Ad-17.
ななふすげ
七相菅
アブラガヤ?・(ナリキ・カニガヤ)
[万葉集記事]
03-0420
の1首
(
一) |
石田王いわたのおおきみが卒みかりし時に、丹生王にふのおおきみが作る歌一首 名湯竹乃 なゆ竹の |
注釈:
奈湯竹の=ナヨナヨした竹
泊瀬=奈良県磯城郡初瀬辺り、
斉瓮=枕辺に掘って据え、木綿を垂れ飾って供える神聖な甕
竹玉=竹を短く輪切りにして紐に通した飾り。神事に用いる。
木綿襷=木綿で製したたすき、神事に用いる。
かひな≠二の腕
左左羅の小野=天上にあると想像する野原。
3887
天なるや
ささらの小野に茅草刈る 草刈りばかに鶉立つも
みそぎ=身体を潔斎してきよめること。
しら菅=白菅~Ad16を参照
[概説]
七相(節)菅とは正直なところ、何者かさっぱり判らない。歌詞を解するに、{左左羅の小野の}とあるので、天の原に生えて実在物でないと考えられる。が、斯様な空想物は必ず現世にそのモデルがあるものであるから、これが追求するも一興であろう。
歌詞の終わりに「大和へ早く 白菅 真野の榛原
手折りて行かむ」とあるところからシラスゲを相当するとの見方がある。「白菅の真野の榛原」は集の定例語03-0280になっている。左左羅とは笹の細かい枝のことで、いまは田楽の席などで竹を細かく裂いて束ねたものを振ってサッサと音をだすものである。天の岩戸の古事に用いたとの伝承があり、また大祓の<祝詞>に「天津菅曾乎本刈断末刈氏アマツスガソヲ
モトカリタチスエカリキテ」とあるから、菅が神道と何か関係あることは確かである。佐々羅の小野とは天上に広がった野原のことで、茲に生えた茅や芦や竹は何か明らかではないが恐ろしい呪術性がある如く身に感じられる。兵庫県出石川の中州に生えているカワラダケは節間が長く,これで竹玉を作り呪いを掛けたことが古事記に書いてある。仮説によれば、ナナフスゲとは霊魂が籠もった須毛のことだそうである。そして、節が七つもあって草丈が長いという。また、フを斑と読んで、稈に模様のあるスゲと解説する書がある。しかし、スゲの類は稈茎が短く節間が縮着しており、節として認めることが出来ない。澤潟博士の説によれば
<万葉集注釈>
『珠の小琴』に、ナナフは七節也。陸奥のふもとの七ふには君をねせて三ふにわがむね
と有り と言い、槻乃落葉 に『麻乎其母能 布能末知可久氏マオゴモノ
フノマフノマチカクテ14-3524』や玉の小琴に引用の袖中抄の歌など『七節としもいふは、その丈の長ければなり』と述べた。「節」とは編目をふしたものだが
七節に編めるほど長い意と解すべきであろう。
さて、冒掲の挽歌は石田王卒した時、丹生王が追悼した歌で、次の0423の挽歌の作者山前王は忍壁皇子の子らしいとのみ判っているのみで、作者からの探索のアプローチの試みは鎖される。挽歌の調子では葬儀は神式であったことは確かで、皇子が高山の巌の上に葬ったことが反謌から伺われる。これ以外に集の記述から七相菅についての情報はない。ただ、七相菅が七節菅〔節が七つもある長い菅〕との訳が確かなものであるとすれば、これより菅の類の植物相を推定できる。即ち、一般の菅は節間は短く縮着しており、また穂稈が伸びたとしても葉鞘が覆い節は目出たない。が、ただ一種、アブラガヤとその近似種は節が稈の途中に露出して見え、節間も長く、草丈は1m以上に達する。よって本著でアブラガヤを以って七節菅と仮定することにしたが、これは学界で認められたものでなく、のみならず非難あるだろうと承知しているが、論議のされることを望む。。
植物
アブラガヤ Scirpus
wichurai Boecklr. F.concolor Ohwii ナキリ、カニガヤ
S. cyperimus Kunth
var.concolor Makino
北海道、本州、四国、九州および中華国の暖帯部に分布する。山地や丘陵地の湿地に生える多年草で、束になって大株となり、高さ100~150cm、茎は株立ちと也、三角で艶がある。葉の長さ40~90cm,
表面は艶がある。花は秋季、小枝の頂脇に長さ6~9cmの小穂が数個纏まって頭状につく。果実は6本の髭状花被片を伴い、花柱は3裂け、10月に熟す。和名は油萱、花穂が油ぎった色合いをしている。
あエゾアブラガヤ Scipus
wichurai Bocklr, var. asiaticus T.Koyama
イワキアブラガヤ S.
hattorinus Makino
アイバソウ S.
wichurai Bocklr. f. wichurai