Ca-03.-
きみ・寸三・岐美・吉備
キビ・黍・稷・(稷)
漢名
黍ショ=もちきび、糜ビ=うるちきび
[万葉集記事]
寸三 |
16-3834 |
吉備 |
04-0554 |
(一)16-3834前書: |
作主いまだ祥ならざる歌一首 |
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成棗寸三二 |
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梨棗黍に粟継ぎ述ふ田葛の後もあはむと葵花咲く |
この歌は食用となる農作植物を、すなわちナシ・ナツメ・キヒ・アワ・タクズ・アオイの6種を並べた戯れ歌である。葛の蔓が別れててもまた逢うことを懸けて恋歌と解釈する。黍を君に粟は我に、あふひは逢う日に懸ける。また別の解釈に、農作物の手掛ける順番を読んだものとする論もある。
(二)04-0554: |
丹生女王、太宰帥に贈る歌二首 |
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古人乃玲食有 |
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古人の食へしめたる吉備の酒病まばかべなし貫簀賜牟 |
この歌で吉備は国の名前であり、黍とするのは誤りであるというのは、即ち古文法でビは黍のビは甲類biであり、吉備のびは乙類のviど読むからである。貫簀=竹や萱で編んだ簀。先の方を洗盤につけ、手元方を盤の手前の縁に置き、斜めにしておき、ここへ小水をしても水が掛からないようにした。病まば=気分が悪くなれば。古人=古い友人。
[概説]
黍には、①Panicum属のいわゆるキビと、②Sorghum属のモロコシを含めた広義を指す場合とがあるが、両属とも原産は日本でなく、渡来したものである。
注)
トウモロコシ
Zea
mays
L.
は新大陸の作物で、スペインの略奪に伴い、ヨーロッパへ持ち出され、日本には1579年に長崎に最初に入ったことの記録があるので、これは勿論万葉時代の植物でない。
キビ
の原産地については、東南アジアおよびそれよりやや中央アジアよりの温帯地域とされるが、原型植物はすでに消滅していて詳細不明である。現在は栽培種がアフリカ・インド・中国に数種あり、これを主食にしている地方もある。
我が国では、桃太郎の黍団子が有名な御伽話があって、キビは弥生時代に渡来したという説もあるけれども、キビについての確実な証拠がないから、万葉集のキビも疑わしいという人もいる。即ち、万葉集のキミは「寸三」と「吉備」の漢字が使われており、黍の字を当てたのは無理な解釈であるというのである。
古事記や日本書紀に稲・麦・粟・稗・大豆は穀物として記載のあるのに、黍はないのは日本への渡来が遅かったためでないかと述べる学者もいる。この説に対して、<大日本古文書>に天平宝宇八年三月伎美二升とあるから万葉当時日本にあった証といっている。きびに関する本邦最初の文献は承平年間(931~936)の秬黍クロキビとし、アワ、ヒエに比べて確かに遅い。
栽培されるキビにはウルチ種とモチ種があって、我国ではモチ種が圧倒的に多く、現在は主に北海道で栽培される。品種は信濃1号、根形村在来種、小谷村在来、白キビなど。子実にはタンパク質が多く栄養価値は米飯に比べて見劣りしないが消化が悪く、味も渋みがあって良いとは言えない。しかし、近頃は健康のため雑穀米食が流行しており、雑穀は貧乏人が食うのでなく金持ちの裕福マダム達のお好みの食事となっている。たまに割烹店などで十分に精白されたものを出されると、特有の風味があり珍味とも思えないこともない。
黍は比較的高温で乾燥した気候の地域にの原産であるが、比較的寒いところでも生育し、晩蒔でも育ち、連作障害が少なく、作りやすいので満州のような北方・高冷地での食料作物となっている。穀物中最も保存性がよいこと、土壌は新開地・酸性土などの不良土壌でも生育するが、肥料の吸収力は強いので元肥を多めに施したほうがよい。
①Panicum属のキビmilletは、漢字で黍ショ(モチキビ)、稷ショク(ウルチキビ)・糜ビと書き、野生のヌカキビP.bisulcaium
Thunb.を母体として改良されたものがP,miliaceumであり、②Sorghum属のモロコシIndian
milletはS.nitidium
Pers.を源流とするもので、漢字で蜀黍ショクショ・高梁コウリャンと書き、或は稷ショクの字を併借している。この群にはコウリャンS.nervosum
Bess.モロコシS.bicolor
M〓nchなどがある。
ウルチキビ |
Panicum |
モチキビ |
P.m.var.glutinera |
モロコシ |
Sorghum |
Panicum属の小穂はホウキ型、Sorghum属のそれはエノコロ型をとるから、容易に見分けがつく。
キビの類は、上記の改良されたものが、地方により種類が数多く栽培されていたものだが、現在は家畜の飼料に僅かに残っている程度で殆どが廃れてしまって、これら雑穀は研究論文が作成以前に滅んでしまって惜しい気がする。①のなかで極端に穂柄の長いものをホウキキビと云い、室内箒を作ったのであるが、勿論今は電気掃除機に代わって残ってさえいない。 日本では何れもキビと呼んで、①は弥生時代に②は天正年間に渡来したとされる。
代わってトウモロコシが北海道を始として広大農場における重要な農作物となっている。この玉蜀黍を方言でトウキビと呼称する所かあり、モロコシキビと混乱するところである。
|
キビを君キミにかけた古歌のとおり、キビの実が黄色をしている所以による。黍実には赤褐色になるものね濃褐色をなすものもあり、クロキビと隋金香を入れて醸した"鬱七ウッチョ"という有名な酒がある。旧満州には高梁コウリャンが平原広く栽培されていて、この実は赤褐色を円錐果序に重密につける。この実の酒は高粱酒で匪賊ども馬上杯で豪快に飲み干したという。日本統治時代の話であるが、匪賊を討伐に行くと彼らは高粱畠に逃げ込んで、捕まらなかった。終戦になり、ソ連軍が無法進向してきたとき、在邦開拓者はこの畑に逃げ込んで難を避けたともいう。終戦頃、食糧難でこの高粱が米の代わりに配給となったが、不消化で下痢をして甚だ不評であった。
<大言海> |
黍 |
<本草和名 |
丹黍米又有禾祭米 一名赤黍米、秬黍(黒黍也)、黄黍(赤黍也)、和名亜加伎美(相似而粒大岐美)黍米又有二木祭米一、和名岐美 稷米 木余 孤米一名彫胡木台梁、烏木稗、稷一名木祭一名糜 |
<倭名抄9> |
円黍 本草云、丹黍一名赤黍、一名黄黍、 秬黍、本草云、秬黍一名黒黍 木求 二雅注云、黍占粟也、本草云、稷米一名木求、蘇敬注云一名木祭一名黄米 |
<和事雅 |
稷キビ・コキビ黍モチキビ 丹黍アカキビ秬黍クロキビ |
<延喜式 |
詳瑞 |
33 |
七寺盂蘭盆供養料 寺院餅菜料 黍米五升 |
<大和本草 |
黍モチキビ
稷ウルチキビ |
《重修本草綱目啓蒙 |
稷 |
<日本釈明 |
黍 |
<書言字考節用集 |
蜀黍タウキビ・モロコシキビ・タカキヒ |
<物類称呼 |
蜀黍たうきび |
[植物]
①
キビ
Panicum
miliaceum
L
イネ科・キビ属
インド東部の原産とされ、古くから中国の北部地帯で広く、日本では北海道や東北地方で以前に栽培されていた。乾燥に強くまた生育期間が短くて稔るので気候の厳しい地方に適する。草丈は
2m近くになり、茎は細いが葉幅は2~3cmと広く長さ30cm位で基部の葉鞘にも毛がある。花序は長い枝について、やや疎らに小穂をつけ子実が稔ると重さのため一方へ垂れ下がる。子実は直径3mm程度の円形、黄色であるが茶色や黒色のものもあり、熟すると落ちやすいので収穫のタイミングが難しい。栽培種の黍には粳黍、糯黍、丹黍あかきび、黒黍がある。
[補説]
1.
花穂は多数の小穂が分岐し、その先端に2個の花をつける。上の方の花穂では護◆が長く、下方のものは短い。
2.
キビの実は球形で普通種のキビの色は黄色出ある。他にアカキビ、クロキビもある。食すると微に渋みがある。
3.
生育は乾燥地の方が適する、旧満州平野の主要農作物であった。
②
モロコシ
Sorghum
vulgare
Pers.
イネ科・モロコシ属
アフリカの東北部の原産で、アフリカからインド・中国にかけて数多くの品種が栽培されている。日本では現在殆ど見当たらない。草丈は90cmの低いものから、2m以上になるものといろいろと品種がある。葉幅は広い方であるが、2cmぐらいのものから4cm位のものもある。茎の頂部に大型の花穂を出すが、これも塊のようなものから疎らなものから種々あるが、花枝が太く直立して垂れ少ない。子実は丸みを帯びた卵形また楕円形で大型である。全草には赤色の潜在色素があり、葉を傷つけたりすると、あるいは熟成時の実は赤褐色を帯びる。子実は食用とするが幾らか渋みがあり、食感に合わないから日本では黍団子の外あまり食さない。 しかし、中国(満州)では
コウリャン
S.nervosum
Bess.
が広範囲に栽培され、炊いたり粉にして蒸したり、或いは高粱酒にしたりする。アメリカ南部では
チキンコーン
S.drummondii
Nees.
インドでは
シャルー
S.roxburghii
Stapf.
アフリカでは
マイロ
また
ドゥラ
S.durra
Stapf.
或いは牧草のスーダングラス
S.sudanense
Stapf.
サトウモロコシ
S.saccharatum
Pers.
(糖分は2%と高いが、結晶性に劣るので、現在の製糖工業では殆ど原料をサトウキビに転換された。)
などが栽培されている。
[補説]
1.小穂の多くは対に2個の花がつくが,1個のみが結実し、他の1個は雄性である。
2.花軸や小柄には長く伸びた髭毛シュモウがある。
[周辺]
日本では、米を主食とし、麦をはじめ他の穀類を雑穀とし、一段下等なものであるとの評価である。雑穀類は、毎年ではないが時々やってくる気候不順・災害時の不作に備えて伝統的に受け継がれていた植物である。しかし栽培技術の進歩した現在では、極度の不作というものはなくなり、かつ世界的な救済機構があるので、日本では次第にその影を潜めていき、これらを書留めた記録もなくなっている。確かに、生産効率の悪くて、味覚に劣る雑穀類は消える運命にあるかもしれないが人類の人口急速膨張、地球上の環境変化、などを考えて雑穀類を見直すときが来るかもしれないけれども、キビに関する記録は完結しない内に、栽培は途絶えてしまった[転作全書vol.3
農文漁村文化協会2001
各地に栽培されていた品種は次の如し。
北海道 |
早稲種、中生種、中生黒糯、早生白黍、稲黍白皮、中生白糯 |
岩手 |
中生糯(赤◆)、早生稲黍(黒◆ |
千葉 |
安房在来、市原在来、日野原在来、根形村在来 |
岐阜 |
早生黒糯、白黍、茶黍、小黍 |
愛知 |
白黍、白黒黍、黍1号、 |
岡山 |
夏作黍、秋作黍 |
広島 |
糯黍、小黍 |
愛媛 |
早生黍、晩生黍 |
[名前]
[語源]
子実が黄色のため黄実きみとの古名か(延喜式貢進には黍子となっている。)モロコシは諸越(唐の別名)から
[古名]
黍、稷きみ、寸三、
[別名]
小黍、本黍、穂黍、団子黍。/モロコシ 高黍、唐黍、立黍、背高黍、
[漢語]
人米、首種、明禾、廩米、斎、蘆禾祭、/モロコシ 屬黍、薯黍、蘆黍、漢字では
黍(モチキビ)、稷(ウルチキビ)である。秬とも書く。
[英語]
millet,
common
Millet
[独語]
Hirae,Gemeine、
Hirse
[払語]
Millet
mill,Millet
commun
[用途]
[食用]
子実を煮蒸して食料とする。
挽いて粉とし団子。醸造して
酒、クロキビで醸した酒を鬱◆ウツチョウ
と称す、美酒なり
[飼料]
小鳥の餌。
[キビガラ]
黍の茎の外側の皮質を除いた髄芯部は、軽くて柔らかいので、以前はクッションなどに用いられた。これに着色して子供の工作の材料にした。
参考
キビ団子と桃太郎伝説 、
この童話的伝説は、日本の子供が話継がれて、誰でも知っている。
気のいいお爺さんとお婆さんがおったとサ。川から流れてきた桃の実を拾って、これを割ると立派な男の子が生まれ、桃太郎と名前を付けました。成人した後、桃太郎はキビダンゴを腰につけて折から悪い乱暴を働く鬼を、イヌ・サル・キジを連れて鬼退治にいき、戦利品の宝物を分捕り凱旋しました。
この話は概ね「桃がドンブラコッサと流れてくる」。「鬼が島へ悪い鬼共を退治にいく」の二部からなっている。従ってこの話を成立するには、①桃が流れてくる川
②鬼が住む島
の二場所が設定され、小道具として
③桃
④黍
⑤犬・猿・雉
⑥宝物があって、重要な登場人物は⑦桃太郎
⑧鬼であり、これを揃えて芝居になる。
この伝説の候補を名乗る所は全国に散らばって存在するのであるが、キビの名前が吉備と重なって一応岡山県が優力となっている。しかし、各地の桃太郎候補地は観光のために互いに拮抗することなく同盟さえ結んで、桃太郎サミットを開催するなどPRこれ努めているそうである。抑、大和朝は九州高千穂に降臨した神日本磐余彦尊の系統が万世一系の子孫が統ていると公表の如くであるが、疑問は多々ある。神武天皇は高千穂宮を出でて、宇佐に至り、筑紫芦屋に留まるが、それから広島県多社理宮に七年、吉備の高島宮に八年座し賜しき、とある。なぜ中国地方に一時滞留したのか、この地方での伝説は失われて残っていないのであるが、吉備の地域に有力な部族が居住し、現に銅鐸や鉄剣が発掘されおり、何かの文化があったことが証明されている。
推憶の範囲であるが、ここにいた部族が、別系統の皇統に変わったとも考えられるのである。
(1)
岡山県の吉備津あたりの一帯
、
話はいろいろとヴァージョンかあるが、鬼は朝鮮の百済からきた
温羅
と名乗る魔人て、都へ渡す貢物を横領したり、女娘をかっさらたりするので、孝霊天皇は皇子の吉備津彦命に退治を命ずる。吉備津彦命は矢を一度に二本放つとその一本が左目に命中し、温羅は雉になって逃げるのを吉備津彦命は鷹に変身して後を追う。温羅は鯉に姿を変え血の川を泳いで逃げるが、吉備津彦命は鵜に再変身して鯉を捕まえ、首を刎ねてしま
う。この伝説に拘わり、この地方に遺跡が多くある。温羅の居城と伝わるのは白村江の戦(663)で築いたと言われる鬼城山397mだ。
温羅は一説によれば、大陸の諸文化を、とくに製鐵技術を教えた異人で、日本の創成期時代に吉備地区に日本を統治した文化政権があったことを匂わせる。
吉備津神社: |
岡山市北区吉備津931 |
|
吉備津彦神社: |
岡山市北区一宮1043 |
吉備津彦を祭る。近くに温羅を祭った社もある。 |
矢食神社; |
岡山市北区高塚108 |
吉備津彦命と温羅が矢の打ち合いをしたところ |
鯉食神社; |
倉敷市矢部109 |
鯉に変身した温羅を捕まえ、首を刎ねた所 |
鬼の釜; |
総社市黒尾 |
温羅が生贄を茹でて食べていたと言われる鉄の釜 |
鬼の城: |
総社市黒尾 |
温羅が築いたといわれる花崗岩の洞窟 岩屋寺がたっている。 |
巌屋寺: |
総社市黒坂 |
温羅が住んでいたという洞窟 |
(2)
瀬戸内海の女木島(鬼か島)、
吉備津彦命の弟
雅武彦命わかたけるひこのみことが桃太郎で、瀬戸内海を荒らしていた海賊を撃つために、備前の犬島、讃岐の猿王、雉子谷、の住民を従え、海賊と戦い宝物を押さえたていう話で、舞台は高松市の鬼無地区て、姉は倭跡跡日百襲姫命やまととひももひめのみことて讃岐に住んでいる。
熊野権現桃太郎神社 |
香川県高松市鬼無町848 |
犬猿雉とお爺さんお婆さんの墓がある |
鬼が島大洞窟 |
香川県高松市女木町女木島(鬼が島) |
高松港の沖4Kmの沖、洞窟は鷲が峰184mの山頂近く |
(3)
岐阜県木曾川沿いの桃山
ここでの伝説は古事記の黄泉国で伊座奈岐命が追ってくる小鬼達に桃を投げ付けて逃散させるという話と混同している。木曾川に沿ったこの地には桃太郎伝説に因んた地名が多く残っている。
桃太郎神社 |
愛知県犬山市栗栖太平853 |
桃の化神大神実命を祭る。ピンクの鳥居 |
鬼が島 |
岐阜県可児市塩 |
|
宝積寺 |
鬼から奪った宝を積み上げた場所という |
(4)
奈良県田原本町
吉備津彦の父孝霊天皇が黒田芦戸宮を構えたと伝わる地。ここで桃太郎が生まれ育ったと伝説。
法楽寺: |
奈良県磯城郡田原本町黒田360 |
黒田芦戸宮の跡と伝えられる。 |