Ad-12. かつみ





123




Ad-12.
かつみ:
はなかつみ
勝見

(1)
まこも:
菰・薦・蔣・茭

(2)
はなしょうぶ
or
かきつばた:
花菖蒲
or
杜若

(3)
がま:

その他:
ウキクサ、ヒメシャガ

[万葉集記事]

04-0675

の一首

()
04-0675

仲臣女郎贈大伴家持謌五首「その1」

娘子部四
咲沢二生流 花勝見 都毛不知 恋裳摺香聞

をみなへし
咲く沢わさに生ふる 花かつみ
かっても知らぬ 恋こいもするかも

註釈

はなかつみ=ここでは”かって”を導く序詞に遣っている。

咲く沢=佐紀沢(奈良市佐紀町)あたりの沢。

かっても=いままでちっとも、

[概説]

冒記謌にある「はなかつみ」とはなんぞや。普通吾人には不知見の語であって戸惑うのであるが、これを論じた書物は文化・文政の頃に数冊出稿されている。これを植物と決めるまえに、カツミと称するものを並べてみると、(1)
盂蘭盆に魂棚に敷く菰
(マコモの真稈で編み白絹で裏打ちしたもの)
 (2)
海と淡水湖を繋ぐ川、(3)
マコモの実
(糧実カテミからカツミに転語)(4)
漁師が使うカタアミ(竪網)の略、(5)
公家装束の有識で文様化したもの、等々また
(6)
歌の世界では”かつ”を導く序詞また枕詞で使う場合は同音の反復で”かつ見る”に懸かる。

さて、冒掲の万葉の歌で、「咲沢二生流」とあるから植物と解してよいであろう。ここで、おみなべし娘子部四は古読であり、今いう女郎花オミナエシであって、季節は秋である。カヅミはこれが沢に咲く”と続くと、水辺に生え、花の咲く草となる筈である。実は万葉集の出版以後に“かつみ”を引用している歌が散見されるのであるが、これらはやはり池や沼を一緒に歌っていることから水辺植物と類推される。カツミに関する古文を次に掲げる。

<古今集
14-4>

みちのくのあさかの沼の花かつみ
かつ見る人に恋やゆたらん

よみ人しらず

<古今集>

五月雨に安積の沼の花かつみかつかつ見るままに隠れゆくかな

顕沖

<新古今和歌集
3
184>

野辺はいまだ浅香の沼に刈る草の
かつみるままに茂る頃哉

藤原雅経

<続後拾遺(1326>

花かつみ
見る人のこころさへ 安積の沼になるぞわびしき


信明

<千載集
三夏>

五月雨に漏沢沼の花かつみかつ見るままに隠れ行くかな

<続千載集(1320>

花かつみかつ見ても猶たのまれずあさかの沼の浅きこころは

藤原公季

<作庭記(1040年頃>

沼様に石をたつることまれにして、爰かしこの水草をあしらいて

<東関紀行>

京より武佐州崎、所々に入りちがいて、あし、かつみと生ひわたれる中に

<金葉(1124~27>

芦根はひ
かつみも繁き沼水にわりなく宿る夜半の月かな

藤原忠道

<菟玖波集(1356>

かつて見ておしき秋の色かな風に散る野辺の千草の花かつみ

後鳥羽院

<御伽草子>

あさかの沼のかつみ草
かつみしよい おゆのたねと書きたる文もあり

<虎明本狂言鳴子>

あさかの沼にかつみ草
しのぶの里にはもじずり石

古今和歌集に詠われた「安積の沼とかつみ」の読人不知の歌は余程の秀作と見えて、後世の歌人達は、たびたび東北の「安積の沼」へ訪れている。安積沼(浅香池)「安積沼は福島県郡山市安積町にあり」にハナカツミが生えるのは古文学者の間で有名であるが、其の植物はアヤメと云う様にいつの間にか定まったのであるが、実のところ何物か正直なところ確定していない。

芭蕉がカツミを見に安積の沼へ訪れること

芭蕉は奥の細道の旅で安積沼へ探訪しており、日程記録によれば須賀川を429日に発し5月4日に岩沼に着いているから、この頃立ち寄ったと思われる。<.奥の細道>「等窮が宅をでて五里ばかり、檜皮の宿を離れて浅香山あり、道より近く、この辺り沼多し、かつみ刈るころもやや近うなれば「いづれの草を花かつみとはいふぞ」と人々に尋ね侍れどもさらに知る人なし。沼を尋ね「かつみ、かつみ」と沼を尋ねありきて日は山の端にかかりぬ」と。かつみは見当たらなかったのは、時期的に花が少し早かったのではなかろうか。<曾良日記1689>五六丁程過ぎてアサカ山あり、…アサカの沼皆田に成、沼も少し残る…茨やうをまた習いけりかつみ草 

I. カツミ
はハナショウブ
orカキツバタであるとの傍証

冒記歌において、花勝見はまず、花をつけるものであること、次に、沼や沢を歌い込んでいること、より池塘に咲く花であると知る、文政の頃「藤塚知名」が書いた<花かつみ>といふ本には花勝見を絵図込みで紹介しており、この図からみるとハナショウブであること明白である。ただし、原在の花菖蒲は少なくても1440年以降、園芸的に改良されたものであるから、万葉時代のものと違うかも知れないが,原種であれ美花であるから目立つ存在であったろう。

<無名抄
鴨長明
1212年頃>

五月にかつみを葺くこと或人云、橘為仲陸奥国にくだりける時五月五日家ごとの菰を葺きければ怪しく之を問う.そのとき庄官云、この国に昔より今日菖蒲葺くといふこと知らず。然るを故中将の御館の御時、今日は菖蒲葺くものを尋ねて葺けと侍りければ、この国には菖蒲なき由を申し侍りけれ、その時さらば安積の沼の花かつみといふものあらばそれを葺けと侍りしより斯く葺きそめて侍るなりといいける、中将の御館といふは実方の朝臣なり、

II.
ショウブ・またアヤメまたヒメシャガである可能性

屋根の葺材にはカヤ・コモ・ワラなどを用いるのであるが、腺形葉であるショウブまたアヤメも乾燥すれば結構屋根材に使用し得る。ショウブはサトイモ科の香草で、その葉を部屋に吊るすことにより悪魔が退散すると、陰陽学の縁起物となっている。田舎の農家で藁葺屋根の葺替えが完了すると、一握りの菖蒲の葉を屋根の要に奉置し、悪霊駆逐の標としたものである。そして、毎年五月五日に屋根に菖蒲を置く風習が残っており、ショウブは綺麗な花が咲かないから、剣葉のハナショウブ(またはアヤメ)を菖蒲の代用にされるようになった。ショウブ・ハナショウブ・アヤメは植物学からいうと別物であるが、上代は混交して左様云ったらしい。ハナショウブ説がこのように流布したのは、塩竈神社の祠官藤原知明が<花勝見考(1670)>に述べているし、万葉学者井上通泰氏の著に野生の花菖蒲を日光では赤沼アヤメとして紹介している。

<古今著聞集19
橘成季1254年>

草木は五月の頃円位上人熊野へ参りける道の宿に菖蒲をば葺かで、かつみを葺きたるを見てかつみ葺く熊野詣の宿をば菰くろめとぞ言うふべかりける
今上野下野の菰をカツミと言ひ陸前にカツという。その誤りなり。今は菰の実をはながつみともいふ。これなり言へど軒に葺くべくもあらず、又渓孫アヤメの一種、葉の細く長く今カマヤマアヤメと云うハナカツミなりと云ふ。花といふ由あれど尚如何あるべき。

<菅菰抄(1771)>

かつみは、旧説に菰のことといへり、菰は今のマコモグサなり、後世民間に稲葉をもて網たるを菰と名ずく、案ずるにいにしへ、かつみと云菰といふものは、或いは今の花菖蒲の類か。今見るところの真菰はさして花と称すへきくさに非ず、疑うべし。

III. カツミとはマコモである。
− これが一般に通っている。

菰を以って花勝見とする意見を最初に唱えたのは賀茂馬渕(16971769)であり、以降主な万葉学者はこの説を支持している。近代の植物学者もこの説に異議を唱えていない。ただ、ハナカツミのハナは単に菰の花と見る者と、勝見につく修飾語であると解釈する学者とがある。マコモの花はそんなに目立つものでなく、これが歌材に取り上げる程の事はないが、マコモの実は五穀ではないが主食に準ずる食糧にしたので、これをカテミ(糧実)と呼び、転じてカツミになったと理屈に合う説明である。植物学の大御所牧野富太郎先生もカツミ説を採っているが、コモの芽である茭白筍を以ってハナカツミとしている。

<万葉集品物解
鹿持雅澄
>

賀茂馬渕翁曰く
花かつみは勝見と云うがもとよりの名にして、それに花の咲きたるを花勝見といふ 橘に花橘といふが如し。さてコモをカツミと云う由云えるは、もとよりカツミは茭の一種なれば、直にコモといへるなり。

<万葉集攷燈
岸本由豆流
>

カツミは菰の一名にて、ハナカツミとは菰の花咲きたるをいふべし、本草啓蒙にも菰米に当るよしとすといはれたり。

<古今著文集>

五月頃円位上人、熊野へまいりける道の宿りに菖蒲をば葺かで、かつみを葺きたりけるをみて、「かつみ葺く熊野詣の宿りをば菰くろめとぞとぞいふべかりける」云々。

<重修本草綱目啓蒙
16水草>


コモ、フシシバ、カスミグサ、マコモ、コモガヤ、コモグサ、カッポ、一名茭児菜、創玉池沢中甚だ多し、春宿根より苗生ず。泥菖に似て薄く、…中略…一穂花後に実を結ぶものをハナカツミと云、苗葉最長なり

<童蒙抄>

陸奥の風習にてカツミとは蔣マコモをいふなり、昔アヤメのなかりせば、五月五日にはかつみふきとて蔣をふくなり。

<散木集10
雑下>

中納言国信の長歌に〈はばからぬ沼の花がつみ見るされば真こもにて名をかへけるもうらまし

<能因歌枕>

かつみとはこもを云う。こもばなをかつみといふ。

IV. 新提言 カツミはガマである

沼地に生える蒲ガマは、ショウブと同じく剣葉をもち、水深の浅い沼池に生える。ショウブを漢字で菖蒲・泥蒲と書くが、ここで蒲はガマのことである。菖蒲は蒲から一字頂いて、即ちガマと競り合ったとき「勝負に勝つ」、と云う意味をもって名図けられた。而して、ガマのユーモラスな花穂は、花にようでもあり、結実のようでもあり、「花且実」=ハナカツミとなる。即ちカツミはガマのことであり、ガマ茎葉の葉は乾燥して弾力性の軽質のクッション剤になる。俗にいふガマの穂は、丸裸の白兎を治療した如くこの穂を乾燥して得た白絮は、綿として布の間に挟み入れてフトンになる。だから布団を蒲團とも書く。

<万葉古今動植物生名
山本章夫
1925>

今按に古かつみといへるは、今の
蒲ガマのことなるべし、本集巻首、雄略天皇の御製に
かまた
とあるのもかつみと一にして、かごをさし給へるなり、此章提籃となすべきによる。石菖、泥菖の葉頗る蒲に似たり、故に菖蒲の名あり。実方も蒲の葉菖蒲に似たるもて、菖蒲に代え用いしなり。まこもは薦を造る物なる故こもと名ずけ、かまはかたみに造るべき物なる故かつみと名付けたるなり、かつみ通言)

V. その他

<古語大辞典>で「水辺に生る草花の名」と広異議に採り、花菖蒲ハナショウブ・菖蒲アヤメ・花の咲く真菰・芦の花・酢漿草カタバミ・姫射干ヒメシャガ・人字草ジンジソウの何れかを比定することを記している。

<大言海>

うきくさ;別名カツミ、カタバミモ、蘋ヒン、田字藻デンジソウ

人字草はユキノシタの一変種で、花の形が人の字に似たものをいう。田字草デンジソウとはウキクサの一種で、之は普通の萍ウキクサでなく蘋であって、これは葉が4枚出て、田の形に見えるので左様にいう。冒頭歌で書いてあるのが、娘子部四オミナエシで、ここの四に引っ掛けたのか?或る植物園でヒメシャガが展示植栽してあったが、その趣意はよく判らない。

以上ハナカツミに比対する数種の植物について、掲示説明したのであるが、現在は
マコモ
Ziania
latifolia Turez
をもって相当するとの主張が主流となっている。

ガマ

マコモ・ハナショウブ・アヤメは夫々該項に著筆したので、ここでは
ガマ
.を紹介する。

さて、ここで花勝見が何故 マコモや
アヤメや ガマに該当することになったのであろうか?・原典に返って考え直してみる。

この歌は、第四巻06750679の五首、中臣女郎が大伴家持に贈る歌の第一首である。中臣女郎は伝不詳の女性であるが、この五首の恋歌をなぜ大伴家持に贈ったのであろうか。まさか家持卿が恋の相手ではあるまい。この歌を読むと”はなかつみ”は女郎自身であって、をみなえし(男性)
に初恋が芽生えたことを告白している。をみなへしは一般に女性を喩示する代名詞に使われるのであるから、ここでは恋の相手は当然男性であるべきだが、まだ初々しさが残る貴公子が相手かもしれない。オミナヘシは花であるにつき、はなかつみも花であるとして無理のないところであり、そして女郎花は秋の花である故に、花勝見もそれに対比するものとすれば、秋の季題でなければならない筈である。コモ・アヤメともに花期は春であるし、ガマとて7~8月に出穂するものであるから、共に理に合っていない。而して、その植物は「沢に生ふる」とあるから、水生植物ないしそれに近いものであろう。そして、屋根葺材や敷物とは関係がないのである。ともかく本題の植物に関して、従前のものも再考を試みるべきと思う。

さて、ガマというと、大国主命が因幡の白兎を助けた話が余りにも有名で、名の知らない者がいないほどであるが、今は都会で池沼が埋めたてられて、そのユーモラスな蒲穂は次第に見られなくなっている。でも、東京でいえば、上野の不忍池や葛飾の水元公園などに些少ながら残っている。また、これの小型のヒメガマは盆栽に仕立てられ、好事者が弄っている。ガマの草葉を乾燥して敷物にするとコモより軟らかく感ずる。

<物類品隲
3>

香蒲
和名ガマ 所在にあり
一種細葉のものあり、葉広三四分に過ぎず、蒲槌も亦小也。世俗妄に号してアンペラという。按ずるにアンペラは南蛮語にて、席の総称なり、草の名にあらず。

<本草和名
7草>

蒲黄
一名蒲花、一名覆草、和名加末乃波奈

香蒲
一名雎、一名蘸、青茅、一名香茅、薫草、燕草、一名蘸蒲、一名蘸石、一名瓊茅、一名青荓、

一名香甫、一名苞軌、一名軌猥、一名香菅、一名香蘆、和名女加末、

<于録字書
>

蒱蒲平声

<倭名類聚抄>


唐韻云、蒲、草名似以為也、陶隠居本草注云、蒲黄、蒲花上黄者也、

<箋註倭名類聚抄
20
草木>

本草香蒲註云、此即甘蒲、作レ蘆者始生、用白為葅、亦堪蒸食、山南名此蒲香蒲,謂菖蒲臭蒲、蒲黄即此香蒲花是也、図経曰、春初嫩葉、未水時、紅白色茸々然、周礼以為葅、謂其始生取其中心地、大如匕柄白、生噉之甘脆以苦酒浸、如、大美、亦可以為一レ鮓、今人穿複有、時珍曰、蒲叢生水際、似莞而斒、有柔、ニ三月苗、八九月収葉以為席、
中略
按證類本草上品蒲黄条引云、此即蒲麓花上黄粉也、本草和名引作此蒲◇花上黄也、拠證類本草、蒲下欠文是欐字、而源君節此蒲欐一句、即花上有蒲字非是、亦按黄下粉字似無、按図経云、至夏抽梗於叢葉中、花抱梗端、如武士棒杵、故俚謂蒲槌、亦謂蒲欐花、黄即花中蕊屑也、細若金粉、当欲開時有、

<書言字考節用集
6
生植>

ガマ
正曰香蒲、蒲黄カツミ・ガマノハナ
蒲花也、本草形如武士棒杵、又云蒲蕚花、蒲花

<和漢三才図会
97水草>

香蒲
甘蒲 蘸石 蒲黄 蒲槌 蒲蕚花 加末乃波奈

本綱、香蒲春初叢生水際、似莞而偏、有背而柔、其嫩葉出水時、紅白色者取其中心之、至夏抽梗於叢葉中、花抱梗端、如武士棒杵、故俚俗謂蒲槌、其花中蕊屑謂之蒲黄

細若金粉、当開時便取之、市塵以黄蜜捜作果食貨売、八九月収葉以為席、亦可作,軟滑而温。蒲黄甘乎手足蕨陰血分薬也、故能治血、与五霊指同用、能治一切心腹諸痛、亦舌腫満口,或重舌生瘡者、伝之即、按,香蒲花状,頗似鉾、故謂蒲鉾、作松明甚良、採蒲黄薬、出於尾州、者佳、摂州賀州者次之、

<重修本草綱目啓蒙
16
水草>

香蒲
ミスクサ、ガマ、ヒラガマ、カバ、一名蒲黄草,醮,越、がまの花の上粉、一名蒲灰、中央粉

水沢中に生ず、春宿根より嫩芽を出すを蒲笋ち云、唐山人は食用とす。その葉長さ四五尺闊さ七八分にして厚く背あり、一根に叢生す、甚だ繁茂し易し、夏円茎を抽ること葉の長さに等し、上に穂を生じ、長さ七八分闊さ一寸許、形蝋燭の如し、短毛集まりて形をなす褐色なり、これをカマボコと云、魚肉羔カマボコこれに象る、漢名蒲槌と一名蒲棒、蒲槌上に小葉ありて黄粉を包む、その粉を蒲黄と云い、薬用に入る。故に頌曰、黄即花中蕊屑也、本草彙言に蒲黄即蒲花黄粉是也と云う、然るに釈名の下恭の説に、蒲黄即此蒲之花也と云うは非なり、一種ヒメガマあり、葉闊さ三分許、長三四尺、槌も亦小にして、二層或三層にもなる、漳洲府志の水燭広東新語の水蝋燭是也、

植物

ガマ Typha
layiholia L.
ガマ科ガマ属 

北海道~九州、北半球~熱帯、オーストラリアにかけて分布する。泥質の浅い水底から直立した葉・茎を高さ1.52mに伸ばして生える多年草。根茎は泥中を横に這い、葉は線形で幅12cm,
厚質で撓性あり毛はない。笋68月茎頂に花序を付ける。雄花序と雌花序は別に、雌花序は茎の周囲に着き長さ1020cm,太さは開花時約6mm後花柄が伸びると雌花群の太さ1520mmとなり茶渇色になる。雄花序は雌花序の上部に、長さ712cm,付く。  

補説:

1.
水深30cmまでの浅い沼に生育する。

2.
腺形の葉は捻れている。マコモは捻れない。茎は太く円形で中実である。

3.
花穂の上部は雄花群で、下部は雌花群である。

4.
雌花には1個の子房と、小さな花柄の基部に数本の長い毛がある。晩秋になるとこの針状の長い毛が風で飛ぶ。これが眼に入ると、微細な刺があって目を傷める。

5.
雄花の雄蕊は1本しかない。花穂の長い毛を集めて綿の代用とする。大国主命が裸にされた兎を救ったとの伝説のとうり止血作用がある。

近縁種

コガマ T.
orientalis Presl>

ヒメガマ T.
angustifolia

ガマ科はガマ属1属であり、15種ある。

ガマ

コガマ

ヒメガマ

葉の大きさ

長さ
12m、巾
1~2
cm

長さ
11.5m、巾
<1

長さ
1.52m
0.51.cm

雌花群の長さ

1020cm

610cm

620cm

花粉粒

4個くっついている

単粒で合着せず

雄花群塊と雌花群塊の間に間隔あり
単粒

名称

古語:

蒲、香蒲、莞子、女加末、御簾草ミスクサ (この草を乾燥し、御簾としたことによる)

別名:

水草、平蒲、あかま、ひめがま、

漢語:

香蒲、浦黄草、唯、越、醮、

語源:

朝鮮語で莚の材を意味するカムが転化したとも、又、蘆の意味のアルタイ語のカマに由来するとも、

ガマの穂;蒲槌、蒲帽、水蝋、

参考

魚のすり身を蒸したものを、その形から、カマボコ蒲鉾といっている。

古文

<古事記
神代
>

大穴牟遅神、其兎に教えて告りたまひしく『今急ぐ此の水門に往きて、水をもって汝が身を洗い、即にその水門の蒲の穂を取り、撒き散らしてその上に輾転雛場、汝が膚の如、必ず差えなむ』と教えたまひき

<古事記伝
10>

蒲黄は、花上の黄粉なるを直ちに波奈と云るは此方にては別に黄粉の名前は無くて其をも花と云るなるべし、さて漢籍にも蒲黄はもはら治レ血治レ痛薬とする此神の霊の頼て上代よりしかったへしものなり、今人は加をとりて賀麻ガマといへど、凡て頭を濁音無し、今も蒲生ガモウなどは清を以て古をしるべし。

<日本書記
7景行>

茲に、膳臣かしわでのおみの遠祖、名は盤鹿六鴈、蒲を以て手繦にして、白蛤を膾に成りて進る。

<播磨風土記
輯保郡>

邑智の駅槻折山
この山の南に穴あり穴の中に蒲が生えている。故に蒲阜とよぶ。

因幡の白兎:大己貴の神は憐れみで、教え給い〔蒲の花を撒きその上に寝て転がれ〕

<延喜式
37典薬>

諸国進年料雑薬

<宜禁本草
乾五葉
>

香蒲
甘平無
春初生白為葅、亦堪蒸食、主五臓心下邪気口中爛臭、堅歯明目聰耳、久服軽身耐

<庖厨備用倭名本草
4柔滑>

蒲筍ボジュン・ガマツノ
倭名抄多識編に蒲筍無し、考二本艸一、下湿の池に生ず、元升曰、案に倭名抄に芦之始生をアシツノといひて芦菼と書き、菰の初生をコモツノと云いて菰首と書利、皆初生をいう、筍も亦初生なれば、蒲筍はガマツノなるべし、

用途

食用:

若い芽の白い部分を 蒲筍と称し、煮or
蒸 して食する。

編材:

葉を乾燥したものはしなやかで、籠や袋を編む。布団綿;花穂を集めて綿の代用にする。火口、松明に、

薬用:

花穂:止血綿に。地下茎:根は〔蒲根〕煎じて,利尿,帯下。
花粉は{蒲黄}:傷・打撲の外用。内服で、腹痛・血痰・吐血・尿血

成分;
イソロラムネン配糖体{フラボノイドisohamtinの配糖体}sitosterol

Isohametin

β-sitosterol


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