平滑である。


ツルヨシ

P. japonica Steud.

流れのある河岸に

ジジバソ・ヤマヨシ

セイタカヨシ

P. Karka Trin

関東以西に野生の大形種

セイコノヨシ・ウドツヨシ

アイヨシ

Phacelurus latifalina Ohwi

アシとススキの中間種



アシ

セイタカヨシ

ツルヨシ

匍匐茎

黄金色の長い地下茎、泥中を水平に伸ばす

長い地下茎

地表を這う地下匍匐茎が3~5mも伸びる。

無毛または伏毛


有毛

稈丈

1~3mで直立

24mで、硬い、直立

1.53m 斜上

稈と葉の角度

3040゚ 垂れて太い

20゚ 垂れない

75

葉の長さ

2050cm

4070cm

2030cm

葉の巾

24cm

2.54cm

23cm

葉舌



細い

葉鞘

通常は紫色を帯びない

紫色を帯びない

上部は淡紫色を帯びる題意

1苞の長さ

外花の半分以下

外花の半分以下

最下の外花の1/23/5610mm

花序の大きさ

1520mmの広卵形

3070mm 長い

30cm~広卵形

1小穂の花数

24

45

46

古典

<伊勢物語 33>

葦辺より満ち来る潮のいやましに君に心を思いますかな             

87>

あしのなだの塩焼きいとまなみ黄楊の小櫛も挿さず来にけりる

92>

葦辺漕ぐ棚なし小舟いくぞたび 行きかへるらけ知る人もなみ

<源氏物語 若菜>

いはけなき田鶴の一声聞きしより 葦間にはずむ舟ぞえならぬ

須磨>

あし葺ける廊めて屋などをかしうしつらひなしけり

<土佐物語 13>

なにの葦陰にことずけて老海鼠の交の

<更科日記>

野山葦荻のなかを分くるよりほかのことなくて、武蔵と相模との中をあすだ河(隅田川)という、

<枕草子>

葦の花はさらに見所なけれど,見てぐらなどいはれたる。

アシを草子では良く言っていない、明治の文豪 徳富蘆花は『芦の花はその見所なきを余は却って愛する也』と書いている。

<古今和歌集 506>

人しれぬ思いやなぞと葦垣のまじかけれどもあふよしのなき


819>

葦辺より雲ゐをさして行くかりの いや遠ざかるわが身かなしも

西行

<新古今和歌集 25>

三島江や霜もまだひぬ葦の葉につのぐむほどの春風ぞ吹く


625>

冬深くなりにけらしな難波江の青葉まじらぬ芦のむらだち


823>

あわれ人今日のいのちをしらせば難波の葦に契らざらまし


927>

旅寝する葦のまろ屋の寒けらばつま木こり積む舟急ぐなり


1049>

難波潟みじかき葦のふしのまもあはでこの世を過ぐしてよとや

伊勢

1076>

つれもなき人の心のうきにはふ葦の下根のねこそはなけ


<金槐和歌集 424>

あしの葉は沢べもさやにおく霜の寒き夜なよな氷しにけり


<山家集 >

津の国の難波の春は夢なれや葦の枯葉の風わたるなり



霜にあひて色あらたむる葦の穂の寂しくみゆる難波江の浦


<拾遺和歌集 9 >

難波がたしげりあへるは君が代に あしかるわざを せねばせねばなるまし


<後拾遺和歌集 1-49>

花ならで折りらまはしきは 難波江にふれる白雪


<住吉社歌歌合 嘉応2109日>

神風いせしまには、はまおぎと名付くれども、難波わたりにはあしとのみ云い、あずまの方には、よしといふなる如くに、同じ歌なれど、人の心よりになむある。


<夫木和歌集 巻28 10 >

すくもたく 難波乙女があしすだれ よにすすけたる我が身なりけり

為家


遙かなる みなとのしほの ながれ江に 芦の葉遠く凍る浦風

藤原為家


しほ風に しほれにけりな ながれあしの おきふし春を まつとせしまに 

藤原基俊


すすたれる こやのあられ 漏る月や みししはあしの めにもあるらん

源 俊頼


見渡せば あしはをしげみ 茂りあひて みちたづたづし 堀江漕ぐ舟

藤原顕季

<徒然草>

倚芦の御所の様など、板敷を下げ、葦の御簾を掛けて、布の帽額荒々しく御調度もおろそか


<大和物語 下>

なにわには…しばしといふほどに、あしになひたる男のかたゐの様子なる姿なる、この車の前よりい行きけり、…ものこそは給はせんとすれ、幼きものなりといふ、ときに硯をこひて文かく、それに きみなくて葦かりけりと思いにもいとどなにわの浦ぞすみうき


<更科日記>

むらさき生ときく野も、あし荻のみたかくおひて、馬にのりて弓もたるすゑ見えぬまでたかく生ひ繁りて、中をらけ行に、たけしばしいふ寺あり。


<平家物語 8-5>

埴生の小屋の葦簾


<説文解字 1>

葦の花 其の花、風に遇て吹揚げれば雪の如し。地に衆れば絮の如し


<千載集 恋 3 806>

夏刈のあしもあわれなり玉江の月の明け方の空


<新千載集 9 釈教>

津国や難波に生えるよしあしは言う人からの言の葉ぞかし


1 >

霜枯れの小屋のやへぶきふきかへて葦の若葉に春風ぞ吹く


<小倉百人一首>

夕去れば門田の稲葉 おとずれて 芦のうまやに秋風ぞ吹く


<能印法師集>

ほととぎすかたらふ声を聞きしより あしにいこそ寝られね


<謡曲本 忠度>

芦の葉わけの風の音


歌占>

神風や伊勢乃浜荻なを変えて よしといふもあしといふも


猩々>

芦の葉の笛を吹き波の鼓をどうとうと、


葦別>

あしと葦よしとは同じ草にて候か。さん候。例えば薄すすきといふは穂に出てれば尾花というごとし。この芦を伊勢人は濱荻といい、難波人は芦という。 


<俳諧>

狼も 一夜はやどせ 芦のはな

松尾芭蕉


芦の穂や かしらを掴む 羅生門

松尾芭蕉


芦の花 漁翁が宿の けぶり飛ぶ

与謝蕪村


粽解いて 芦吹く風の 音聞かん

与謝蕪村


蛬きりぎりす鳴けとてもやす芦花火

小林一茶


芦簀あむ 槌にもなれし胡蝶かな

小林一茶


浦安の 子は裸なり 芦の花

高浜虚子


船ゆけば 筑波したがふ 芦の花

富安風生


ややありて 汽艇の波や 芦の笛

木原秋桜子


入道雲へと映える 芦の笛

水木真貫

名前

<語源>

(a) 大和神話により「<日本釈名>あしは はし 也。草木のはじめなり。」とあり、ハシ→アシ になったとの説。

(b) 一説に”青し”から、”弱し”から。

(c) <牧野博士>は「アシは稈の意で、ここから変化した」と説いている。 

<古語>

安志、安子、安之、阿之、蕉荻ムシロイ、牟志呂井

<同字>

ヨシ、芦、葦、葭、蒹ケン

<本草綱目>に『葦のはじめて生ずるを葭といい、いまだ秀でざるを蘆といい、長生するを葦と云う。葦は偉大を意味し、蘆は色の蘆黒を意味し。葭は華美を意味する。』

葦・蘆・葭ともに形声文字で、夫々 艸+韋、+露慮、+段 である。芦は蘆の俗字で和製漢字である。 

<別名>

蘆葦ロイ、濱荻、一葉草、氷室草ヒムロクサ、細草ササレクサ、玉江草タマエクサ、谷葉草、難波草

<漢語>

蘆、葦子草、蒹発、蘆葦、蘆竹、蘆箏、蒲蘆、葦子草、

<英語>

reed, rush

用途

用材:

葦垣・屋根材・壁骨・などの住居用。稈茎を苫・簾などに編む。上等のものは、葉を取り去り、稈のみを磨いて編む。筆鞘・楽器<葦管・葦茄>・松明<葦火>。葉は 草履・蓑に。葦の茎は中空で節間が長いので、乾燥すると軽くて水湿hも強いので、葦簾などに作る。葦簾は海水浴の掘立小屋などの簡単な仕切りに。よく燃えるので篝火・松明に、

衣料・繊維:

花穂の成熟した者は綿屑のように、ふわふわしており、これを葦絮また葦雪と称し、未だ綿が渡来しない前に穂綿として用いた。稈茎は是を砕き、漉紙に混ぜ増量剤にした。

食用:

春4月初旬に伸びる若芽を、竹筍のように皮を剥ぎ、柔らかい部分を食材とする。葦角・葦牙・葦爪・葦笋・葦筍etc/

薬用:

根茎を漢方で蘆根ロコン Phargmitis Rhizomaと呼び、鎮吐・利尿・清涼・解毒に。成分=cylindrin

などのトリヘルペノイド、アミノ酸 aspagine acid 約3%、粗蛋白 約5%

余話

王様の耳はロバの耳

ギリシャのアルガイデアの丘にシ-リンクスという美しい妖精がいた。森の神バ-ンは妖精を追いかけてせまったので、シーリンクスは逃げ場がなくなり、ついに河に身を投げたのだが、其の場所に蘆が生えた。バ-ンはその蘆で笛を作ったところ、美しい音色でメロデイが流れた。

「クラリネット・オーボエのリ-ドをバアーンという、しかし、正式にはアシでなくダンチクである。」

図らずも、日の神アポロと音楽について競争したとき、フリギアのミダス王はアポロの七弦琴よりも蘆のリュートが勝ると判定した。負けたアポロは怒って「よい音楽が判らない耳はロバの耳」といって、ミダス王の耳をロバの耳のように長くしてしまった。ミダス王は他人に見られるんが恥ずかしくて、いつも紫色の頭巾を被って隠していたが、理髪師だけはこれを知っていた。理髪師はこれを誰かに話さずに居られない衝動に駆られて、川辺に穴を掘って『王様の耳はロバの耳』と怒鳴って埋め、本人は清清しくなって帰ってきた。ところが風が吹くと其処の蘆は葉ずれして『王様の耳はロバの耳』と聞こえるそうだ。

片葉の蘆の伝説ー1-

盛岡市龍谷寺に現在の観音像が祭られているが、その観音様は片手がない。これに纏わる言い伝え。むかし、徳の有る六部(背中に仏像を担いで行脚する苦行僧で、六十六部とも言う。法華経の書き写しを全国の霊場の霊場に奉納して歩く。後に厨子を被いて鉦を叩きんがら物乞いして廻る乞食僧に代わり、勝手に人家に住み込んだりした。)が観音様を背中に担いで行脚中、ある河原で強盗に出会って刀で切りつけられたが、刃先が観音様に当たり、六部は川に飛び込んで、怪我もなく難を逃れた。このとき身代わりになって、観音様は右手が切り落とされ、河に流されたのであるが、川洲の蘆原に打ち上げられていたのを、奉納したのであるが、その付近の蘆は皆片葉になっていたという。今でも信仁深い人は、この観音様を拝むと、片輪(身体に不自由ある人)は治ると言い伝えられている。

片葉の蘆の伝説ー2

千葉県の関宿は、茨城と埼玉の間に挟まれた辺鄙な所になっているが、昔は陸奥に通ずる重要な宿場であった。ここに伝わる不思議な伝説。結城伊兵衛は地方で財をなす庄屋であったが、その娘蘆姫は丁度色香の薫る十八歳になった祭礼の晩、見知らぬ若い美男に出会った。美男も蘆姫が好みであったらしく次ぎの新月の晩に再度合いに来るといって分かれた。蘆姫は犬が好きで、其晩愛犬を連れて社へ赴くと、突然犬が吠え出し、男は大蛇に身を表わし、蘆姫をぐるぐる巻きにして連れ去った。姫は必死になって蘆に縋りついたので、蘆は片葉のみ残して、もぎ取られたという。


この様なアシの性質は何処でも見られるものである。二方性といって葉が互生して着くのであるが、イネこのように、日本全国で片葉の蘆の伝説はある。片葉の蘆とは茎の片方にだけ葉がついている現象で、科植物は単子葉植物であるから、三方性であったところ、一方が省略された形となるのであるが、アシでは二方向の軸に120゜の角度で残る。これが見る方向によっては片葉のように見えるのである。この角度で残るのでは、風が吹いたとき倒伏することなく風圧を避けるよう自然の知恵であろう。しかし並木和夫先生は、普通型のアシの中にカタハノアシが混生するのを観察詞、片葉になるのは風だけの原因でないと報告している。

片葉の蘆の成因は風でなく、水流であるという告文もある。また、風が吹くと屡々葉や茎に当たりピューと風音を発するが、これが音笛の伝説になり、弘法大師が顔を出してくる。

<摂津名所図会>

片葉の蘆、現成寺跡、難波薬師に井あり、昔は広き池にして巡りに片葉の蘆を生ず。今什物とす。どぶ池と称するはこの池の名なるべし、按ずるにすべて難波は川多し、淀川はその首たり、其の岸に芦生ひ繁りて両葉出たるも水の流は早きにより、従いて皆片葉の蘆多し、故に水辺ならざる所にもあり、難波に限らず、八幡・淀・伏見・宇治なども片葉の蘆多し、或いはいわく、難波は常に西風激しきにより、蘆の葉東へ吹きなびきて片葉なるもの多しといふは僻案なり。

<越後の国中頚城郡春日村の伝説>

この村はもと水不足で農作業に困っていたが、弘法大師が巡回し着たり、経を読んで杖をついた場所から水が噴出し、蘆が生き生きと蘇った。隠れていた妖女達も喜び、蘆の葉で笛を作り、これを吹いて弘法大師を誘惑しようとした。大師は錫杖を振って蘆の葉を落として笛を作れないようにした。それで、蘆は片方だけしか葉を出さないのである。